100冊の絵本⑤
生まれた子どもは、どこかでいきなり形のある言葉に出会うのではなく、あやし言葉から始まって、言葉の体験を重ねます。もっと早く、お母さんのお腹の中で、既に言葉の体験が始まっていると理解したとしても、そんなに間違っていないはずです。ふくらんでいくお腹に手を添えながら、「うんうん、もうすぐだね、まってるよ!」などの言葉で、たぶん赤ちゃんはこの世界の仲間になってもいいと了解するようにも思えます。
そうして、この世界の仲間になった、いい世界のいい言葉の、最初の体験の一つが、赤ちゃん絵本との出会いです。
ですから、赤ちゃん絵本は、あらゆる意味で赤ちゃんの自分のリズムに違和感があったり、理屈っぽかったりすると失格です。あるいは、その絵本は赤ちゃんには早すぎるということになります。赤ちゃんも、いっぱい考えています。しかし、それをつないで思考するのは、赤ちゃんは早すぎます。赤ちゃんの、短い思考の世界に、すぽっと入ってきて、それでもつながっている物語であるのが、たぶん赤ちゃん絵本です。
以下、今月の10冊は赤ちゃん絵本です。
「どうぶつのおやこ」(薮内正幸、福音館)。たぶん、どのページを開いても、赤ちゃんにとってすべては未体験の、驚きの連続の世界であるはずです。しかしそこには、拒むものは何もありません。
「いない いない ばあ」(松谷みよ子のあかちゃん絵本、童心社)。そこに、確かにいるのに、いなくなって“ばあっ”と現れる不思議には、絶対的な安心も約束されています。それを、これ以上ないくらい解りやすく描いているのが、松谷みよ子の「いない いない ばあ」です。
「おつきさま こんばんは」(林明子、福音館)。赤ちゃんは、昼も夜もなく、眠って食べてを繰り返しています。でも、赤ちゃんは、暗いと明るいのことは知っていて、明るいにうんと安心します。
「ころころころ」(元永定正、福音館)。「ころころころ」というやわらかくてやさしい響きに、赤ちゃんは安心して、大好きになります。そして小さな変化に富んだ色のころころが動くのを目で追っかけて、大好きになります。
「ちょうちょうひらひら」(まどみちお 文、にしまきかやこ 絵、こぐま社)。ひらひら、うふふ、えへへ、えーん、…まどみちおさんのやさしい言葉に、にしまきかやこさんが、それにぴったりの絵を描きました。
「ととけっこう よがあけた」(こぐま社)。わらべうたの言葉は、赤ちゃんはもちろん、どんな子どものたちであっても、すとんと入り込んでしまいます。それは、身体と心が生活の中でつながって生まれた言葉でもあり遊びだからです。
「ずかん・じどうしゃ」(山本忠敬、福音館)。初版が1977年ですから、「ずかん・じどうしゃ」は、ずいぶん古い世代の自動車ばかりです。でも、ページをめくる毎に、登場する色彩の車で楽しめる車の図鑑です。(タイヤは黒です)。
「だっこして」(にしまきかやこ、こぐま社)。赤ちゃん、そして子どもたちにとって、不動のそして世界そのものであるのが“だっこ”です。子どもたちをいっぱいだっこしてあげてください。
「ぎったん ばっこん」(なかえよしを 文、上野紀子 絵、文化出版局)。上がったり下がったり、それが、ぎったんばっこんと、絵と言葉で遊べる絵本です。登場するみんなもいい顔をしています。
「くろねこ かあさん」(東君平、福音館)。何度読んでもあきなくて、何度も何度も読んでもらっているうちに、くろねこかあさん一家は赤ちゃんのもう一つの大切な家族になるのです。
絵本が子どもたちの身近に、そこにあるということは、子どもたちの人生・未来に何かを約束するという訳ではないはずです。しかし、いい絵本が身近にあったその時の子どもたちは、間違いなく幸福でした。いいえ、いい絵本が身近にあった時、子どもたちは最高の幸福・至福の時間を生きているのです。以下、俵万智さんの「三びきのやぎのがらがらどん」で過ごした至福の子ども時代です。
「むかし、三びきのやぎがいました。なまえは、どれもがらがらどんといいました。」三歳になるかならないかの女の子が、両手で絵本をしっかりと支えて、大きな声を出している。まるまると太って、輪ゴムをはめたような腕。絵本を見つめるどんぐり目。
本と出会った体験をどんどんさかのぼっていくと、どうやら最後はそんな風景にたどりつく。『三びきのやぎのがらがらどん』というその絵本が、幼い私の一番のお気に入り。当時は文字をまだ読めなかったので、くり返しくり返し、一日に何度も母によんでもらっていた。そのうちに、どの絵のページにはどういう文章、ということを耳から覚えてしまって、私は絵本をめくりながら母のまねをして、嬉しそうに読み始めたのだそうだ。もちろん文字はわからないのだが、それで読んだつもりになっていたらしい。
「チョキン、パチン、ストン。はなしはおしまい」と最後のページをめくり終えて私は「あーおもしろかった!」と満足げに本を置く。この「本を読んだつもりごっこ」は、私の一人遊びの主要なレパートリーだったようである。親バカで両親がテープに録音していたものを後年聞いたが、絵本の文章と一言半句違わない。幼児の記憶力というのはなかなか大したものだと、自分のことながらに驚いた。
(「リンゴの涙」俵万智、文芸春秋)
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