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2013年06月04週
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 「『コメを守る』は誰のため?」という表題で新聞の論説が考えを述べています(6月16日、朝日新聞「波聞風問」編集委員、原真人)。「減反廃止でコメ価格が下がり、関連の補助金がなくなれば、零細な農家がコメづくりから撤退し、高効率の主業農家に農地が集まり、生産費も減る。減反政策でタブーだった面積あたりのコメの収穫高をふやす品種改良にも、きっとはずみがつくはずだ」「人口の膨らむ世界は食料争奪の時代だ。日本は環太平洋経済連携協定(TPP)入りと減反廃止で、拡大させる農政に切りかえる好機にある」「だがTPP交渉で、はなからコメの聖域化を前提とする安倍政権にその発想はない」「コメを守るのはいったい誰を、そして何を守ることなのか。そこから考えたい」。この新聞の論説の「減反廃止」「拡大させる農政」に切りかわる時、たぶん子どもたちと出掛けている、篠山市後川のコメづくりは難しくなります。後川のコメづくりは新聞の論説の日本の多くのコメづくりと同じように、たぶん「零細な農家」によって担われています。正確な規模は解りませんが、田植えや稲刈りの時の様子を見る限りでは、後川の一戸あたりの田んぼの面積は多くて6〜7反(60〜70アール、約1800〜2100坪)のような気がします。新聞の論説の零細な農家なのです。後川が「高効率の主業農家に農地が集まり」になるには、あの谷合いの後川では農地が狭すぎるように思えます。後川に限らず、日本の多くの地域・山間地の農地(田んぼ)は似たような状況にあります。もともとが「高効率の主業農家に農地が集まり」には、なりにくい条件・状況でコメづくりが営まれていました。「圃場整備事業」で、ほぼ日本中の田んぼは機械が入り易いよう「30メートル×100メートル」の田んぼに作り変えられてきました。一枚の田んぼの面積は大きくなっても、経営規模はそのままで、「零細な農家」に変りはありません。「零細な農家」を支えてきたのが、「関連の補助金」と「兼業」でした。新聞の論説は、この2つがなくなることで「零細な農家がコメづくりから撤退し、高効率の主業農家に農地が集まり」と日本のコメづくりの未来を明るく展望しています。
 で、その展望を、たとえば具体的に後川で、どんな具合になるのか描いてみたりしています。「関連の補助金がなくなり」「高効率の主業農家に農地が集まった」として、約160戸の後川だと、生まれる(残る)主業農家は1,2戸(?)になってしまいます。地域を流れる羽束川を水源に現在の田んぼを中心とする里で生き残れるのは、その程度になってしまうのです。残りの多くの人たちは、生活の場を他に求めることになりますから、もはやそこはその人たちの里でもなくなってしまいます。後川に「高効率の主業農家に農地が集まり」で始まるのは、たとえ収穫の頃に稲穂の田んぼが広がったとしても、それは里の人たちの生活でも光景でもなくなってしまうということです。
 地域が里の人たちの生活の光景でなくなるのは既に進んでいて、後川の場合では、長い間続いていた茶の栽培と茶づくりが、2012年の地域の茶工場の閉鎖で難しくなってしまっていることです。地域の中心を川(羽束川)が流れ、流れに沿って田んぼが広がり、田んぼ・耕作地と里山にはさまれるように住宅が点在する、里・里山の典型が後川です。住宅の“裏”、里山の斜面が後川の茶の栽培地、茶畑でした。手入れが行き届きこんもり刈られて連なるやさしい茶畑の里が後川のもう一つの顔でした。手入れされなくなった茶畑は、緑の低い木を覆うようにしてシダが繁っていました。後川の茶工場が閉鎖されること、茶の栽培が難しいらしいことを聞き心配していました。
 後川では、一昨年から栽培されなくなった茶畑の一部を借り、茶栽培の名人・倉吉衛門さんの助言で茶畑に取り組み始めています。その矢先の、茶工場の閉鎖、栽培の中止でした。里山の斜面に残っている茶畑のこれからに思いをめぐらせていて、そして茶栽培の名人の倉吉衛門さんと相談して実現したのが、倉憲治さんの茶畑での茶摘みです。倉憲治さんは、後川で少なくなった茶の栽培を続けてきた1人です。茶畑は他のすべての野菜、果樹などの栽培と同じで、丹精込めて育てて初めて、いい野菜、いい果物、いい茶葉に育ちます。倉憲治さんは、先代から引き継いだ茶畑をおよそ40年間、見守って手入れして育ててきました。茶工場の閉鎖で倉憲治さんは茶栽培との歴史を閉じることになりました。いくつかある倉憲治さんの茶畑のうち、旧後川小学校から羽束川をはさんだ向かいの斜面の茶畑で、6月13日に茶摘みを志願した人たちが茶葉を摘ませてもらうことになりました。茶摘みには、倉純子さんも顔を出して手ほどきをしたり、手伝ったりしてくれました。そして、「40年間、手入れしてきた茶畑を続けられないのは残念です」「茶摘みはしなくなるけれど、学校からも道路からもよく見える茶畑の荒れた様子は見てもらいたくないから、これからも刈り取るだけの手入れはしたいと思っている」とおっしゃっていました。(以下、次号へ)
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