少しずつ、何かが変わりつつある(何かが起こりつつある)のかもしれません。幼稚園の庭のケヤキは、32年前の園舎、教会(そして住宅)建設の時に、確か二握りの太さのものを移植しました。ケヤキにとって大きな出来事は、20年程前の台風で、園庭の冒険小屋の方に向かって伸びていた太い枝が、引き裂かれるように折れてしまったことでした。太い枝の細い部分は3センチくらいの厚さにノコギリで切り、教会学校の子どもたちが、両面をサンドペーパーでみがき、“ペーパー・ウエイト”として公同まつりの店に並んだりしました。幼稚園の庭では、桜と並んで、ほぼ自然のまま枝を伸ばしています。そのケヤキが、昨年紅葉した後の葉っぱをなかなか落そうとせず、年を越しても、まだ枝に残っていました。そして春、新しい葉っぱの芽吹きは心なしか遅く、葉っぱを広げ始めたものの、枯れ枝が多いように見うけられました。幹のあたりに立って見上げても、枝と葉っぱの間から、空が心なしかいつもよりはすけて見えるような気がします。
障害児・者情報センター(北口西伝道所)の前のビワは、大粒でしっかりした甘みが自慢でした。昨年、ビワの実が小ぶりで少な目でした。ビワは前年の11月頃に開花しますが、心なしか元気がありませんでした。3月になっても、花のままで(そのように見えた)、4月になって、葉っぱが落ち始めました。どんどん葉っぱを落とし続けて、3分の2くらいの枝が、裸の状態で枯れてしまいました。
樹木の、生きものとしての原理からすれば、枝の先まで必要な水分(栄養分)が届かなくなった(届けられなくなった)結果なのだと思います。そうなのですが、ケヤキの心なしか少なくなった枝の若葉を通して見える、あたかもうすい緑のカーテンを通して見える空の青さは格別です。一方、少しだけ残っているビワの枝の先では、少ないとはいえ、枯れた枝とは対照的に、鮮やかな若葉を伸ばして広げています。
しかし、今までにはなかった、ケヤキやビワの様子に、何かが変わりつつある(何かが起こりつつある)ように思えてなりません。
今年、篠山市後川に出かける4月下旬の、雑木林の低木を構成し開花するつつじ(三つ葉つつじ)は、殊更際立っているように見えました。強く主張するのではなく、雑木の若葉のすき間を通し、更に、山裾にゆるやかに孤を描くように、うすいピンクの帯となって続いているのでした。
今までにはなかった、たぶん気付かなかった、つつじの花の様子なのです。
4月28日に、一つには、福島原発告訴団が公害罪でも東電を告訴している集会に参加する為、一つには、7月の芸文のオペラの前夜祭に、飯舘中学の吹奏楽部の生徒を招待するのと、飯舘の小学生に小黒三郎さんの組み木の授業を提案する為(別にアゴラの学童の子どもたちにも)、福島を訪れることになりました。集会の後、福島県警まで上申書を届けるのに、歩き始める前の告訴団団長の武藤類子さんのあいさつは、いつものように澄んだ声での、きっぱりしたものでした。そして、にっこり返して下さった笑顔も、いつものように温かさいっぱいでした。集会・行進には、前双葉町長の井戸川克隆さんも参加していました。目下の井戸川克隆さんの関心と闘いは、原発再稼働・事故対策の条件とされている、周辺住民の避難計画問題で、それが何ら法的根拠を持つものでないことを訴えることです。その主張を、歩きながら、とつとつと語る井戸川克隆さんの、とつとつと生きてきた姿が、たぶん、東電福島の事故前の双葉町の人たちだったように思えます。
武藤類子さん、井戸川克隆さんなどと、福島市民会館から、県庁・県警まで歩く道路沿いの民家などで、除染作業の看板が立って、除染作業が実施されていました。そして、歩いている道路沿いの街路樹の足元に咲くたんぽぽのあたりに線量計を置いてみると、たちまち1μ㏜/hを超え、更に2μ㏜/hを超えてしまいました。そんな放射線量の高い福島市内は、どこを車で走っても、白にピンクのハナミズキが満開でした。
前夜祭への招待と、組み木の授業のことで訪れた飯舘村から避難している先の福島市飯野の中学校・川俣町小学校の仮設校舎の校庭は新しい土で盛り出されていました。飯野も川俣も放射線量は、0.5μ㏜/h平均と言われています。
川俣町に入って気付いたのが道路わきの山裾にずっと続く黄色の低木、山ぶきでした。一重の山ぶきの黄色と、山ぶきの若葉の緑が、道路わきの山裾に帯になって連なっている様子に、思わず車から降りてカメラを向けることになりました。そんな山ぶきの様子に、線量計を向けるという、ぶしつけなことはしませんでしたが、民家から離れたその場所で、放射能の除染作業は実施されないはずです(放射能の除染が実施されることになっているのは、民家及び民家から20メートルの森林に限られている)。
飯舘村・浪江町に隣接する川俣町の、飯舘村の小学生たちが避難する飯坂も、中学生が避難する福島市飯野も、広い地域が放射能で汚染されています。そこでは普通に車が走っている道路沿いの森林の山裾も汚染されています。山裾に咲く山ぶきも汚染されています。放射能の毒ににもかかわらず山ぶきは咲いています。しかし、毒をものともせずにではなく、山ぶきの美しさは、山ぶきを毒まみれにした人間を強く拒んでそこで咲いているように見えました。
放射能の毒とは別に、人間とそこで生きる自然は、何かが変わりつつある(何かが起こりつつある)のかもしれません。その予兆を、ケヤキやビワの様子が伝えているようにも思えます。
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