日本キリスト教団西宮公同教会・西宮公同幼稚園
教会について
礼拝・諸集会のご案内
小さな手・大きな手
公同通信
教会学校について
公同幼稚園について
どろんこと太陽
関西神学塾:スケジュール
関西神学塾:講師紹介
楽しい学習
賃貸住宅事業部とは
テナントについて
活動内容
アートガレーヂについて
催し物のご案内
リンク
アクセスマップ
お問い合せ
width=1
top>小さな手大きな手
width=639
小さな手大きな手

height=1
2013年01月01週
height=1
 沖縄県宮古島の、宮古島教会牧師、星野勉さんが、亡くなられ、1月3日の告別式に出席することになりました。宮古島教会は、西宮公同教会が取り組んできた宣教協力教会の一つで、他には沖縄県の名護教会、北海道の興部(おこっぺ)教会、兵庫県の城崎教会、成松教会などが宣教協力教会です。宮古島教会との宣教協力関係は古く、星野さんの前の牧師仲尾次清彦さん時代からですから、30年以上続いていることになります。
 告別式では、喪主、友人代表、宮古島教会役員の挨拶など、星野さんと出会い、一緒に生きてきた人たちの心に残る話を聞くことができました。星野さんとは、何かの集まりで言葉を交わすことはありましたが、個人的に付き合うということはほとんどありませんでした。“何かの集り”の時に、たまに短く発言する時の星野さんは、ぶっきらぼうと言うか、多くを語らないけれどはっきりと自分の立場、意見を口にする人でした。その時の立場、意見は全く正論で、その場のああでもない、こうでもないの、少なからずゆるんだ雰囲気を、ぴりっと引きしめる力を持っていました。言葉は少ないけれどその言葉は心に響く、というのが出会った最初の時からの、星野さんの印象で、その後のどんな時のどんな場合も変わることはありませんでした。その星野さんの体調がおもわしくないこと、相当良くないらしいことも聞いていて、12月31日の訃報でした。
 亡くなられる前の様子について、亡くなる前日の日曜日、12月30日病院での星野さんのベッドを囲んでの礼拝と、普天間基地にオスプレイが配備された10月末の礼拝で、泣くということのなかった星野さんが涙を流したと、喪主が語っていました。10月末の礼拝説教では「沖縄にオスプレイを配備する日本が許せない、阻止することができなかったのは残念である」、亡くなる直前の病院のベッドの“5分間の説教”では「平和への道すじを示せないまま、死ぬのは残念である」と、涙を流したと。
 友人代表2人の挨拶は、宮古島での星野さんの働きを、そのままに語っていました。友人の2人は、いわゆるキリスト教会のワクを超えた、地域での働きを共有してきた友人で、そんな仲間の人たちがどんなに信頼できる人であったかを語る言葉からも、星野さんの人となりを改めて知ることになりました。米軍基地、普天間基地移設問題は、沖縄を揺さぶり続けていますが、宮古島も例外ではありませんでした。移設問題が宮古島にも及んだ時、たった一人でも基地反対の横断幕を持って立ち続けたのが星野さんで、一人で立たせてしまうことがあったのは申し訳なかったと友人たちは語っていました。
 告別説教をした沖縄教区議長、竹花和成さんは、そんな行動のできる星野さんの“なぜ!?”について、それが大和人(ヤマトンチュー)の自分に対する厳しい問いであったこと、「大和人(ヤマトンチュー、日本人竹花)には、沖縄人(ウチナンチュー)星野のことは、絶対に解らない。」は、たぶん、竹花さんの「絶対解らない」は沖縄人を生き切る星野さんへ、賛辞と羨望の言葉として聞くことができました。同じ、沖縄人の牧師である、知花正勝さんは「星野はこんなことを言ったことがある。『俺を変えることは、誰にもできない』。何と、傲慢なやつだと思ったが、残念ながら反論できなかった」と、生き方、考え方は違うけれども星野さんと知花さんは“友人”だったのです。
 1月2日、那覇に着いて、3日朝のJTAで少し早めに着いた宮古島は、たぶん30年振りだったと思います。その30年前、先輩の仲尾次清彦さんが宮古島教会の牧師で、宮古島が沖縄体験の最初でした。その時、民宿のおじさんの紹介で、たまたま開催される市民会館の沖縄宮古島の民謡、踊りのコンサートをのぞかせてもらうことになりました。なかなか始まらないで席に座っていると、いきなり後ろから「おまえの頭は、触ると気持ちがいい!(というように、言われたと思う!)」と言われて振り返った時、かわいいおばあ(ちゃん)の手と顔がありました。散髪してすぐの、短くてごりごりする頭は、今でもよく幼稚園の子どもたちに触られることがあります。でも、いきなりおばあ(ちゃん)に触られたのはその時が最初で最後です。その30年前に、宮古島の人頭税の石、地下水をくむ井戸などを案内してくれたのは、宮古島教会役員で、郷土史家でもあった、平良信良さんでした。小柄で、笑顔がやさしかった平良さんを含め「昔の人は、みんな亡くなってしまいました」と、告別式の準備をしている礼拝堂で挨拶をすることになったのが、現在の宮古島教会役員、川満キヨさんでした。川満さんは、「俺を変えることは、誰もできない」と知花さんに豪語した、もう一つ別の星野さんについて、「いつも、寄り添ってくれる先生でした。どんな時にも、寄り添ってくれる星野先生がいて、私は救われてきました」「今朝も、家を出るとき、お父さんに『あなたよりも、星野先生によって、私は生かされてきましたよね“お父さん、そうですよね!”』と申したところ、主人はうなずいていました」「星野先生ありがとうございました」と語っていました。
 告別式でのメモなしの、少なからず正確ではない報告になりましたが、それぞれの方が語った告別の言葉の一端です。隣の島(と言っても、飛行機で30分余り)の石垣島、平真教会牧師の小倉隆一さんには、「よく来てくれた、ありがとう」と温かい手の温かい握手で迎え、送ってもらいました。
height=1
[バックナンバーを表示する]
height=1


フ皃width=80

Copyright (C) 2005 koudoukyoukai All Rights Reserved.