「美味しんぼ」(雁屋哲、ビッグコミックスピリッツ、小学館)の、東京電力福島第一原発事故をめぐる描写のことが、波紋を広げ、批判されたりしています。
「主人公が鼻血を出す描写があったことについて、安倍内閣の閣僚が13日午前の記者会見で相次いで批判した」
「福島選出の根本匠復興相は『地元住民の感情を鑑みると、非常に残念で遺憾だ』と指摘。放射能の不安をぬぐい去るための『リスク・コミュニケーション』(リスク教育)の充実を求めた」
「同じく福島が地元の森雅子消費者相も『根拠のない差別や偏見を助長する』と懸念を表明した」
「太田昭宏国土交通相は『表現の自由は大切だ』としつつ、『風評を懸念する福島の心情を理解する必要がある』と強調」
「下村博文文部科学相は『放射能に関する国民の科学的理解の向上に努め、風評が広がらないようにしたい』、石原伸晃環境相は『ホームページなどを使い、正しい情報を発信したい』と語った」
「福島県は12日、ホームページに載せた見解で、小学館に対して強く抗議『原発事故で放出された放射能物質に起因する直接的な健康被害が確認された例はない』とも指摘した」
「同日午後には自民党県連や民主党県議らでつくる会派が相次いで抗議声明を出し、菅義偉官房長官も記者会見で『住民の放射線被曝と鼻血に因果関係はないと、専門家の評価で明らかになっている』と断じた」
(以上、5月13日、朝日新聞)。
「美味しんぼ」の、東電福島の事故をめぐる描写の波紋、及び批判は、何かが欠落していて、一つ一つが過剰であるように思えます。
1.批判の多くは、放射線被曝についての言及が直接の症状、因果関係を認められないことを理由に安全という結論になってしまっている。
2.事故の何よりの当事者である東電の責任を棚上げし、事故の結果、生活が根こそぎにされている人たちの被害、不安がそれだけで存在するような非難になっている。
3.「美味しんぼ」の描写・表現が見つめようとする、不安の根っこにあるものを、結果的に一切見ないで、心情的に不快をあおる一方、不快の源のすべてを「美味しんぼ」のせいにしている。
以下、1~3の、それぞれについての考案。
1.放射能による被曝の危険を、「放射性物質に起因する直接的な健康被害が確認された例はない」「住民の放射線被曝と鼻血に因果関係はない」などで言い切れてしまう安易さ。
①、日本なども構成国である、国際放射線防護委員会(以下、ICRP)は、一般公衆の被曝の上限を1m㏜/年としている。福島県飯舘村の場合、東電福島の事故から3年経った今も、村のほとんどの地域が、0.5μ㏜/時で、ICRPの1m㏜/年をはるかに超えており、それが理由で全村避難になっている。全村避難の対象で、子どもたちの姿が見えない村立臼石小学校の校門付近は、それをはるかに超える2.5μ㏜/時前後の放射能が検出されている。なのに放射性物質に起因する健康被害や、放射線被曝と健康被害の因果関係は考えられないのであれば、住民の避難は解除されていいことになる。
②、起因しない、ないしは因果関係はないとする考え方は放射線の持っている、“桁違い”のエネルギー(被曝)が人間の細胞に対する影響の理解が欠落している。人間のDNAが働く為に必要なエネルギーは「数エレクトロンボルト(ev)」。東電福島の事故で放出された放射性物質の一つである、セシウム137のエネルギーは「約661キロev」。そのセシウム137に被曝が人体に影響を与えないはずはないし、ICRP2007年勧告の「年間およそ100m㏜を下回る放射線量をおいて、委員会は確率的影響の発生の増加は低い確率であり、またバックグラウンド線量を超えた放射線量の増加に比例すると仮定する。委員会はこのいわゆるしきい値なし直線(LNT)のモデルが、放射線被曝のリスクを管理するもっとも良い実用的なアプローチであり、“予防原則”にふさわしいと考える」も、それらに基づいている。当然、村のほとんどが0.5μ㏜/時である飯舘村などは、たとえ少量の被曝でも、リスクを否定できないため全村避難になっている。
2.「美味しんぼ」で起こされている波紋、批判、抗議のすべては、事故の当事者及びその責任を素通り、ないしは棚上げにしている。「直接的な健康被害が確認されない」「因果関係はない」などと、一つの表現活動が取り上げられる、その元になっているのは東電福島の重大事故。避難している人たちを除染して帰還させる場合の区分けと被曝線量。
