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小さな手大きな手

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2013年10月01週
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 100冊の絵本の6回目の10冊で、日本の作家の絵本を紹介するにあたって、19世紀中頃にイギリスで子どもたちの為に絵本を作った人たち(世界で初めて子どもの本・絵本を作った人たち)の、その時の目標・基準だと、何を選ぶのか考えさせられています。その時の目標・基準は以下のように厳しいものであったと言われます。
 〜Only the beautiful,the pure,and the good 〜、to the sensitive eye and ear of childfood 〜。(絵本お母さんで、絵本おばさんで、絵本の研究家、日本の“ブックスタート”提案者の一人である正置友子さん。前掲の文章は、その正置さんのイギリスビクトリア時代の絵本の研究論文に引用されている文章)。
 子どもの子どもらしさの評価と理解、だからこそ備えている直観的とも言える優れた美意識に対する畏敬の念が、これらの言葉になっています。
 今まで紹介した絵本も果たしてこの目標・基準を満たしているかどうかが問われることになります。全体を振り返って目標・基準を以下1〜4にまとめてみました。
1.登場人物が、ふさわしい人格、似姿を持って描かれているかどうか(老若男女、時代、働き、遊びなど)。
2.背景となる自然が、季節、自然の本来の姿を描き出されているかどうか。
3.子どもたちの絵本で、往々にして登場する動物たちが、その本当の姿を失われないで描かれているかどうか。
4.物語としてのおもしろさと必然性、要するに子どもたちが充分納得できる内容であること(…もちろん、どんな世代の人間にもおもしろく、訴える力があること)。
 たとえば、100冊の絵本,脳匆陲靴拭屬い燭困蕕かんしゃ ちゅうちゅう」は、1〜4の目標・基準のすべてを満たしているように思えます。主人公のちゅうちゅうは、すべて黒の絵で描かれる時に固い鉄であることを文句なしに納得させます。しかし、固い鉄のちゅうちゅうがしゃべりだす時の身ぶりや言葉は、躍動し時には脱線せずにはおれない、そしていたずらの子どもそのものです。そんなちゅうちゅうの日常は、日常の世界だけでは収まりません。収まらない脱線の冒険が始まって、しかし、当然それには終わりがあります。そして、帰るべきところへ帰ってくる時、それまであった日常が、全く新しく見えてきます。成長しているのです。
 というような、前掲の1〜4を満たすと考える日本の作家の絵本を10冊紹介するのが、そこそこ難しかったりするのは、子どもをめぐる生活文化の懐の深さが問われるのだと思えます。
 以下、100冊の絵本Α日本の絵本です。
「じごくのそうべえ」(作、たじまゆきひこ、桂米朝、上方落語、地獄百景より、童心社)。人が死ぬこと、そして極楽、地獄など究極の問題を、上方落語を素材に、おどろおどろしく、しかし、決してそれが恐怖ではなく描かれています。
「キャベツくん」(長新太 文・絵、文研出版)。食べて、それが無くなってしまうのは、とても切ないことです。しかも、いつもそこにあって、副食にしかすぎないのが食べものとしてのキャベツです。キャベツのことは子どもたちもみんな知っています。そんなキャベツが「ブキャ!」と言う時の存在感に子どもたちは大いに共感します。「キャベツくんが『むこうに、おいしいレストランがあるから、なにかごちそうしてあげるよ』といいました」のレストランのテーブルのお皿にはきざんだキャベツも並んでいます。
「ねこのごんごん」(大道あや さく・え、福音館)。誰でも、子どもたちでも自分には、居場所がないと思ってしまうことがあって、不安な日々、旅が始まってしまいます。そしてもし、居場所が見つかった時、それがどんなに大切で、かけがえがないか、人間は(もちろん動物も)骨身にしみて解ります。そうして始まった日々の、生きることの本当の幸福が「ねこのごんごん」には描かれます。そして、生命には終わりがあることを、身にしみて体験しますが、引き受けることはできるのです。
「おしゃべりな たまごやき」(寺村輝夫 作、長新太 画、福音館)。子どもたちは、なんだって自由な“王さま”が大好きです。起きている時も、寝る時も、王さまだったら、自由に自分で決められます。宿題や勉強のことで、あれこれ言われたりしないのも王さまです。王さまとは、そんなものであると同時に、一人ぼっちでもあることが、ユーモアたっぷりに描かれていて、子どもたちは、「おしゃべりな たまごやき」の王さまが大好きになります。
「はじめての おつかい」(筒井頼子 さく、林明子 え、福音館)。ほんのそこまでのおつかいも、それが初めてだと、大冒険になります。歩く道、坂道も、お店に着いて、「これ、ちょうだい」と口にするのも、すべてが大冒険です。でも、みいちゃんは、それをやってのけます。それを可能にしたのは、みいちゃんが生活する町と町の人たちです。今、こんな町は少なくなってしまっています。
「ちいさな ねこ」(石井桃子 さく、横内襄 え、福音館)。ちいさい、ということは、世の中のすべてにおいて危険を生きることを意味します。「ちいさい ねこ」のねこも例外ではありません。“外”の世界に出てしまった時、それは現実になります。そうして直面する現実から救い出してくれるのが大きいねこのお母さんです。「ちいさい ねこ」の表紙の小さいねこは、とても立派に見えます。作者たちは、たぶん、絵本の中で冒険した小さいねこが、冒険の後、一回り大きくなった小さいねこを、そこで描きたかったのだと思います。
「しょうぼうじどうしゃ じぷた」(渡辺茂男 さく、山本忠敬 え、福音館)。子どもたちの町の人気ものは、だいぶん変わったとは言え、赤くて大きい消防自動車の人気は不動です。見上げるように大きくて、必ず大切な働きをする、できる存在なのです。しかし、片すみにいるとはいえ、子どもたちと同じように小さくても、いい働きのできる“じぷた”は、子どもたちの心からのほこりです。
「でんでんだいこ いのち」(今江祥智 文、片山健 絵、童心社)。じいちゃん、とうちゃん、おれと、力いっぱい生きることになった、人間の物語。特別の人生ではなく、そこに、今ある人生を力いっぱい生きた人生を物語も絵も力いっぱい描きました。
「なぞなぞの みせ」(なぞなぞ 石津ちひろ、え なかざわくみ、偕成社)。子どもたちは、なぞなぞが大好きです。“大なぞ”ではなくて、身近なできごとの身近な発見のなぞなぞが大好きなのです。「なぞなぞの みせ」は、お店に並んではあれこれをしっかり見つめれば、解けてくるなぞなぞです。
「11ぴきのねこ」(馬場のぼる、こぐま社)。のらねこというものは、いつもおなかがぺこぺこでした。“たべる”ことが、第一義的な大問題なのです。たぶん、それとよく似た生きものが子どもです。とても単純な身近なことから、子どもに迫り、えぐった「11ぴきのねこ」の人気の秘密はそこなのです。

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