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2013年11月01週
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100冊の絵本
他のすべての生きものと同様、人の子どもも、無一物で、無防備で生まれてきます。しかし、人以外の生きものの多くは、ほんの数か月で独り立ち、一人前に育ちます。一方、人の場合、独り立ち、一人前になるのには、他の生きものたちの、数倍、数十倍の時間を必要とします。たぶんそれは、人という生きものが、他の生きものには決してあり得ない、たくさんの生きる手段を身につけることで、やっと独り立ちし、やっと一人前になれるからだと考えられます。
たとえば、鳥たちの多くは食べられそうなものを見つけ、口ばしだけの働きでそれを食べるという、極めて限られた条件の中で、生命を維持しています(この説明は必ずしも正確ではなく、たとえば体の大きさに占めるカラスの脳は人間と変わらず、あの賢さはその脳によって「行動を再考している」ことが解っています。「カラスの科学」ジーン・マーズラフ他、河出書房)。人は、直立歩行して食べられそうなものを探し、時には狩りをしてそれを手に入れ、更に、調理して食べるという、鳥たちと比べものにならないくらいの手順を経て、食べる、そして生命を維持することをしています。そのすべての手順、手段を身に付ける長い成長の時間があって初めて、それを使いこなすことができる、即ち独り立ち、一人前になれるのです。
更に独り立ちし、一人前になるまでの時間、たくさんの援助を得て育つのも、人という生きものなのです。
この独り立ち、一人前になるにあたって、なかなかやっかいなことの一つが、人としての心の育ちです。善人でも、時には悪人になれる、そんな人の心の育ちほど、難しくて不確実なものはありません。そんな人の心の、善と悪の真の違いを知るのにかすかな道を開くのが、すぐれた物語との出会い、子どもたちだったら、すぐれた絵本との出会いであるように思われます。
以下、100冊の絵本А日本の絵本兇任后
「あいうえおの本」(安野光雅、福音館)。日本語、そしてあいうえおが、音声言語であると同時に、無限に近い物と物語の世界を描くことを、一番初歩の「あいうえおの本」の絵で描きました。「あいうえおの本」の見開きの2ページで、一つ一つの言葉をめぐる物語を、たっぷり子どもたちと共有できる、「あいうえお入門書」です。
「どん どん」(片山健、文研出版)。3才ぐらいの子どもたちは、走り出したら止まりませんから、危険がいっぱいの今の世の中、大人たちは決して目を離すことができません。でも、このものたちは「どん どん、どん どん…」歩き、走るのです。なぜなら、世界のすべての中心に自分がいるからですが、そんなことを思い込める、短い子ども時代を生きているのが子どもというものなのです。
「うたのてんらんかい」(くどうなおこ・うた、長新太・え)。言葉の名人の工藤直子さんと、躍動する生きものたちを描く名人の長新太さんの、うたとあそびの絵本です。
「いちご」(新宮晋、文化出版)。いちごは赤い。赤いいちごは、おいしい。おいしい赤いいちごの、赤い赤い絵本が「いちご」です。すべての生きものに一生があるように、赤いいちごにも赤いいちごの一生がある。「いちご」には、いちごの一生も描かれています。
「森の絵本」(長田弘・作、荒井良二・絵、講談社)。森を歩いたことがありますか。本当の森を歩くと、たくさんの、そして一つ一つが違う、声が聞こえてきます。たとえば、子どもたちは篠山市後川の森で、森の声を聞いてきました。「森の絵本」は、もう一つの森の声が聞こえる絵本です。
「しまふくろうのみずうみ」(手島圭三郎・絵と文、福武書店)。ふくろうたちの生きる森と湖。深い森の静かな湖で、ふくろうたちだけに許される神聖な狩りが行われます。「…深夜にくりひろげられる、しまふくろうの生活のドラマは、太古から変わることのない、いきものの真剣な姿です。私にとって、しまふくろうは、仲間でもあり、生き方を教えてくれる、先生なのかもしれません」(手島圭三郎)。
「100万回生きたねこ」(佐野洋子 作・絵、講談社)。「読みつがれて30年、愛されて200万部」の絵本なのだそうです(10月31日、朝日新聞)。たとえば100万回生きるよりも、たった一回のかけがえのない一回を、他になんにもなくっても雄々しく、美しく、悲しく力いっぱいに描かれているのが、「読みつがれ」「愛される」ことになった「100万回生きたねこ」です。
「たなばた」(君島久子・再話、初山滋・画、福音館)。本当に大切なものを手にするには、代償もなしにはあり得ないことを、本当に大切なものを失った時には、決して取り返しがつかないことが、「たなばた」の物語で描かれています。そんな、とっても深刻なことが、ただの深刻にならなかったのは、初山滋さんの絵の力です。
「はせがわくん きらいや」(長谷川集平、すばる書房)。子どもたちの世界を、“いい話”としてではなく、しかし、ただの「ありのまま」でもなく描いた、「はせがわくん きらいや」は、出版された時、賛否両論があったように思います。しかし、どんな時にも生きることに真正面に向かい続ける、長谷川集平さんの絵本に対する態度は変わりませんでした。
「ぐるんぱの ようちえん」(西内ミナミ・さく、堀内誠一・え、福音館)。幼児期の子どもたちの世界は、何かの目的の為の日々ではなく、そのすべてが遊びであるはずです。失われつつある、そんな子どもたちの世界が実現しているのが「ぐるんぱの ようちえん」です。一番最後の見開きのページに描かれている子どもたちは一人ひとりが自分の居場所で生きている、なかなか「“いい”ようちえん」なのです。
(えんちょう)
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