ふくしま集団疎開裁判11,26仙台アクション(以下、仙台アクション)、仙台高等裁判所第2回審尋報告(以下、第2回審尋)
1.仙台アクション
仙台アクションは、青葉区大町の肴(さか)町公園で始まりましたが、あいにくの雨と、東京からの参加者が事故の為に遅れ、約40人でデモに出発しました。途中、新潟からの約10人、更に東京からの約20人が加わり、仙台弁護士会館までの約3.5キロを「子どもを守れ!」を呼びかけながら歩きました。
2.第2回審尋弁護団報告(案内などでは“第3回”となっていましたが第2回の誤りに)。
①参考人として、山下俊一(福島医大)、矢ケ崎克馬(琉球大)を申請していたが、裁判所は現段階では必要はないとし、直接低線量被曝のことでの議論の場を作ることが出来なかった。また、郡山市が弁護側(当事者)の主張について、“反論”しないことでも、裁判所の指示がなされないことから、裁判所としては本格的に検討することは考えていないのかもしれない。
②滋賀県に一時避難した子どもたちの診断で、大量(医師によれば“無数!”)の膿疱が発見されていたりする事実の報告書を、次回審尋まで提出し、裁判所に本格的な判断を求める。(※参加者29人を、10名の医療チームが診断、17人の子どもたちを「療養性多発膿疱と判定)
③福島県は初期に大量の被曝した可能性の子どもたちの血液検査の結果の発表を、3月としておきながら発表していない。
④審尋は2回で終わらなくて、2013年1月21日(午後2時)、第3回審尋が開かれることになった。
⑤次回までに、当事者の疎開の必要についての立証を大きな目標の一つにする。
3.市民交流会(東北教区センターエマオ)
①弁護団(井戸謙一)。2回の審尋、そして3回目については多くは期待できない状況にある。しかし、結果はどうであれ、この裁判がこの問題(子どもたちの低線量被曝)の大きな一歩になる。この裁判で、日本にあける低線量被曝の問題を理解する上での最前線の情報を提供するという働きも担ってきた。申し立てた人たちの“勇気”でこの裁判は始まったが、昨年12月26日の安全宣言によって、運動の広がりが押さえられてきた。裁判は支援が広がる一方で、行政の強い働きかけで、たとえば福島か避難する子どもたちを、福島に引き戻す強い力にさらされている。
②武藤類子(福島原発告訴団) 郡山地裁の時から“広がらなかった”のは何故なのか。あらゆる意味での情報隠しが広がらなかったことの“何故?”の答えになる。告訴・告発も、立場の違いで分断されていくが、“被害”を受けた者たちが自ら語る機会を作ることで、自ら力を取り戻して行くことになる。告訴・告発して2ヶ月、100カ所で語り続けてきたが、“一人一人が伝えて行く”ことが力になる。第二次告訴・告発は13,262人によってなされている。(12月に入ると、IAEAの会議がいわき市で開催されるが、疎開裁判のデータもこの会議でつぶされていく)。人が力を合わせ、合わせた力で告訴・告発した。その人間的な言葉で語ることが、その人の行為が未来への希望になる。人から人へ伝えることが。それは「『福島原発告訴団第二次告訴』告訴団声明」の中に語られている。(以下、第二次告訴・告訴団声明)。
仙台市七郷中央公園仮設、石巻市立町復興ふれあい商店街交流よもぎもち餅つき会の打ち合わせ
1.七郷中央公園仮設住宅
日時:12月27日(木)午前11時~午後3時
餅米:約30キロを予定
2.石巻市立町復興ふれあい商店街
日時:12月28日(金)午前10時~午後3時
餅米:約40キロを予定
3.石巻市立町復興ふれあい商店街と交流の継続
2012年8月以降、被災者生活支援・長田センター、兵庫県南部大地震ボランティアセンターと、西宮市にしきた商店街の協力で交流が始まっている。この交流を、継続・発展させることについて、会長の梅 さん、田村由紀恵さんと、現地スタッフの庄司宜充さんを含めて協議した。にしきた商店街は、地域の西北活性化協議会の働きと連携しながら、別に現在月2回実施している“にしきた朝市”に、石巻からの参加の可能性、及びその具体化の方向で検討する。同時に、西北活性化協議会の“ふろしき”の石巻バージョンの作成を検討する。交流を更に具体化する為、石巻、被災者生活支援・長田センター、兵庫県南部大地震ボランティアセンター相互に、交流担当者を決めることによって、交流の継続と幅を広げる。その人選などの検討を開始する。
(2012年11月30日、報告書 菅澤邦明)
告訴団声明は「こうほう190号」参照
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