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小さな手大きな手

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2013年06月01週
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(この項続き)
 日本の太平洋戦争(本来は、朝鮮半島の植民地支配、日中戦争の歴史から始めるべきだが)での体験で、父(たち)兵士が口にしなかったのが、問題になっている「慰安婦制度(戦時性奴隷制)、無防備の非戦闘員・捕虜を大量虐殺した南京事件など、そして父(たち)のパプアニューギニア、ガダルカナルなど飢餓の戦場で起こっていたことです。数年前に出版された「千三忌」(せんぞうき、簾内敬司、岩波書店)は、パプアニューギニアの飢餓と傷病のことを描きましたが、父(たち)の“つぶやき”については言及しませんでした。たぶん“つぶやき”の部分を描き言及しない限り“千三”が極限を、どうして生き、死んでしまったのかについての本当のところは“?・不明”のままのように思えました。
 慰安婦制度、南京事件、そしてパプアニューギニアで起こっていたことを、兵士たちが口にすることがなかったのは、もちろん語ることができなかったからで、悲惨な戦場の悲惨な体験を、口を閉ざしたまま一人心に閉じ込めたまま、元兵士たちは死んでいきました。それは、家族たちと生きるどんな時にも秘密にするしかない、しかし決して消し去ることのできない心の闇としてです。“つぶやき”として聞こえてくる非道について、本気で追求するという人たちもいませんでした。できなかったからです。日本の敗戦と戦後は、そのことを、問うことにはなじまなかったからです。「過ちは2度と犯しません」という“標語”になってしまった戦争に対する責任と「一億総懺」で、すべては終わりにしてしまったのです。とりあえず、反省して謝って終わりにすることで、自ら起こしてきたことの“なぜ”を問わないで済ますという道が選ばれました。そのことに対する異議も出されませんでした。極東軍事裁判でA級戦犯を裁いたり、BC級戦犯が裁かれることはありましたが、“なぜ”が徹底的に追及されることはありませんでした。戦争犯罪を問わないことが、暗黙の了解になり戦争責任も戦争犯罪も、“つぶやき”以上にならなかったのです。もちろん、そんな意味での記録も残されませんでした。で、都合のいいことに、記録も証言もないから、すべては存在しないことにまでなってしまった結果の、慰安婦問題での発言です。
 久しぶりに、本当に久しぶりに「バービィ・ヤール」をCDで聞いています。「バービィ・ヤール」はエフトゥシェンコの詩をもとに作曲された、ショスタコーヴィチの交響曲です(第13交響曲)。手元にあるのは、2000年10月、NHK交響楽団の演奏を収録したCDです(指揮:ウラディーミル・アシュケナージ)。解説書の記注には、「バービィ・ヤール」のこと、エフトゥシェンコのことが短く記されています。
 「バービィ・ヤールとはウクライナ共和国首都キエフ市近郊の渓谷の名。1941年ここにナチスが強制収容所を設けた。同年9月29日、ナチスによるユダヤ人虐殺が始まり、2日間で約3万人が銃殺された。その後は、占領政策に非協力的という名目でウクライナやロシア人にまで虐殺の対象が拡大され、1943年に収容所が撤退するまでの2年間に、犠牲者数は10万人近くにのぼり、その9割がユダヤ人だった。(エフトゥシェンコによる)作戦当時首相だったフルシチョフは、かつてウクライナ共産党第一書記時代に記念碑建立の運動を阻止した過去があるので、『記念碑がない』という冒頭の歌詞は、明らかにフルシチョフ批判」。
 「独唱の最初の4行は、初演後にエフトゥシェンコ自身によって、ユダヤ問題を曖昧化した以下のようなものに変更された。しかし、ショスタコーヴィチは最後まで改訂に応じず、自筆譜は初稿のままである」。以下、その初稿による独唱の最初の4行。
 バービィ・ヤールに記念碑はない。
 切り立った崖が粗末な墓碑代わりだ。
 私は恐ろしい。
 私は今日、あのユダヤの民と、
 同じだけ齢を重ねる。
エフトゥシェンコの原作(詩)は、以下のように書き換えられました。
 今ここに佇むと
 私たちの友愛を認識する気持ちが
 私の中に泉のように沸き上がる
 ここはユダヤ人と共に
 ロシア人やウクライナ人も眠っている
 しかし、ショスタコーヴィチは、最後まで改訂に応じませんでした。バービィ・ヤールの渓谷のできごと、ショスタコーヴィチにとっての交響曲第13番は、「友愛の認識」などではあり得ず、恐怖であり怒りの爆発として作曲されました。「ショスタコーヴィチの証言」(ヴォルコフ編、中央公論社)で、ネクラーソフの言葉を引用しながら恐怖と怒りの爆発を語っています。「そしてネクラーソフはこんなふうに結んでいる。『わたしたちがもっと怒りを爆発させるようになったら、自分自身ではなく、自分の  祖国を、もっとよく、つまりもっと強く愛せるようになるだろう』と」。
 慰安婦制度(戦時性奴隷制)、無防備の非戦闘員、捕虜を大量虐殺した南京事件など、そして父(たち)のパプアニューギニア、ガダルカナルなど飢餓の戦場で起こっていたことが“つぶやき”以上にならなくて、そこから恐怖も怒りも爆発しなかった日本では、ショスタコーヴィチの交響曲第13番「バービィ・ヤール」は生まれませんでした。全く逆に、国際社会・国連で信用を失う「ヘイトスピーチ」を弄する者がいても恥じない国になってしまっています。
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