日本キリスト教団西宮公同教会・西宮公同幼稚園
教会について
礼拝・諸集会のご案内
小さな手・大きな手
公同通信
教会学校について
公同幼稚園について
どろんこと太陽
関西神学塾:スケジュール
関西神学塾:講師紹介
楽しい学習
賃貸住宅事業部とは
テナントについて
活動内容
アートガレーヂについて
催し物のご案内
リンク
アクセスマップ
お問い合せ
width=1
top>小さな手大きな手
width=639
小さな手大きな手

height=1
2011年10月03週
height=1
 新聞の書評欄で「いまファンタジーにできること」(アーシュラ・K・ル=グウィン、谷垣睦美訳、河出書房新社)を見つけて読むことになりました。3月11日以来、中でも東京電力福島第一原子力発電所の重大事故を見せつけられて以来、極限の事態に耐える読みものがあるのか、そして読むということも難しく思えることがありました。ル=グウィンの「いまファンタジーにできること」も、手にはしたものの、開いてみるまで少なからず躊躇もあったりしました。しかし、“訳者あとがき”を先に読んでから、中に入る前にル=グウィンのこの本に強く惹かれました。(普段どんな本でも、あとがき、訳者あとがきなどは、読み終わるまでは見ないことにしている)。「2011年3月、東日本大震災が起こったとき、わたしは東京の自宅でこの本を訳していました。日本中の人と同じように衝撃を受けて、しばらくは仕事にも手がつきませんでした。仕事に戻ろうとした時も、なかなか本を開くことができませんでした。ちょうどファンタジーや現実という言葉が何度も出てくるところをやっていたのです。あの日を境に現実がすっかり変わってしまったと感じていたから、ル=グウィンの言葉が前と同じように、自分の心に響いてくるか不安でした。その言葉を今の日本の現実に向けて差し出せる日本語にできるかどうかも不安でした。しかし、とにかく本を開いて耳を澄ましました。ル=グウィンの言葉は前と変わりなく、心に響きました。いっそう力強く、澄んだ響きになったかもしれません。以前に訳した分を見直したときに、前はわからなかったことがわかるようになったところがありました。この力強い声を頼りに、これからもファンタジーを読んでいこうと思います」。
「いまファンタジーにできること」を読み、読みながら、紹介されている「動物農場」(ジョージ・オウエル、角川文庫)や、「バンビ/森のある一生の物語」(フェリークス・ザルテン、植田真而子訳、岩波少年文庫)を読んで、“訳者あとがき”で書かれていること、ル=グウィンが語ることに納得しています。「ゲド戦記」は、戦記であるにも関わらず、ゲドの戦闘や戦争の物語ではありません。ゲドは「人が過ちを犯すこと、そして、ほかの人であれ、本人であれ、誰かがその過ちを防いだり、正したりしようと努めて、けれどもその過程で、さらに過ちを犯さずにはいられない」人として描かれます。「バンビ」(ディズニーのアニメではない!、ザルテンの原作)のバンビに、“古老”は、繰り返し「われわれのだれもがひとりなのだ」ということ、そしてそれは「生きるということを学ぶ」ことなのだと教えます。ひとりであり、生きることを学ぶのは、「恐れをもち、苦しみを知り、悩みをもち」「やっつけられることもあるのだ。やっつけられればどうしようもなく地面に倒れる。・・・」ことだとも、“古老”はバンビに教えます。「バンビ」は、「本物の動物の観察をもとに」たとえば「簡潔な言葉でくっきりと最小を描く」動物物語です。「わたしは十歳か十二歳で初めて読んで以来常に、この本の複雑さがわたしの考え方を形作り、わたしの考えのすみずみまでしみとおっていたことに気付いた。これは見事な本だ。観察にも感情にも真実味があり、心をかき乱す、簡潔で繊細な本だ。」(ル=グウィン、前掲書)。ワナにかかったウサギを“古老”が助ける時、銃でうたれた手負いのキツネが、更に犬に追われて最後の闘いで死んでしまう時などの描写は、残酷なのですが、簡潔でそこに繊細に生きものたちを見る目が貫かれています。
 ル=グウィンは「いまファンタジーにできること」の半分くらいを占める「アーバスノット記念講演」の講座録としてまとめた「子どもの本の動物たち」で、「バンビ」や「動物農場」などのことを書き、その“結論”として以下のように書いています。
「多くの動物像に共通している、失われた荒野への憧れは、わたしたちが交配させ、破壊した果てしない景色、たくさんの生きもの、たくさんの種に捧げる挽歌だ。今や、それらのものへの挽歌は、ますます切実さを増している。わたしたちはかつてないほど、孤立に近づいているからだ。わたしたちは不毛な世界に群れをなす単独の種になろうとしている」と書きます(ル=グウィン、前掲書)。
 大きな自然災害でたくさんの命が奪われ、たくさんのものが壊されました。しかしそれは、「私たちが荒廃させ、破壊した果てのない景色」ではありません。「荒廃させ、破壊した果てのない景色」があるとすれば、原子力発電所の重大事故の後の景色がそれに近いと言えます。動物物語は、荒廃させ破壊する人間を動物の側から描きました。今、東電福島の事故から始まったのは、荒廃させ破壊した果ての人間の景色です。動物物語が書かれてきました。「たくさんの生き物、たくさんの種に捧げる挽歌」として。今、人間という種は、自ら招いている荒廃と破壊を、何一つ値引きしないで見つめ、かつ引き受ける時、初めて、たくさんの生き物、たくさんの種と対等になります。そのこととして見つめるル=グウィンの「いまファンタジーにできること」のことを、訳者はあとがきで「現実を理解し、選択肢をふやすために」と書いています。
height=1
[バックナンバーを表示する]
height=1


フ皃width=80

Copyright (C) 2005 koudoukyoukai All Rights Reserved.