50m㏜/年以上 帰還困難区域
20~50m㏜/年 居住制限区域
2~20m㏜/年 避難解除準備区域
要するに、健康被害が予測されるからこそ、困難、制限、準備などの制約が課せられている。あるいは せざるを得ない。にもかかわらず、これらのことが事実になっている事故の当事者であり、最大の責任者・加害者である東電をめぐっては波紋、批判、抗議などのことが前掲のどこからも起こらない。
3.波紋、批判、抗議は被曝と健康被害の因果関係について、「確認されない」「ない」と“矛先”を「美味しんぼ」にしぼっている。向け方、しぼり方も福島県の場合「原発事故で放出された放射性物質に起因する直接的な健康被害が確認された例はない」と、殊更「健康被害が確認されない」を強調する。しかし、東電福島の事故に関連し、福島県内・外に避難している人たちは約13万人。すべての町民が避難している双葉町の場合、町の大半は50m㏜/年以上の帰還困難区域。にもかかわらず、福島県が殊更強調するように、双葉町も「直接的な健康被害は確認された例はない」ということになる。それより何より、双葉町は町の大半が50m㏜/年以上の帰還困難区域。放射能による直接的健康被害はもちろん大問題だが、同じように、それに負けないくらい大問題であるのは、町の大半が50m㏜/年以上で、放射能が理由で全町民が町に住めなくなっている事実。もちろん、原因は東電福島の事故。健康被害が問題になるのも、全町民が避難することになっているのも、元々すべての理由は、東電福島の事故。約90万テラベクレルと発表されている(東電・事故報告書)放射線物質が東電福島から放出された結果。その毒の為、全町民が有無を言わさず町を捨てざるを得なくなった。それらすべてをそっちのけで、「美味しんぼ」だけが殊更に槍玉にあがっている。前掲 “閣僚”による批判も相次いでいる。
「地元住民の感情を鑑みると、非常に残念で遺憾だ」(根本匠復興相、福島選出)。東電福島の事故で、双葉、大熊、浪江、飯舘などの大半の「地元住民」は町に住めなくなっている。それこそが「地元住民の感情を鑑みると」、「…遺憾の極み」というよりないのに、やっぱり問題は「美味しんぼ」です。「根拠のない差別や偏見を助長する」(森雅子消費者相、福島が地元)。
「根拠がない」ではなく、原発立地市町村はもちろん、福島県内など広く降り注いだ、当初約90万テラベクレルと言われる放射線物質のことだとすれば十分過ぎるくらい根拠になっている。「風評を懸念する福島の心情をよく理解する必要がある」(太田昭宏国土交通相)。「放射線に関する国民の科学的理解の向上に努め、風評被害が広がらないようにしたい」(下村博文文部科学相)。一貫して言われている、「風評」や「風評被害」は、根拠がない訳ではなく、大ありで、降り注いだ約90万テラベクレルの放射能の毒こそが、福島の生活と心情を根こそぎにしている「実害」。「美味しんぼ」による「風評」「風評被害」が、たとえあったとしても、東電福島の重大事故がまき散らした途方もない放射能の毒こそが、「風評」「風評被害」の根源であって、その事実は、誰もどんな手も打ちようがない「実害」(汚染水問題で露になっているような)になっている。
以上のように、「美味しんぼ」が槍玉に上げられる時、「美味しんぼ」そのものに何か問題であるより、事故そのものの方がはるかに大問題であると同時に、「美味しんぼ」に対する攻撃は、東電福島の事故の事実を隠ぺいすると同時に、「不快」を理由に表現する営みを抹殺する役割を果たすことになります。
「…それに対して、不快の源そのものの一斉全面除去(根こそぎ)を願う心の動きは、一つ一つ相貌と程度を異にする個的な苦痛や不愉快に対してその場合とその場合に応じてしっかり対決しようとするものでなくて、逆にその対面の機会そのものを無くして言おうとするものである。そのためにこそ、不快という生物的反応を呼び起こす元の物そのものを見て一掃しようとする。そこには、不愉快な事態との相互交渉が無いばかりか、そういう事態と関係のある物や自然現象を根こそぎ消滅させたいという欲求がある。恐るべき身勝手な野蛮と言わねばならないであろう」(「全体主義の時代経験」藤田省三)。
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