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小さな手大きな手

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2014年03月04週
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沖縄県竹富町が採用している、「公民」の教科書について、町民でもなく、県でもなく、文部科学省が採用を取り消させるのに、法的手段も辞さないと、大臣がコメントしたりしています。建前上は採用の手続きが問題だということになっていますが、本音は竹富町の採用している「公民」の歴史記述が気に食わないからです。文部科学省がねらいとする沖縄に関する歴史記述は、現在の日米安保体制下の沖縄、沖縄の米軍基地を無条件に認めることです。当然、そんな理解ですから、沖縄を戦場として闘うことになった太平洋戦争も、おびただしい沖縄の人たちの犠牲についても「公民」に記述する必要はなくなります。今日、歴史理解や歴史記述が、多様で相対的であるべきなのは、多様で相対的な社会と人間の現実がそれを求めるからです。それは、今、歴史理解、歴史記述に求められる最低でそして必然な条件でもあるのです。
 3月1日に「兵庫教区『伝道』フォーラム」が開催されました。文庫など、いくつもの事情が重なって参加できませんでしたが、参加した人たちの報告、「兵庫教区『伝道フォーラム』第3実行委員会報告」などをもとにまとめたのが、以下の見解です。

「兵庫教区『伝道フォーラム』」開催までの、詳しい経緯が把握できている訳ではありませんが、一昨年の兵庫教区総会に提出された「建議3号、教区の教勢回復に関する件/提案者、高砂教会牧師、手束正昭」「主文、現在進行しつつある急激な教区全体の教勢衰退現象を直視し、これに対する有効的な対策を早急に打ち出すことを求めます」で、提案者高砂教会(牧師、手束正昭)は、それに「有効的な対策」を打ち出さないことを理由に教区の負担金の支払いを何年にもわたって拒んでいます。
 こんな経緯で、「教勢の衰退現象を直視」「有効的な対策」は何か検証すべく実行委員会が組織され実施されたのが3月1日の「兵庫教区『伝道』フォーラム」です。発題と3つの報告、それに基づくシンポジウムが内容になっています。
 発題:日本伝道の『壁』について考える 発題者:川上盾牧師(東神戸教会)
 報告:1.青年伝道について 報告者:手束正昭(高砂教会)
 報告:2.商座術との連携 報告者:石原等(相生教会)
 報告:3.ナイトカフェについて 報告者:上内鏡子牧師と小室雄治(神戸イエス団教会)
 高砂教会が負担金の支払いを拒み、そして教区総会に前掲の「建議」を提出したのは、建議にもある通り「教勢衰退現象」を問題にしているからです。高砂教会は、教勢衰退現象にはなくて、教勢が盛んで(たくさんの人が集まって)多額の負担金を支払っているのに、伝道に本気でなくて衰退している諸教会を負担金で面倒を見ることになっている(と受け止めている)いらだちが、たぶんこの建議の「本音」です。その「本音」が無視される、ないしは聞かれないことに対するいらだちが、たぶん負担金を未納するという手段にもなっています。そうして提出された建議「教区の教勢回復に関する件」を受けて開催されたのが、「兵庫教区『伝道』フォーラム」です。負担金の支払いを拒み続けている、手束正昭牧師(高砂教会)も報告者の一人になりました。
 宗教が、その“教え”を伝える働きを、“布教”(キリスト教の場合は“伝道”)と言ったりします。「伝道フォーラム」は、「“教え”を伝える働き」の検討ということになるのでしょうが、フォーラム開催の誘引になった、建議が問題にしているのは「教勢回復」「教勢衰退現象」です。ですから、伝道であるところの「“教え”を伝える」は、そのまま「教勢回復」と理解されています。高砂教会の場合の「教勢」は、そのまま教区への負担、負担金の増減に直結すると考えられています。いわゆる伝道に不熱心で、結果「教勢衰退現象」を起こしている諸教会の現状、即ち負担する金額が少なくなっている諸教会の現実にいらだって、「教勢」に頑張って負担金も多い、高砂教会は、負担金の支払いを拒む、未納という手段を選ぶことになりました。
 宗教の、その“教え”を伝える働きが、「伝道」即ち「教勢」と考えられるのはあり得ることです。「伝道」即ち「教勢」がその宗教の使命であるとするのも、あり得ることです。しかし、現代社会が、歴史の中で学んできたのは、その理解やその記述が、多様で相対的であらざるを得ないことです。宗教が、その“教え”を伝える働きが、「伝道」即ち「教勢」を、唯一絶対の使命とするのはあり得ないのです。
 手束正昭高砂教会牧師による「建議3、教区の教勢回復に関する件」には教勢回復以外、社会の多様で相対的であらざるを得ない現実については、一切言及されません。
 多様で相対的であらざるを得ない社会が、宗教にも突きつけられているであろう問題には、一切無関心です。関心のすべては「教勢衰退現象」であり、「教勢回復」です。そして「・・・10年後には自立するのが難しくなる教会が続々出現する」ことを心配し、なぜか負担金の支払いを拒みます。高砂教会(手島正昭牧師)的ではないことへのいらだちです。「兵庫教区『伝道』フォーラム」は、そんな高砂教会と諸教会の教会・キリスト教理解がすり合わされる試みの一つとして計画されました。そこに「伝道」という言葉を使ってしまう時、すべては高砂教会(手島正昭牧師)的な、キリスト教・教会理解に取り込まれてしまうように思えます。
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