8月1日の、「日本復興ソウル・フラワー・モノノケ・サミットのコンサート」で、歌われた歌の一つが「パレスチナ」です。
それは、こんな歌でした。
大地が孕んだ風の子よ
み空が孕んだ風の子よ
虚空を射抜くまなざしと
祈りの詩(うた)は放たれた
砂塵が孕んだ風の子よ
瓦礫が孕んだ風の子よ
虚空を射抜くまなざしと
祈りの詩は放たれた
分け隔つ壁 世界の争い 悲しみのつぶて
憤怒の声は 蹴上げるように
大地を震わせた 約束は描かれた 尊厳を賭けて
襲いかかる雷鳴の
恐怖の夜が刻まれた
虚空を射抜くまなざしと
祈りの詩は放たれた
踏みにじられたカナンの地
伐採されたオリーブの樹
虚空を射抜くまなざしと
祈りの詩は放たれた
ブーヘンヴァルト ビルケナウ
ラッマーラ ジュニン ベツレヘム
ワルシャワ ダッハウ マムダネク
ナブルス ラファ ベイトジャラ
歌われている「襲いかかる雷鳴の 恐怖の夜が刻まれた」は、7月9日から始まった、イスラエルによる戦争そのものです。そんな戦争が、ガザのパレスチナ人たちにとって新たな現実になりました。8月3日現在1,800人を超えるパレスチナ人が犠牲になった戦争で、イスラエルは地上軍の大半をガザから撤退させました。「パレスチナ自治区がガザに侵攻しているイスラエル軍は3日、地上部隊の大部分をガザから撤退させた」「だが、ハマスが要求するガザの境界封鎖の全面解除が実現する可能性は低い」(8月4日、朝日新聞)。ガザはパレスチナの人たちの「自治区」です。ガザ全域をイスラエルが高さ7メートルの分離壁で囲いパレスチナ人の一切の出入り、物資・資金の出入りを封じています。ガザの「境界封鎖」です。イスラエルの戦争の目的は、空爆と砲撃でガザのパレスチナ人の生活(住居や生活手段)を、破壊し尽くすことです。繰り返されるイスラエルによるガザの戦争で、パレスチナ人の生活は破壊されています。破壊された、生活の再建を不可能にしているのが、「境界封鎖」です。「ラシャのガザ戦争は6日目」は空爆の恐怖と、停戦への願いが書かれています。「私たちはもう十分に苦しんでいるし、この苦しみを和らげるいかなる行動もとっていきたい。少なくともこの2006年に押し付けられたガザの封鎖は解きたい。長年の苦しめられた停電や電力不足の問題を解決したい。封鎖された国境が開放されて、長年滞っている交易を再開させたい。壊滅した家々や施設を再構築するためのコンクリートなどの資材がガザに入ってきてほしい」。という、あたりまえの願いを、イスラエルの「境界封鎖」が踏みにじっています。ガザはパレスチナ人たちの「自治区」です。それを一方的に封鎖してしまうのは違法です。その「違法」がパレスチナでは繰り返しまかり通ってきました。国連は、繰り返しイスラエルの違法を許されない決議をしようとしてきました。しかし、その決議のすべてを葬り去ってきたのが、米国による拒否権の行使です。
8月1日に、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットが歌った「パレスチナ」は、「襲いかかる雷鳴」という名の、空爆と砲撃による破壊で蹂躙されるパレスチナ人との連帯が強い意志が歌われています。繰り返される空爆と砲撃はパレスチナ人が生活する村や街を「砂塵が巻き上がり」「瓦礫」の大地にしてしまいました。そのイスラエルの戦争で、村や街が破壊され、2000人近い老若男女の命が奪われることがあっても、圧倒的な力の前で、なす術もないのがパレスチナです。そうして、圧倒的な力の前で奪われていく命、自治を踏みにじる理不尽になす術がなかったとしても、全くすべてにおいて屈服するということがなかったのがパレスチナの人たちです。歌われた「パレスチナ」は、驚きと共感を持って、パレスチナの人たちに連帯します。
大地、み空、砂塵、瓦礫が…、孕んだ風の子として。
虚空を射抜くまなざし、祈りの詩は放たれたと。
悲しみのつぶてとなり、憤怒の声は蹴上げ。
大地を震わせた、約束は描かれた 尊厳を賭けて。
イスラエルによって奪い取れる限りのものが奪い去られるとしても、「虚空を射抜くまなざし」と「祈りの詩」は、人間として生きる尊厳を奪うことはできない、そんなパレスチナ人との連帯を歌うのが「パレスチナ」です。
「パレスチナ」の最後には、ナチスによるユダヤ人絶滅収容所、ブーヘンヴァルト、ビルケナウ、ワルシャワ、ダッハウ、マイダネクと並んで、イスラエルがパレスチナから奪い、パレスチナ人を虐殺してきたパレスチナの村や街、ラッマーラ、ジュニン、ベツレヘム、ナブルス、ラファ、ベイトジャラの名前が歌われます。どこかで、歯車が間違って回った時、ナチスによって絶滅の対象になってしまったユダヤ人・イスラエルが、全く同じことをパレスチナ人に行使している絶望を、「パレスチナ」は全身全霊で歌うのです。
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