「福島原子力事故調査報告書」(平成24年6月20日、東京電力株式会社、以下、東電報告書)を眺めています。「津波よる設備被害のまとめ」は、福島第一原子力発電所の被害について、以下のようにまとめています。「すなわち、原子炉の熱除去が出来なくなり、すべての電動機器は動力源を喪失し、中央制御室の監視機能及び操作手段を喪失し、現場との通信手段がなくなり、照明も無い状態で事故対応を始めなければならなくなった。なお、1~4号機については、代替注水として重要な設備である復水補給水系ポンプは電源の喪失のみならず、モーターの被水のため使用できない状況となった。以上、津波襲来後の設備状況は、事故以来の対応が困難な状態にあったものと言える」。というような設備状況で、1号機の格納容器ベント実施に向けた対応では、「発電所対策本部は、12日0時頃のドライウエル圧力の上昇や放射線量の上昇によってプラントが異常な状態にあるかもしれないとの疑義を持っていたが、4時過ぎには放射線量の上り方から炉心が損傷している可能性が高いと認識した」とその時既に、炉心溶融・メルトダウンがかなり進行していたことが、よそ事のように、のんきな報告書になっています(東電報告書P,130)。しかし、P,139の「水素発生量について」では「炉心損傷が始まるなど、燃料温度が上昇することに伴って、水―ジルコニウム反応等により非凝縮性ガスである水素が発生する。なお、原子炉建屋で水素によるものと考えられる爆発が発生した12日15時36分までの水素発生量は、約890kgである」とし、別に「1号機水素発生量」の“図表”も示されていて、そこには、青い文字で「炉心損傷開始3月11日18時50分」と書き込まれています。1号機の炉心溶融・メルトダウンは、3月11日午後6時50分から始まっていたのですが、東電報告まではちょっとした炉心損傷です。事故から15か月余り経って発表された東電報告書は、この事故は炉心の損傷であって炉心溶融・メルトダウンという理解(表現!)を拒み続けています。東電報告書P,69、70では、「一方、『炉心溶融』『メルトダウン』といった用語については言葉の定義自体が共通認識となっておらず、あたかも炉心全体が溶融し落下している状態を断定、判断するかの意味合いで用いられる懸念もあった」「記者会見において、その可能性を問われた場合には、当初より『具体的に断定・判断するだけの材料がない』『可能性はある』『被覆管が溶融している可能性も含めて対応を検討していく』等と、回答しており、否定し続けた事実はなかった」と、やはり炉心溶融・メルトダウンという理解(用語!)を拒んでいます。東電報告書P,139、140「水素発生量」及び“図表”では、3月11日18時50分頃、炉心損傷開始となっています。取り返しのつかない原子力発電所の事故の取り返しのつかない炉心溶融・メルトダウンは、大地震・大津波の後の早い段階で始まっていたのです。東電報告書P,140「非常用復水器の動作に関する感度解析について」では「パラメータ・スタディとして、非常用復水器が津波到達以降も一時的に動作していたものとした場合の感度解析を行ったところ、炉心損傷や炉心溶融のプロセスが若干遅れた程度の影響はあるものの、最終的な炉心の状態が有意に変わる結果とならなかった」と書かれています。こうして“仮定”の感度解析をわざわざ図表したりするのは、後に、非常用復水器の操作への疑問「何故、すぐに復旧操作を行わなかったのか、という疑問」で追及されることを先取りし、弁解しているように読めます。しかし、そうであったとしても「炉心損傷や炉心溶融」は止めようのない事態は進行していました。東電報告書P,140で書かれているように「最終的な炉心の状態が有意に変わる結果とはならなかった」のですから。
だからこそ、取り返しのつかない原子力発電所の事故の取り返しのつかない炉心溶融・メルトダウンについては、それが重大事故である事実として、一刻も早く発表・報道される必要がありました。「『被覆管が溶融している可能性も含めて対応を検討していく』等と回答しており」と回答している時、既に大量の放射性物質の大気中・環境への放出が準備・始まっていました。他の誰よりも、そこから緊急に避難しなければならなかった人たちは、前揚の“回答”の事実はもちろん、本当に起こっていた炉心溶融・メルトダウンの事実も知らされることはありませんでした。同じように、「炉心溶融を認めず/事態を縮小化」した人たちによって、炉心溶融・メルトダウンになってしまうような原子力発電所の事故の時に、大量に放出される放射能から逃れる為の必要な情報が、そこにあったにも関わらず知らされることはありませんでした。必要な情報が公表されなかった一つが「昨年3月17日~19日、米エネルギー省が米軍機で空から放射線測定(モニタリング)を行って詳細な『汚染地図』を提供した」“汚染地図”です。そんな“汚染地図”が提供されていたにも関わらず、「放射性物質が大量に放出される中、北西方向に帯状に広がる高濃度地域が一目で解るデータが死蔵され、大勢の住民が汚染地域を避難先や避難経路」として選んでいました(6月18日、朝日新聞)。“汚染地図”の放置については、15か月後に「『住民避難に生かされなかったことは誠に遺憾で、反省している』と謝罪」しています(経済産業省原子力安全・保安院、山本哲也主席統括安全審査官、6月19日、朝日新聞)。これについて、板野幸男経済産業相は「被災者に大変申し訳ない」、細野豪志原発相は「大きな問題だ」と謝罪しています(6月20日、朝日新聞)。
「原子炉のなかは非常にダイナミカルで、燃料棒の間を冷却水が毎秒3メートルものスピードで流れている。非常な高圧力で、しかもダイナミカルなシステムで、果たしてどれだけ測定装置に信頼性なり意味があるか疑問である。測定器に全く信頼性がなくなれば、フェイルセイフなどあり得ない」(「巨大技術とフェイルセイフ」武谷三男、1979年6月「技術と人間)。“フェイルセイフ”は、東電福島の事故報告でも、ないがしろにされ、事故から1年5か月経って「放射線実測図」を放置した事実によってもないがしろにされました。
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