伏原町の幼稚園の畑では、水仙が咲いて、チューリップなどもほんの少し芽を出し始めています。イチゴは、畝の上にへばりつくようにしてはいますが、少しずつ葉っぱの緑が戻り始めています。そのイチゴに、2月24日の朝、幼稚園の畑の見守り隊の人たち(園芸担当のお母さんたち)と、ビニールシートを被せました。10時からは、新入園予定のプレぽっぽに登録していない18人(出席は15人)の子どもたちとの顔合わせで、お母さんからは最近の子育てへの様子を少し聞いて、子どもたちには恒例になっているペンダントをプレゼントしました。これには、恒例になっているカードも添えて渡しました。
午後は、「ふくしま『世界市民法廷』」に届ける印刷物などを用意する為に、久しぶりに集会室で過ごすことになりました。「ふくしま『世界市民法廷』」は、放射能に脅かされる福島の子どもたちの現実を、広く世界に問い、世界からの支援を求めるために計画される“模擬法廷”です。被災者生活支援長田センター、兵庫県南部大地震ボランティアセンターからは、金澤圭子さん、徳田博明君を2月26日の東京会場に参加者・スタッフとして派遣しました。
そうして過ごしていた集会室に、飛び込んできたのが福永年久さんです。福永さんは、昨年末、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットのコンサートの、賛同団体になってほしいと、やはり飛び込んできて“賛同団体同意書”と“賛同金”を持ち帰りました。飛び込んできて、用件を言って、嵐のように去っていく福永さんですが、なぜか憎めない、というか引き込まれてしまう人なのです。1月26日には、パンを焼いているパン焼き窯のことを聞きつけて、大きなパン窯に驚いて、焼きたてのパンを持って帰っていきました。
2月24日に飛び込んできた用件というのは、死んだ時に西宮公同教会で葬式をして欲しい、という熟考した結果の相談でした。つい最近、同じ障害者として活動してきた、まだ50代の仲間が亡くなって、その葬式に参列したが、それがたまらなく嫌だったので、“俺の葬式は、西宮公同教会で!”という相談です。仲間を葬った宗教団体の葬式(“友人葬”と呼ばれている)が、たまらなく嫌で、居ても経ってもおられなくて、飛び込んできたのです。生前、対等な人間として出会うことがなかったのに、死んでしまった時に現れて、もっともらしく葬式を仕切ったのが“許せない!”と。で、急ごしらえの“遺言状”で、福永年久さんの葬式を引き受ける約束をしました。“遺言状”は2通作成し、福永さんと西宮公同教会が1通ずつ保管することになりました。福永さんが去った後に訪ねてきたのが、深津中学校のN先生です。現在担任をしている1年生が、2年生になった時の“トライやるウィーク”で西宮公同幼稚園を希望する子どもたちがいて、そのことで世話になることの打ち合わせの為でした。深津中学校からは、トライやるウィークでは初めて子どもたちを預かることになります。西宮公同幼稚園を卒園した子どもたちが、学校と直談判して実現することになったトライやるウィークです。若いにしては中学校の教師らしからぬ物腰の先生なので、聞いてみたところ“脱サラ”をして教師をしているとのことでした。どうですかと聞いてみたところ「なかなか厳しい」とおっしゃっていました。子どもたちの直談判に耳を傾けた結果引き受けたりする中学校の教師は、どうであれ厳しいのだと思います。
そんな時に、ひょっこり現れたTくんは、高校を卒業した一昨年4月から社会人をしていて、研修などが終わって現場に出るようになったころから、ひょっこり顔を出して、近況を語って帰っていきます。
2月26日、東京の「ふくしま『世界市民法廷』」に行ってもらうことになった徳田君は、4月から1年間大学を休学し、志願して石巻でボランティアとして働くことになっています。そのことでは、大学の教師などからの「何をしに!何故今!」などの問いに明確に答えられなかったりするのですが、それでも行くという決意で突破しようとしています。その徳田君が、運転免許の取得が遅れていることなどの報告に現れたのが2月22日で、世界市民法廷には広島から東京まで夜行バスで往復してもらうことになっています。
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