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2013年03月05週
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 東北の被災地に届ける2012年度最後のパンは、3月28日にパン生地をこねるのを小学生たちが手伝い、65個のパンが送られていきました。
 
2012年度、最後になった3月28日のパン焼きは、午前7時45分頃のパン窯の温度は、13℃から始まりました。
 パン窯を覆うようにしてある桜は、寒かったり、暖かかったりの日々の繰り返しの中、咲く花の数が増えています。
 28日のパン焼きの、パン生地をこねるのは、春休み中の小学生約60人が手伝いました。手・指に引っ付いてしまうパン生地を、丁寧に落として集めることを指示された子どもたちでしたが、パン生地をこねた後のボールの周りは、粉やパン生地のかけらが少なからず残っていました。
2013年度になってからの、「国産強力粉と六甲の本物の自然水を使い、白神こだま酵母でこね、マキ窯で焼くパン」は、何とか継続の方向で話し合っています。
お届けしたパンの累計は、3月28日の65個を足して4,376個プラス1,000個です(1,000個は2011年6月8日に東電作業員の皆さんにお届けしました)。

 被災地・被災者の支援は、届けたいと願っても、受け取る被災者が得られなければ実現しません。中でも、直接被災者に届けるのは、公的機関を間にはさむと、相手が見えにくいのが普通です。七郷中央公園仮設住宅のOさんは、パンが届くと一旦冷凍し、次のパンが届いてから解凍して食べる、あるいは、Aさんはジャムよりはバターのほうがおいしいとおっしゃっている、などのことが、東北の被災者にパンを届ける働きでは、繰り返し聞こえてきました。その場合の、何よりの力は「国産こむぎと白神こだま酵母を使い、六甲の本当の自然水でこね、マキ窯で焼いた」おいしいパンそのものにもあったように思えます。パンは、少しだけ近隣の人にも届けられることがあり、中でも、病気の手術の後、何一つのどを通らない状況で、「あの、パンだけが、食べられた」という感謝の声を聞くということがありました。「あの、パンだけが、食べられた」という不思議・奇跡は、すべてが自然の素材で、そして手作りであって起こったことのように思えます。
 焼却炉がパン窯になった大型のマキ窯の、内部は、4個のパンが並ぶトレー2枚ずつ3段に並びますから、1回に24個焼くことができます。それを5回繰り返しますから、合計120個のパンです。パン焼きは、前日の小麦粉、酵母などの計量からはじまり、当日、パン焼き隊隊長は午前8時より前には出勤します。同じ頃に、パン窯の火が燃え始めます。窯の温度は寒い冬は0℃前後から、夏は20℃前後からのスタートになります。
 午前8時30分頃から、パン生地こね班の人たちが集まり始めます。すべて、手作りで、20~30人くらいの人たちがそれに加わります。パン窯の方は、3~4人パン窯班で火を燃やし続けます。火が、ぼうぼう、ガンガン燃える頃になり、時にはひとかかえもある丸太をそのままを使うこともあります。マキ窯に使うマキの大半は猪名川町シルバー人材センターの人たちの好意で提供してもらっています。幼稚園の子どもたちが、篠山市後川に出かけるようになった、その道筋でたまたま伐採作業をしている人たちに出会って(それが猪名川町シルバー人材センターの人たちだった)、声をかけたのが始まりでした。「太いいわゆるマキではなくて、たとえばカシのような固い丸太が欲しい!」という要望に、「用意できてるけど、どうする」と電話をしてくれる人たちなのです。
 大きなパン窯の、大きなマキ窯の、ぼうぼう、ガンガン燃える窯に、もし、このマキ・固い丸太が入手できなければ、パンを焼き続けることはできませんでした。
 そうして、マキを燃やし続けること2~3時間、窯の温度200℃前後になる頃、ふっくらとふくらんだパン生地がマキ窯の中に並びます。大きなマキ窯の内部は、上段奥が高温、下段手前が少し温度が低かったりする為、途中2~3回入れ替えることが必要です。その為の扉を開ける時に、窯の温度が急に下がったりするので、手早く行動するパン窯班の力が試されます。
 そんなこんなで焼き上がったパンは、冷やされた上、一つ一つに、その日のパンのメッセージカードを添えて包装され、送り出されて行きます。その日によって、50~60個から、100個近いパンの発送作業すべてが終わるのは、午後5~6時です。それまでの間、パン焼き隊員の子どもたちは、中には学校から直接幼稚園に戻ってきて、作業の終了を待ちます。
 18年前の、兵庫県南部大地震の時のがれきの焼却の為に導入された炉が、2010年末に、ふとしたことでパン窯に改造されることになったマキ窯パンです。2011年3月11日の、東北の大地震・大津波そして東京福島の事故の後始まった、「直接被災者の手にパンを届ける」は、ほぼ2年間焼くことになりました。被災地・被災者への思いが少しずつ薄れて行く中で、これからも1回でも多く、パンを焼いて届ける働きが継続することを願っています。
 
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