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小さな手大きな手

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2011年12月04週
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 子どもたちとの屋外活動で火を使う場合、マキストーブを使ってきました。マキストーブは、やがて18年前になる兵庫県南部大地震の後に入手することになった、北海道の家庭の暖房や調理用の燃料に使っていたマキストーブです。薄い鉄板で出来たマキストーブは、平べったいダルマ型で、上部に2つの穴があって、小さい穴の方を二つの輪と丸いふたで小さくふさぐようになっていて、大きい穴の方は大きさの異なる四つの輪と丸いふたでふさぐようになっています。上面に二つの穴があって、それが輪とフタの組み合わせになっているのは、多分調理するナベの大きさによって輪を取り外したからかも知れません。たとえば、もちつきでこのマキストーブを使う時、大きい方の穴の全部のフタを外すと、マキストーブの中に羽釜がすっぽりはまります。で、どうなるかというと、ガスコンロで羽釜を使ったりする場合より、はるかに早く熱湯になって、ぐらぐら沸くのです。何しろ、マキストーブの中に落ち込んだ羽釜の半円型の部分すべてで熱を受けてお湯を沸かすのですから、効率は抜群なのです。ただし、背の低いこのマキストーブで煙を出さずに火を燃やすのは少しばかり難しかったりします。たとえば、たき口ではよく燃えているのに、モクモクと煙が出ていたりするのは、もちろん不完全燃焼を起こしているからです。マキの入れ過ぎなのです。不完全燃焼は、マキを並べて重ねて入れてしまっている時にも起こります。マキの重なった部分に空気が回らなくて、不完全燃焼を起こすのです。マキを多く入れ過ぎないで、マキを交差させるようにして、外からの空気が回り易いようにしてやると、ごうごう、ぼうぼう音をたてて燃えるのがマキストーブです。薄い鉄板の安価な(特大、長形70センチのもので約1万円)マキストーブですが、火の管理さえ間違わなければ、暖房はもちろん、あらゆる調理の効率よく、万能の働きをします。兵庫県南部大地震の時に購入することになって、神戸方面の被災者を支援するもちつきで、マキストーブが大活躍してきました。どんな場所でも、火の管理がしやすくて、少ない燃料で確実にお湯が沸かせること、何よりなのは、たくさんの被災者がマキストーブを囲むことになって、手をかざし合って、会話が生まれる光景が、どんな場所のもちつきでも見ることができました。
 大地震の後、幼稚園の庭に建てられたドームテントの中には、本格的なマキストーブが一台置かれていました。鋳物で出来たデンマーク製のマキストーブです。ただ、マキストーブの“命”である煙突が、1メートルにも満たない長さでしたから、マキを燃やすとドームの中が煙ってしまいました。燃やした時の上昇気流で、ストーブの中の空気の流れを良くするという、本来の機能が生きないのですから、結果的に燃えにくいマキストーブでした。ドームテントが撤去された後、ずっとアートガレーヂの奥におかれていましたが、集会室の整備とあわせて、長い煙突付きで設置されることになりました。しかし、1、2度試しただけで、飾り物になっていました。昨年末、焼却炉がマキで焼くパン窯になり、ナラのマキも入手が可能になったため、試しに燃やしてみたところ、思ったよりは良く燃えることが解りました。
 キャンプなどで、マキのカマドを使う場合でも、いきなり太いマキは燃えません。小木と呼んでいる細いスギやマツなどのマキを準備し、マッチから紙、そしてその小木が燃えだして初めて、ナラなどの太くて固いマキが燃え始めます。燃え始めたら、どんどんマキの量を増やせば、必要な火が得られることになります。火は、マッチ一本から始まって、少しずつ少しずつマキの太さ、固さを考えながら必要な火の大きさにしていくことが肝心なのです。
 集会室で使うことになった、本格的なマキストーブの良いところは、燃えている炎が見えることです。一本のマキが燃える時、炎の色も形も次の瞬間には違って見えます。そして見あきることがありません。一本のマキが燃え尽きるのは、一本のマキがただ消滅するのではなく、たとえ短くても生命の営みを見つめることになるのです。マキストーブの耐熱ガラスの窓からは、そんな生命の営みが見えていて、見あきることがありません。
 ギリシア神話の神々の中の神ゼウスは、人間が生活を維持するのに必要な火を彼らに(人間に)与えませんでした。その火を、人間のためにゼウスから奪ったのがプロメテウスです。「・・・髄のあるういきょうの長い茎を取ると、通り過ぎる太陽の二輪車に近づき、灼熱の炎のなかにその茎を差し込んだ。そしてかすかに燃える火口を持って下界にもどってきた。まもなく、積み上げた薪が天に向かって炎々と燃えあがるのをながめたとき、ゼウスはがっかりした」(「ギリシア・ローマ神話」グスターフ・シュヴァープ、角信雄訳、白水社)。このことをめぐるゼウスの復讐とプロメテウスの運命については、いくつかの物語がありますが、人間にとっても“火”の維持は人間という生きものの運命にも計り知れない影響を与えることになります。原子力という火が、制御できなくなった事態もまた、人間と火の歴史の一コマと理解すべきこととして、ギリシア神話のプロメテウスは問いかけているのかもしれません。
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