薪(マキ)や、マキストーブのことが話題になっているようです。子どもの頃の田舎の生活で、燃料はすべてマキ(ないしは炭)でした。玄関を入った広い土間には竈(カマド)があって、ごはんを炊く羽釜がのって火が焚かれていました。居間の隅に囲炉裏が切られ、みそ汁などを煮炊きする鍋が高い天井から伸びる自在鉤にかけられていました。カマドも囲炉裏も燃料はマキでした。そして、カマドも囲炉裏も煙突というものはなくて、茅葺屋根のてっぺんの“突”が、家全体の煙抜きになっていました。ですから、その頃300年は経っていると言われた家の、柱も梁もすべて真っ黒に煤けていました。広い居間(18畳)の隅には、冬になると掘り炬燵が用意されて、燃料は炭でした。その頃の部屋の暖房も、ひばちの炭火でした。
カマドなどの燃料は、燃えるものは何でも使っていたように思います。先日、福島の人たちに届ける為、後川から届いた黒豆枝豆を、枝から切り離して袋詰めをしました。その時の枝豆の枝は、乾燥させて少しずつパンを焼くマキ窯の燃料になっています。新しいマキを窯に入れた時、火勢をつけるのに乾燥した枝豆の枝はちょうどいい具合なのです。杉林で拾ってくる枯れた落ち枝も、あっという間に燃えつきますが、着火の時、火勢をつける時に欠かせない燃料でした。
マキは、雑木林の雑木ならなんでも、植林した杉林の間伐材もすべてマキになりました。普段使うマキは、適当に間に合わせることができましたが、冬用のマキ(11月~3月)の用意は、家族総出で手伝うことになりました。裏山までの、1キロ余りの山道を、歩ける限り、子どもたちもたとえ1本でもマキを運びました。
そのマキが、1960年前後にプロパンガスに変わることになりました。日常的にカマドは使われなくなりましたが、もちつきの時には、カマドの羽釜は当分の間健在で、囲炉裏の方も、当分の間火を囲んで人が集まる場所でした。手製の竹ぐしに刺した魚が並んだり、焼き芋や焼き栗は、囲炉裏の近い灰に埋め込んで待っているだけで、良い具合に焼きあがりました。
そうして火を囲んで、家族や近所の人たちと過ごした光景は、今もそのまま残っています。火は、燃料としてそこにあったのではなく、人間の営み全てを象徴するものとして、そこにあったからです。
西宮で生活するようになって、中でも子どもたちとの生活で火を大切にしてきました。キャンプなどは、もちろんすべて火で調理するし、もちつきはレンガを積んだカマドに羽釜をおいて火を焚いていました。その後、鉄工の仕事をしている子どものお父さん手作りの鉄製のカマドがレンガのカマドに代わり、ずっとそれを使っていました。難点は、周囲に火が漏れたり、羽釜の“羽”を越した火で、せいろが焦げたりしたことです。
1995年の兵庫県南部大地震からは、マキストーブを使うようになりました。北海道紋別の、鷲頭幹夫さんの手作りの家の居間に、そのマキストーブが置かれていて、暖房にも煮炊きにも使われていました。1995年の地震の後、2月に北海道滝川からかけつけた宮島利光さん(滝川二の原教会牧師)の仲介で、同じストーブを取り寄せることになりました。薄っぺらい鉄板でできている、1台1万円に満たないマキストーブですが、なかなかの優れもので、少ない燃料で短時間で羽釜の水を沸騰させてしまいます。その場合の燃料は、針葉樹の廃材など、どんなマキでもよく燃えます。
昨年末、焼却炉がマキで焼くパン窯に変身して、少しばかりの廃材では間に合わないことが解ってきました。輻射熱で焼く大きなパン窯を、更に大きく取り囲む窯は、焚き口も大きく、一束分のマキをそのまま投入しても、数分で燃え尽きてしまいます。太い固い木でないと間に合わないのです。そんなことに気付いて、子ども達と出かける、篠山市後川への行き帰りに、道路わきに転がっているのを見つけたのが、白樫などの丸太です。猪名川町から篠山へ抜ける道路の、“道の駅”近くで道路沿いに木の伐採をしていいたのは、町のシルバー人材センターの人たちでした。車を停めて聞いてみたところ、桧や樫などは割って束ねてマキにするが、その他の雑木は譲ってもいいとのことでした。そうして譲ってもらうことになった大半が、白樫などの固い木だったのは幸いでした。その時は、たまたま伐採して転がっていたものを譲ってもらいましたが、それからは、樫などを伐採することがあると、直接連絡してもらえるようになりました。
更に、礼拝堂などに使うことになったマキストーブ用に、シルバー人材センターの人たちが作っているマキを、大量に譲ってもらうことになりました。ぼちぼちそれを運んでいますが、行く度に「白樫も切ったから!」と、パン窯用のマキも用意して待っていてくれる人たちです。
今年の冬は、どんな寒さになるのか解りませんが、試しに礼拝堂でマキストーブを焚きます。一台だけで、あの広さ、あの天井の高さをどの程度温めるのか解りませんが、ストーブの上で、大きなやかんでしゅんしゅんお湯が沸くことになるのだけは確かです。
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