(前項から続き)
小さな雑誌「未来」(未来社発行)に、「シランフーナーの暴力」(知念ウシ政治発言集、未来社)の“帯”に書かれた「日本人よ、沖縄の基地を引き取りなさい!」が発端となった、発言者である知念ウシと石田雄のやりとりが掲載されています(2013.11.12号、2014.2号)。で、この2人のやりとりの“ズレ”は何なのだろうと考えさせられています。
「沖縄人」である知念ウシの、沖縄と日本及びその関係を理解する時の基本にあるのは「被植民者」と「植民者」で、石田雄の場合、非差別と差別で、「沖縄と日本」(「沖縄人と日本人」)という論の立て方もしません。「シランフーナーの暴力」及びその“帯”の「日本人よ、沖縄の基地を引き取りなさい!」への書評で始まったやり取りは、“ズレ”をかかえて、埋められないまま続いているように読めます。中でも、知念ウシから「被植民者」「植民者」という言葉をどんなに突きつけられても、石田雄は受け入れるのを拒むというか、沖縄と日本は「被差別」と「差別」の関係で置き換えられてしてしまうのです。
新約聖書のイエスについて話す機会があって(「イエスの出来事の実像に迫って」)、確認しなければならなかったのが、彼が生きた時代背景でした。その時代に決定的な影響を与えていた(持っていた)のが、ローマ帝国による支配、植民地支配です。イエスの死刑判決及び死刑執行を直接指示したのは、ローマ総督ピラトでした。聖書の記述によれば、ピラトはしぶしぶ、その執行を指示したことになっていますが、いずれにせよ「ピラトは総督として帝国の司法権の代表者でもあったので、ローマ市民たちに対する絶対の全権を持っていた」し、その全権にもとづいてイエスの処刑を指示し執行します(「イエスの実像を求めて」ハイリゲンタール、教文館)。ハイリゲンタールはその処刑を「誤判に基づく死刑執行」と書いていますが、たとえそうであっても有無を言わさずにイエスの処刑の執行を宣言することができました。どんな異議申し立てもそこでは通用しません。それが植民地支配であり、被植民者と植民者との関係です。有無を言わせない、力による“支配”なのです。
沖縄県名護市長選挙、そして選挙後に政府・自民党によって行使された力です。普天間基地を辺野古に移設することで、選挙中も選挙結果にも徹底してこだわりながら、その選挙結果はどうであれ、選挙後、辺野古移設の手続きを、一つ一つ進めてしまいます。有無を言わせないのです。石田雄は、そのようにして沖縄で行使される力と状況を、差別(被差別)でくくり(言葉化!)ます。
知念ウシが、被植民者、植民者と言う場合、当面の課題は普天間基地、米軍基地の県外移設です。「日本人よ、沖縄の基地を引き取りなさい!」です。植民者の被植民者に対し、有無を言わさず下していく「有無」を問うて行くとき、誰よりも「日本人」に問うのが、「日本人よ、沖縄の基地を引き取りなさい!」です。一方、石田雄は「未来、2014.2」の「知念さんの御批判への応答」で、その知念ウシの「御批判」「『日本人よ、沖縄の基地を引き取りなさい!』というあの本『シランフーナー暴力』の最も重要な問いに答えていない」で、「答えていない」を繰り返しています。以下、その「答えていない」。
「もう一つ、知念さんが『日本人が沖縄から基地を引き取るのは、その植民地主義をやめるステップとして必要です』と言われ、私が植民地という言葉を使わなかったと指摘された点に関して説明しておきます」「比嘉春潮が『人曰く琉球は長男、台湾は次男、朝鮮は三男』と記したように、沖縄は日本の植民地化の第一の対象となっているとも言えるでしょう。沖縄の植民地化後、日本帝国は、自然的膨張のような意識で植民地を拡大しました」とは言うのですが、批判され指摘されている、沖縄と日本にも、非植民者と植民者にも、言葉においても内容においても、同意しません。
「じつは第一の問いかけである『日本人よ、沖縄の基地を引き取りなさい!』に対する対応が明確ではなかった」も、明確にはされません。
「この抑圧移譲の構造を変えるには、大多数の『灰色の領域』にいる人たちが、自分の加害と被害の両面性を意識して、自分より下にいる被害者の力を引き出して、それを自分の被害を生み出している抑圧に抵抗する自分の力とあわせていくことです」と、加害と被害であっても決して植民者と被植民者になったりはしません。
「現実に即してみれば、両集団(「加害者集団と被害者集団」引用者)の境界線は必ずしも明確とは言えないでしょう。個人の意識や行動の面からみれば、沖縄出身の人でなくても、沖縄の人と結婚して沖縄人と同じように考える人もいます」では、加害者集団と被害者集団が言及されて、更に「境界線は必ずしも明確とはいえないでしょう」になってしまうとすれば、知念ウシが指摘した「御批判」はどこへ行ってしまうのだろうか。
「差別反対の運動を有効に展開するためには、『灰色の領域』で抑圧移譲の方向をもっている連続性を逆に利用して、力の方向を反対に向けることです」と、分析し、方向を示したとしても、沖縄と日本をめぐる連続性は、たとえば名護市長選挙の後も、政府・自民党は辺野古への移設手続きで、何もなかったように、一つ一つ進めると宣言し、かつ実行に移します。その有無を言わせない力の行使のどこに連続性を読み取ることができるのだろうか。
「沖縄の声は、たしかに少数者、被抑圧者の声としてそのままでは議会制民主主義の制度のなかでは生かされません。それを運動の面で生かすようにするのは、この制度の中で生きる主権者たち、とりわけ数のうえで多数派に属する人たちの責任です」にもかかわらず、その多数派である日本人は、少数派の沖縄人に対して「シランフーナー(知らんふり)の暴力」をきめ込んでいます。
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