東北支援のパンは、4月からは回数を少なくしましたが、継続しています。10月10日の分は、仙台、会津、福島、三春などに71個届けることができました。
幼稚園の子どもたちは、丹波篠山で栗拾い、黒大豆枝豆の収穫などを体験しました。拾った栗(丹波栗)で、パンを焼いてみました。
庭の柿も色づきはじめています。少しだけ皮をむいて干してみました。オリーブも色づきはじめています。来週には、子どもたちと摘んで、アク抜きをした後塩漬けになる予定です。
次回にパンをお届けするのは、10月25日になる予定です。
お届けしたパンの累計は。10月10日の71個を足して3,762個プラス1,000個(1,000個は2011年6月8日に東電作業員の皆さんにお届けしました)。
東北、中でも福島の人たちとの“交流”を、10月22日~24日にかけ、東京池袋オレンジギャラリーで計画しています。オレジギャラリーでの催しは2年ごとに実施してきましたが、今年は「ずっとずっと ずっとずっと ふくしま」をタイトルに福島・東京・関西との交流が中心になります。10月22日には、埼玉県加須(かぞ)市に避難している、福島県双葉町長の井戸川克隆さんを招き、東電福島の原発事故で追われた人たちの報告をしていただきます。合わせて、双葉町秘書広報課の板倉さんが今年7月に現地双葉町で撮影した写真を展示します。
23日は、福島、東京、関西の子どもたちと保護者(予定では約30人)が集まり、2011年3月11日から始まった生活を語り合ったり、歌ったり踊ったりの交流をします。この交流には「にしきたずっと節」を作曲した、篠山市の井本英子さんがピアノで参加し、「にしきたずっと節」の“にしきた”が“ふくしま”“とうきょう”になって、東京で歌い踊ることになっています。オレンジギャラリーの壁面には2011年3月11日以降に作られてきた詩刺繍、庄司宣充さんに届けたバラの折り紙が福島、東北の人たちに手渡される様子の写真を展示します。また、東北支援のパンを届ける時に同封されたメッセージと写真も展示します。
昨年、郡山で開かれた「ふくしま集団疎開裁判」を支援する集まりで丹波黒大豆枝豆約600セットを配りました。今年はその丹波黒大豆枝豆を庄司宣充さんとエマオボランティアスタッフの協力で仙台のいくつかの仮設住宅、石巻関の入仮設住宅、田村由紀恵さんの石巻立町復興ふれあい商店街、福島では伊達市の飯館村、大玉村の仮設住宅に届けることになります。黒大豆枝豆は篠山市後川の郷づくり協議会が集約し、「NPO法人人と人および人と自然をつなぐ企画」が運んできた大粒の枝豆です。
「福島集団告訴・告発」の委任状は9月22日に、いわき市で開かれた「福島告訴団、全国集会」に、124通直接に届けました。その後も、たくさんの人たちの協力で、約40通集まっています。第2次告訴・委任状を集約する10月15日までに、先に届けた124通に加えて、200通を目標に協力をお願いしています。
その都度の資料の収集、入力、印刷など、たくさんの人たちの協力で発行してきた、「じしんなんかにまけないぞこうほう」は、10月12日現在、177号です。50号ずつを“分冊”になったもののタイトルを「世界の終りの為の備忘録」として、3分冊まで発行しています。書き続ける営みを何よりも自分に問い続け、“備忘録”という言葉で書き続けるその意味を納得できたように思っています。「じしんなんかにまけないぞこうほう、No.177」で言及したのは、全町民避難となっている、福島県双葉町、大熊町、浪江町が計画している「仮の町」です。避難から1年7ヶ月余り、放射能を除染して5,6年後にならないと戻れない人たちが、町の形をとどめたい願いで構想される「仮の町」が、国の法の壁で実現が難しくなっている事実に言及しています。10月22日に埼玉県加須(かぞ)市から足を運んで、「ずっとずっとずっとずっとふくしま」で報告していただく、井戸川克隆双葉町長も、この問題を言及するはずです。井戸川さんの願い・主張は、医療施設や学校など最低限の町の機能を備え、ばらばらにはならない本ものの「仮の町」です。
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