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2013年05月04週
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 藤原帰一の「時事小言/慰安婦問題」「戦争の何を記憶するか」は、それが素直に言いにくくなっている状況の分析と、必要であることの意味を解りやすく言及しています。(5月21日、朝日新聞)。その「時事小言」が言及するのは、「ヘイトスピーチ」に象徴されるこの国の問題です。日本国内では、どんなに言い放題でも、少ししか問題にならない「ヘイトスピーチ」に、世界は敏感です。「国連の社会権規約委員会は21日、日本に対して、従軍慰安婦をおとしめるような行為をやめるように求めた。一部の排外主義グループが『従軍慰安婦は売春婦だった』という趣旨のヘイトスピーチ(憎悪表現)を繰り返しているのを受けたもので、政府への改善を求めている」「同委員会は発表した見解の中で、日本政府に対して『公衆を教育し、憎悪表現や汚名を着せる表現を防ぐ』ことを求めた。さらに元慰安婦の『経済、社会、文化的な権利や補償への悪影響を懸念する』としたうえで、『必要な全ての措置』をとることも要請した」「朝鮮学校が国の高校無償化制度の対象外となったことについても、『差別にあたる』と批判している」「社会権規約委員会の日本審査では、複数のNGOが国内の人権状況を報告。日本のバンドが『売春ババア殺せ、チョン斬れ』などの歌詞の入った曲を作り、そのCDが韓国の元慰安婦らに送りつけられた出来事も紹介されたという」(5月22日、朝日新聞)。この、国連の社会権規約委員会の要請や批判は「法的な拘束力はないが、政府は誠実に受け止める義務がある」となっています(同前、朝日新聞)。しかし、一つの国が、国際社会、国連から、こんなことで要請され、批判されたりするのは、どう考えても自慢にはならないように思えます。「時事小言/慰安婦問題」では、そのあたりのことを「無謀な戦争が海外で多くの人命を奪い、兵士を含む日本国民に甚大な犠牲を強いたことは事実である。それを語ることは自虐ではない。既に日本国民は戦争とそれに走る政治体制を過去のものとしたはずだ」とし、そして更に「過去の正統化によって、現在の信用を失ってはならない」と考えを述べています。「従軍慰安婦は売春婦だった」や「日本のバンドが『売春ババアを殺せ チョン斬れ』などの歌詞の入った曲を作る」などの「ヘイトスピーチ」は少なくとも国際社会・国連では、そのまま「過去の正統化によって現在の信用を失ってはならない」の、信用を失うを、まさしくそのまま実践していることとして見えてしまうのです。
 なぜ、そんなことになってしまったのかについて、「時事小言/慰安婦問題」は「…その多くが自分の意志に反して戦場に送られただけに兵士にも犠牲者という面があるが、戦場の暴力を担うため無垢の犠牲者とはいえない。日本人ではない犠牲者の経験も、海外はともかく日本では表現される機会は少なかった」、即ち「戦争のすべてが否定されるとき、その戦争を引き起こした責任は追及されなかったのである」が、「戦争の何を記憶するか」のすべてをあいまいにし、国際社会・国連がその「ヘイトスピーチ」に対する要請・批判になるような国、国民になっているように思えます。
 このことで思い起こすのが2010年に亡くなった父のことです。その父(たち)の戦争体験の事実は、公表された公式の記録のどこにも存在しなくて、40年以上前にパプアニューギニアの飢餓の戦場での“つぶやき”としてしか聞こえませんでした。「しかし、『捕虜と逃亡兵は食べてよかった、ハンゴウからはみ出した“肉”を持ち運んでいるのを見た、僕は食べなかった』」(「その歩みに恥じない時間を降り積もらせていきたい」所収、「故松尾俊美告別式式辞」)。こうして“つぶやく”以上のことに口にしなかった「日本軍兵士と日本以外の戦争犠牲者の戦争経験は私的な記憶に留められ、日本国民一般に知られることは少なかった」まさしくそのままの戦争の後を父(たち)は生きることになりました。父(たち)が戦場で生きた“つぶやき”を、公けに口にしてしまったときに待ち受けているのは、彼(彼ら)が生きる社会からの忌避だったはずです。「自分の意志に反して戦場に送られ」飢餓の戦場で自分の意志に反して「捕虜と逃亡兵は食べてよかった」ことを目撃ないし体験することになったとしても、それを“つぶやく”以上のことは許されませんでした。そんな忌まわしいことを口にする人間が自分たちが生きる社会に存在すること、たとえば家族の一員であることは、許さなかったからです。ですから、父(たち)は“つぶやき”以上のことはしませんでした。そして、「日本兵士と日本人以外の戦争犠牲者の戦争体験は、私的な記憶に留められ、日本国民一般に知られることは少なかった」という結果にもなりました。戦争の事実が“つぶやき”だけに終わった時の、もう一つの現実や結果が「戦争すべてが否定されるとき、その戦争を引き起こした責任は追及されなかったのである」です。その結果起こっているのが、「日本の外では、慰安婦を強いられた人々の語りを中心として慰安婦制度が性奴隷制として語られる」のに対して、日本では「慰安婦と売春を同視」になり、更にそれが「ヘイトスピーチ」の「売春ババアを殺せ チョン斬れ」になってしまいます。
 そんなことが、国際社会・国連で受け入れられないのはもちろんですが、それさえ気付かなかったりします。(この項、続く) height=1
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