景気がよくないのだそうです。「野田首相はこの日の臨時閣議で『デフレ脱却と経済活性化に向けた取り組みを加速していくことが喫緊の課題となっている』と強調」(10月18日、朝日新聞)。景気がよくないことの指標であるデフレは、「物価の下落とそれに伴う景気の悪化」を意味するようです。経済やその仕組みを解読することは得意ではありませんが、素人なりに首相の指摘するデフレの現実を分析するとこんな具合になります。
①物があり余る程流通していて価格競争が激化して価格が下落している。
②(人件費などが安い)諸外国から低価格の商品が入ってきて、全体の価格を下げている。
③給与が上昇しにくい状況で、消費が低迷し、物が余り価格が下落している。
で、首相の喫緊(きっきん)の景気対策が景気へのてこ入れで、その規模は数千億円になる見直しなのだそうです。国のお金を社会に投入して、金回りを良くし、
物の購買力(量)を増やすことを促し、結果物価を上昇させるのが景気対策ということになります。この景気対策は、“専門家”から見ても少なからず??のようです。
ニッセイ基礎研究所の斎藤太郎・経済室長は景気失速は海外経済の減速が原因であり、『国内で対策を打っても無駄金に終わる可能性が大きい』と指摘。『これまでも効果の薄い景気対策を打ち続け、財政赤字がふくらんできた。財政出動より、対中関係の改善に努めた方が企業や景気にプラスに働くだろう』と話す(前同、朝日新聞)。大きな世界的な流れの中で、大量に物が流通することが経済(繁栄)であると考えられてきたことが、変わりつつあるのだと思います。必要なものが必要な量だけ流通することの自然に戻るべき時、たとえば隣りの国との間で人や物が過剰ではない形で行ったり来たりする、それが「対中関係の改善に努めた方が企業や景気にはプラスになる」の指摘であるように思えます。
そんなあたり前のことが解らない人は、『くまのプーさん』を読みなさい!今からでは間に合わないかも知れませんが。(以下、「ぶんこだより」よりの転載)。
誰か他の人に“おしり”を向けたりするのは、とても失礼なことですが「おしり」が、立派にたくさんのことを語るのが「おしりがいっぱい」(薮内正幸さく、福音館書店)です。いいえ、おしりでないと、決して語り得ない物語が、「おしりがいっぱい」です。どんな動物も、ほとんど例外なく、自分では見ることのできないのが、おしりです。そこで、そのおしりをねらってくるものとの闘いが始まります。追い払っても、追い払っても、その闘いが終わらないのです。なにしろすきだらけのおしりのことですから。ずらっと並んだおしり、そのおしりをめぐる、小さな小さなし、しかしいっぱい楽しめるおしりのおはなしです。
どうぶつのおかあさんが、とても立派なのは、子どもたちに寄り添う位置を決して外さないことです。「どうぶつのおかあさん」(小森厚ぶん、薮内正幸え、福音館書店)は、そんなどうぶつのおかあさんと子どもの様子を、おかあさんと子どもの“信頼”し合う様子として描かれたものです。おかあさんライオンに、頭をくわえられて運ばれる子どものライオンは、さすがに肩にはちょっと力が入っていますが、しっぽはだらっと下がっています。ちょっと緊張していて、しかし任せ切っている、どうぶつのおかあさんと子どもの様子がそのままに描かれるのです。
「こぐまのくまくん」(E・H・ミナリックぶん、モーリス・センダックえ、福音館)のおかあさんぐまは、あれやこれや注文の多いこぐまのことで、手を止められることもありますが、決して拒まないおかあさんです。振り向くし、耳を傾けるおかあさんなのです。結果、どんな難問も解決してしまいます。子どもの“難問”というものは、多くは大人、お母さんの受け止め方次第で解決してしまいます。センダックの絵は、目はもちろん、身体でそんなおかあさんと子どものことを、存分に描きます。
「どうぶつのこどもたち」(サムイル・マルシャーク、岩波子どもの本)。動物園の動物の子どもたち、生まれて間もない動物の子どもたちは一緒にいることは平気ですが、それもほんの束の間で、それぞれの動物としての生き方をはじめます。まだ子どもの、動物たちのことが、短い文章で、描かれた絵の表情・身振りを子どもたちは楽しみます。
「絵本、クマのプーさん」(A・A・ミルンぶん、E・H・シェパードえ、岩波書店)。誰のことも放っておけないプー、気付くのが遅いコブタ、ちょっと暗いが善意のかたまりのようなイーヨー、そしてクリストファ・ロビンが加わって繰り広げられる物語は、問題が起こった時、問題解決とはそもそも何であるかを、子どもの世界、大人の世界、そして時代を超えて教えずにはおかないのです。(センカクだ、タケシマだ、で騒いでいる人たち、「クマのプーさん」を読みなさい!)
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