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小さな手大きな手

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2014年07月01週
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古い「六法全書」の(昭和61年頃、小六法、有斐閣版だったと思う)、日本国憲法の項は「日本国憲法公布の勅語」で始まっていました(いたと思う)。「この憲法は…国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された国民の総意によって確定されたのである。即ち、日本国民は、みづから進んで戦争を放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が実現することを念願し、…眹は、国民と共に、全力をあげ、相携えて、この憲法を正しく運用し、節度と責任を重んじ、自由と平和とを愛する文化国家を建設するやうに努めたいと思ふ」(昭和21年11月3日「正文訓読、近代詔勅集」村上重良 編、新人物往来社)。この「勅語」は、同じ有斐閣の「平成14年版、六法全書」では、掲載されていません(削除)。条文の冒頭の「日本国憲法」(以下、いわゆる前文)は、日本国憲法の何たるかの定義から始めます。「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通して行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存在することを宣言し、この憲法を確定する」「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理念を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」。「勅語」の「みづから進んで戦争の破棄」は「前文」では「政府の行為によって戦争の惨禍が起こらないよう…」と言い換えられていますが、「諸国民と協和」を何よりも尊重する強い意志が示されています。「前文」ではこのことが繰り返し言及されます。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」。「戦争の放棄」「戦争の惨禍が起ることのないようにする」は、平和はそこいらへんにごろんところがっているのではなく、「積極的」に恒久の平和を念願し、「積極的」に人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚し、「積極的」に平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し、「積極的」に平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位をしめたいと思い、「積極的」に全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認しと、すべてにおいて「積極的」なのです。こうして、すべてにおいて「積極的」なのは、「勅語」が「国家再建」を、「前文」が「戦争の惨禍」を言及する戦争で、失うものが余りに大きく、取り返しのつかない体験をしてしまったことに基づいています。だからと言って、戦争によらない道、平和が、そこいらへんにごろんところがっている訳ではないとする強い自覚と、意志を、「積極的」に述べるのが、「勅語」であり、「前文」です。
 こうして国際、国家間の関係を戦争ではなく、「積極的」に平和を愛する諸国民の公正と信義に、「積極的」に「信頼」する国民国家のあり方を、「積極的」にゆがめるないし方向転換するのが「集団的自衛権の行使を容認する閣議決定」です(以下、閣議決定、 2014年7月1日)。そうして、ゆがめるないし方向転換を象徴する言葉が「積極的平和主義」です。意味するところは、とっても単純で明解です。自国あるいは、自国の利害に直接関わることであるのなら、平和の為の戦争、平和の為の武力の行使を辞さないのが、「積極的」平和主義です。「安全保障環境が更に大きく変化する中で、国際協調主義に基づく『積極的平和主義』の立場から、国際社会の平和と安定のために、自衛隊が幅広い支援活動で十分に役割を果たすことができるようにすることが必要である。また、このような活動をこれまで以上に支障なくできるようにすることは、我が国の平和及び安全の確保の観点からも極めて重要である」(前掲、閣議決定)。日本国憲法の「勅語」も「前文」(もちろん憲法9条も)、どこをどう読んでも平和の実現は、「積極的」に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」であって、「自衛隊が幅広い支援活動で十分な役割を果たす」ことだとは書かれていません。平和とは似て非なるものを、「積極的」に押し進めることを、平和と結びつけて、言葉を弄することで、信頼ではなく武力の行使に突き進むのが「集団的自衛権の行使を容認する閣議決定」です。
 その閣議決定“全文”のどこにも、たとえば「勅語」や「前文」が言及する、他国への侵略と戦争の惨禍が、それとして言及されることはありません。「閣議決定」後の首相会見で「2度と戦争の惨禍を繰り返してはならない」、そして「平和国家日本を作り上げてきた。その歩みはこれからも変わらない」が、そのまま「積極的」「平和主義」ですから、「戦争の惨禍」が近隣の国々、国民に取り返しのつかない惨禍を強いた事実は、何一つ振り返ることも言及することもありません。閣議決定の「積極的」「平和主義」は、「戦争の星」の積極的な戦争の仲間であることの「諸国民」への公言に他なりません。

 


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