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2013年04月03週
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 憲法を改正する、中でも9条を変えるなどのことが平気で口にされるようになってきました。アメリカのイラク戦争が始まった時、世話になっていた施設から連れ出して一緒に食事をしていた父が「戦争はよくない」と、うめくように口にしたことを覚えています。日本の戦争の悲惨の極限を、パプアニューギニアで体験してきた父です。その戦争が、極東アジアの国々の間のこととして、平気で口にされるようになってきました。
 数年前から始まった、「教会の火曜日」の、「ゆっくりと聖書を読んでみませんか」で、2012年度は「イエスの最後の一週間」「最初のクリスマス」(いずれもJ.D.クロッサン他)を読みながら、イエスの生きた歩みをたどってきました。イースターを前にした、「ゆっくりと聖書を読んでみませんか」で学び得たことをもとに、マルコによる福音書のイエスの「受難」について、「まことに、この人は神の子であった」としてまとめてみました(公同通信、199号、2013年3月18日)。マルコによる福音書がイエスの「受難」について書き残しているのは、「イエスという生きた人間の事実」について、「まことに、この人は神の子であった」という、ローマの百卒長の証言です。極限の悲惨さを引き受けて死んで行く人を目の当たりにした人の証言です。それが、ローマ軍の最前線を闘う兵士の言葉であるところにも意味があります。
 百卒長が目の当たりに見たイエスは、闘うことを拒んで死んでいった人でした。
 東北の大地震・大津波、中でも東電福島の事故は、「世界を所有している」と錯覚した人間の、世界と自然に対する取り返しのつかない冒涜であるように思えます。つい最近も、放射能汚染を溜める貯水槽の漏洩事故が起っています。十分な対策を取らなかった結果の事故です。それは(放射能の)毒が、空や海に漏れ出しても、拡散して薄まれば「直ちに健康被害にはならない」という考え方に基づいています。「世界を所有している」と錯覚してしまった時、世界と自然を毒で汚しても構わなくなるのです。
 「誰も世界を所有してはいけない」として生きたイエス、待ち受けていた極限の悲惨を生きたイエスを伝えるのが、教会の使命であると思っています。
 以下、イエスについて、信仰について、教会についての聖書の言及。
 「そして3時にイエスは大声で、『エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ』と叫ばれた。それは、『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですが』という意味である。」「イエスにむかって立っていた百卒長は、このようにして息をひきとられたのを見て言った。『まことに、この人は神の子であった』」(マルコによる福音書15章34、39節)。
 「8日ののち、イエスの弟子たちはまた家のうちにおり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って『安かれ』と言われた。それからトマスに言われた、『あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい』。トマスはイエスに答えて言った、『わが主よ、わが神よ』。イエスは彼に言われた、『あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである』」(ヨハネによる福音書20章26〜29節)。
 「信じた者の群れは、心を一つにし思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものだと主張する者がなく、いっさいの物を共有していた。使徒たちは主イエスの復活について、非常に力強くあかしをした。そして大きなめぐみが、彼ら一同に注がれた。彼らの中に乏しい者は、ひとりもいなかった。地所や家屋を持っている人たちは、それを売り、売った物の代金をもってきて、使徒たちの足もとに置いた。そしてそれぞれの必要に応じて、だれにでも分け与えられた」(使徒行伝4章32〜35節)。  
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