敗戦後まもない1950年前後の、田舎の子どもたちの“甘味”は、数少ない自然からの恵みでした。9月中旬から10月にかけて、家族で早朝の雑木林へ出かけて、芝栗を見つけて拾い集めました。ちょうどいい具合の(大きさといい時期といい)栗の木に出会うと、一本で両手からこぼれるくらいの芝栗を拾うことができました。持ち帰った芝栗はすぐにゆでて、包丁で2つに割り、スプーンですくいだして食べた時の、ほんのりとした甘味は今でも忘れられません。朝毎に集めた芝栗は、ゆでた後、やわらかいうちに皮のまま10~15個、針で糸を通し、軒下にぶら下げておきます。冬になって、皮をむいてみると、中の栗は石ころのようにカチカチになっています。その頃になると、渋皮もポロリとむけてしまいますから、そのまましゃぶると、ほのかにほのかに甘いあめ玉になります。その頃の田舎の子どもたちにとって、干し栗は貴重な甘味・おやつでした。
田舎の子ども達は、同じどんぐりの中までも、すぐに食べられるどんぐりとすぐに食用にならないどんぐりを知っていました。異年齢、年齢差を超えて群れて遊んでいた子ども達は、お兄ちゃんやお姉ちゃんから、遊びのこと、生活のことすべてを教えてもらっていました。すぐに食べられるどんぐりの“しいの木”は、そんなに簡単には見つかりませんでした。意外と身近にあって、そんなに誰も目を付けなかったのが不思議だったのは、通っていた中学校の裏の神社の境内にあったしいの木です。誰にでも、すぐに見つかりそうなのに、注目されなかったのは、どんぐりは渋くてまずい、という先入観で、見逃されていたのかもしれません。そんなしいの木の、しいの実のことを教えてもらって、皮をむいて生で食べると、くるみを生で食べるのと同じ、ミルクのような果汁がしみだしてくるのがうまくて、何個食べても食べ飽きませんでした。
甘味・おやつの乏しかった田舎の子どもたちの、秋の味覚の王様は、あけびでした。春に、紫色の花を咲かせるあけびの花を摘んで、先端部分を鼻先にひっ付けたりして遊びました。先端がひっついたのは、それがめしべで、飛んできた花粉がひっつく為の粘液であることを、だいぶん経ってから知りました。田舎の子ども達は、花が実をつける原理は知りませんでしたが、遊び方らしきものは、先輩達から教えてもらって知っていました。あけびは、木の幹から木の枝へと、つるをからませて縦横に伸びて行きます。そして、木の枝の先端部分で花をさかせて、受粉して実を膨らませます。それが、里山の川沿いのうの花のような低木だと、実を取るのは手を伸ばすだけで済みますが、中・高木になると、つるはどんどん上に、どんどん枝先に伸びていきます。そんな木の、そんなあけびのつるに限って、たくさんのあけびが見つかったりします。甘味・おやつに、言わば飢えていた敗戦後の田舎の子ども達は、どんなに高い木の、どんなに細い枝にもひるみませんでした。甘味に、命をかけていると言わんばかりに、最後は、木の先端の枝がしなるのに片手でぶら下がって、片手で目当てのあけびを手に届かせるという具合にして手に入れました。でも、そんな芸当をしていても、あけびとりの木登りで、怪我をしたという子どもはいなかったように思います。そんなあけびとりで、更にわくわくしたのは、つるの付け根から、バナナのように房になって、多い時には10個近いあけびが見つかったりする時です。子どもたちの世界にはルールがあって、たとえそんなあけびでも、見つけてそれをとった子どもに優先権が認められていたことです。たとえ譲ってほしくても、誰もそれを口には出さないというのがルールなのです。だからと言って、すべてを独り占めにするということはありませんでした。秋のあけび探しは、里山でもずいぶん深いところまで、子ども達は入り込みました。そして、単独ではなく、異年齢の子ども達が5~10人くらい仲間になって里山に入り、あけびを見つけてさまよい歩いていました。仲間の中には、小学生にならない幼い子どももいましたが、なんとかみんなで面倒を見て、気がついてみると、自分ではあけびがとれないはずのその子も、分け前をもらっていました。更に、いつの間にか、そんな幼い子どもも、あけびの食べ方をわきまえて、上手に“ペッ”と種粒を吐き出しているのでした。
こうして、甘味を見つけたりする子どもたちの遊びは、11月中旬に雪が降りだす前まででした。冬の間、今でも思い出に残っている甘味は、取り置きしておくと、徐々に熟してくる渋柿です。かじった瞬間に口の中がしばられる渋柿も、取り置きしておくと徐々にやわらかくなって甘くなります(度を超すと、酢っぱくなってしまう)。甘くなったのを、皮をむいてそのまま食べるより、もっとおいしい食べ方は、皮をむいておわんに入れ、はったい粉をかけて食べる食べ方です。玄米を煎って粉にしたはったい粉は、それだけではこげ味がするだけですが、熟した柿に程良くふりかけると、香ばしいあめのような甘味になるのです。
今、あり余る甘味に囲まれて生活していますが、そのどんな甘味よりも、子どもの頃の田舎の自然の中での鮮明な甘味が記憶として残っているように思えます。
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