「ASAHI津門 人と人および人と自然をつなぐ光の街 小さな福島」の企画、提案
ご承知のように、2011年3月11日の東北の大地震、大津波、その後で起こった東電福島第一原発の事故で原子力発電所の周辺はもちろん広い地域が放射能で汚染されることになりました。
国は、2011年12月16日、東電福島の事故の収束を宣言すると同時に、放射能で汚染された地域の除染そして住民の帰還を方針とし、その取り組みを始めています。人間の力で減らすことのできない、放射能の“除染”は容易ではなく、除染の工程で必要な、汚染土壌を貯蔵する“中間貯蔵施設”の場所などのことでは、未だ具体的な進展が見られないのが現状です。
国が進めている、放射能で汚染された地域の除染、住民の帰還の取り組みとは別に、現在、緊急のこととして求められていることの一つが、放射能で避難している人たち、及び放射能の不安にさらされている人を、中でも放射能に感受性の高い子どもたちの、放射能からできる限り離れた場所への避難であるように思えます。この場合の避難は、放射能という毒の半減期などから、数十年に及ぶものと考えられます。
この放射能からの避難は、東電福島の事故の福島の人たちが負うだけではなく、そして国、及び東京電力の責任はもちろんだとしても、日本という国の大地で生きる幅広い人たちによって担われるべきだと考えられます。放射能に脅かされる人たちを孤立させるのではなく、東電福島の事故によって、降り注ぐことになった、放射能の現実と立ち向かう、一人一人の人たちの意志で、放射能から避難する人たちを迎え入れる体制を作る試みです。
NPO法人 人と人および人と自然をつなぐ企画は、2010年11月、西宮市が呼びかけた「『アサヒビール西宮工場跡地活用提案業務』に関する企画提案競技」に応募、別紙のような企画、提案をすることになりました。提案は受理されることになりましたが、提案理由をより具体的に伝える会議への参加をさせていただくことにはなりませんでした。
しかし、その時の企画、提案は、エネルギー、地球温暖化、食料の自給など、現代社会の危機と向かい合って、現在と未来を切り開く、実現可能な提案であったと理解しています。2011年3月11日の、東北の地震は、大津波、そして東電福島の事故は、その時の企画、提案が更に、普遍的な意味を持っているとの確信を深めることにもなっています。
この度、兵庫県南部大地震ボアンティアセンターとの共同提案で、改めて「ASAHI津門 人と人および人と自然をつなぐ光の街、小さな福島」とし、アサヒビール㈱、及び、西宮市に提案させていただきます。
以下、企画、提案の骨子です。
1、アサヒビール西宮工場が撤収し跡地に、西宮(兵庫・関西)と福島の交流で「小さな福島」を建設する。
2、敷地(約10万平方メートル)は、アサヒビール(株)からの無償貸代、(50年間)とする。
3、「小さな福島」は、福島の人たちと西宮(兵庫・関西)の人たちの協同作業で建設する。
4、「小さな福島」は、大小を問わずその建設を全国に呼びかけ、福島とも連携を取り合いながら、「小さな福島ネット」として輪を広げる。
5、まず、何よりも、誰よりも、子どもたちの「小さな福島」をその一歩として、規模を問わず実現する。
6、「小さな福島」の仕組みの多くは、「ASAHI津門 人と人および人と自然をつなぐ光の街」の企画、提案と重なる。
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