「ゆえに、これらのことどもはいっさい、<わたくしごと>にすぎない。水俣病事件は、わたしにとっては<わたくしごと>の一部にすぎない。<わたくしごと>の一部をもって、公けの事の陰影の中に入るのである」「水俣病患者を抱えている家では、患者が重症であればあるほど、失われた人間性をとりもどしながら生きていた」(「苦海浄土 第2部、神々の村」石牟礼道子)
旧約聖書で、預言者と呼ばれる人たちの中で代表的なのは、イザヤやエレミヤです。神からの言葉を聞いて、それを伝える人たちです。「アモツの子イザヤがユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの世にユダとエルサレムについて見た幻。天よ、聞け、地よ耳を傾けよ、主が次のように語られたから、『わたしは子を養い育てた、しかし彼らはわたしにそむいた。』『ああ、罪深い国人、不義を負う民、悪をなす者のすえ、堕落せる子らよ…』」(イザヤ書1章1~3節)。「ベニヤミンの地アナトテの祭司のひとりである、ヒルキヤの子エレミヤの言葉。アモンの子、ユダの王ヨシヤの時、すなわちその治世の13年に、主の言葉がエレミヤに臨んだ」(エレミヤ書1章1,2節)
マタイによる福音書には、イエスの最後の旅がエルサレムに近づいて、城に向かい城に入る時の乗りものとして、「するとすぐ、ろばがつながれていて、子ろばがそばにいるのを見るであろう。それを解いてわたしのところに引いてきなさい」と、ロバを連れてくるよう弟子たちに求めたと書かれています(21章2節)。マタイによる福音書は、そのことの何故について、それを求めるのは、「こうしたのは、預言者によって言われたことが、成就するためである」と書きます。マタイによる福音書にとって、イエスにおいて起こることは、預言即ち旧約聖書の成就と理解されています。イエスは連れてこられたロバに乗って城に向かいますが、群衆はそれを最大の歓呼の声でもって迎えます。「群衆のうち多くの者は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの者たちは枝を切って道に敷いた。そして群衆は、前に行く者も、あとに従う者も、共に叫びつづけた。『ダビデの子に、ホサナ。主の御名によってきたる者に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ』」(21章9,8節)。ロバに乗って、歓呼の声で迎えられてエルサレムに入ってきたイエスのことで、「町中がこぞって騒ぎ立ち、『これは、いったい、どなただろう』」と言ってイエスを迎えます(10、11節)。旧約聖書で預言者と呼ばれた、イザヤやエレミヤは少なからず社会的で政治的であったのは、彼らの生きた社会を、“罪深い”“不義”などと言っていること、それを神から聞いたこととして口にするということで明らかであるように思えます。しかしマタイによる福音書が「ガラリヤのナザレから出た預言者イエス」と言う時の「預言者イエス」はイザヤやエレミヤのように社会的で政治的であった訳ではありません。しかも、ロバに乗ってエルサレムの城門をくぐるイエスであったにもかかわらず、そのイエスを群衆は歓呼の声で迎えます。「ダビデの子に、ホサナ、主の御名によってきたる者に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ」と迎えられるイエスは、群衆によれば「共に叫び」「こぞって騒ぎ立ち」「この人はガラリヤのナザレから出た預言者」として描かれます。しかし、そこにいたイエスは、ロバに乗る、言ってみれば貧相とでも言うよりない一人の人間でした。そんな人間を、「共に叫び」「こぞって騒ぎ立ち」して迎えたりしたのはその時々に集まった群衆の単なる理解だったのだろうか。大きな歓呼をもって迎えられるイエスと、ロバに乗る現実のイエスの間には、どうしても落差があるのですが、言ってみれば、そんなことには気付かないでマタイによる福音書はそのことを書き残します。あるいは、とまどいを覚えながらも書かざるを得なかったということかも知れません。
ロバに乗ってやってくるイエスを、最大の歓呼の声で群衆が迎えたのは本気でした。しかし、マタイによる福音書が書くように、それが「預言者によって言われたことが成就した」ないしは、「預言者イエスである」と思ったからではありません。たった一人の人の振舞いにすぎませんでしたが、自分たちが奪われ、かつ失っていた人間性を、その一番身近なところで寄り添うことによって取り戻す存在に見えたからだと考えられます。
[バックナンバーを表示する]