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小さな手大きな手

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2014年10月03週
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 「木工のはなし」(早川謙之輔、新潮文庫)で、「小刀(こがたな)」の項を読んで、それからはエンピツを削ったり、竹を削ったりするのも小刀にもどることになりました。元々は、小刀を使っていたのですが、子どもたちの野外活動では、安価で使いやすい、替刀式のクラフトナイフ(オルファ製)を使うようになっていました。「木工のはなし」を読んで、手持ちの3本の小刀を研ぎなおしたうちの、古い方の1本がなんともいい切れ味なのです。それからは、子どもたちの野外活動で、クラフトナイフを紹介することはあっても、自分ではずっと小刀を研いで使っています。古い方のそれは、いつ頃から手元にあるのか記憶はありません。少し小振りで柄(え)の部分も鞘(さや)の部分も黒茶けているのですが、なかなかの切れ味なのです。エンピツの場合だったら、どんな角度で削っても、ツルンとしている感じがうれしいのです。竹でハシの場合だったら、最初から仕舞いまで引っかかることなしに、スルスルッと流れるように削れ、真直ぐに仕上がっているのがうれしくなります。クラフトナイフでは、決してできない業です。古くて、細身で、軟弱に見えるのに、その小刀は何度研いで使っても、他の小刀とは比べものになりません。
「木工のはなし」には、早川謙之輔の木工作品が紹介されています。それが、白黒写真であるのは残念ですが、盆3点、小箱、文机など、それぞれ、それはそれは見事な木目の木も使われています。「盆3点」は、材も形も違います。その違いも見事なのですが、負けないくらい、選ばれた材の木目が見事なのです。
 「木工のはなし」で、改めて小刀の威力に出会い、更に、木が板になった時の模様(木目)についても強い関心をもつようになりました。5、6年前に、ホームセンターで仕入れてきた長さ2メートル、巾20センチ、厚1.8センチのSPFの板の年輪の多さに、本気で数えてみることになりました。端の方の1センチの間に、約40の年輪を数える(とても数えにくかった!)ことができました。たった400円ほどのそのSPFの板の、端の部分の1センチが育つのに、40年かかっていたのです。そのことを気付いてから、使ってしまった後の切れ端を、長さ10センチ、厚さ1センチ、巾1.8センチに磨き上げてストラップにしました。たぶん、その年の公同まつりのえんちょうの店で、10数個販売することになったはずです。
 久しぶりに、木片を削って、“木(キー)ホルダー”を作っています。篠山市後川で一部を借りることになった、旧製材所には、どの壁にも製材の時の端材が立てかけられています。端材は旧製材所の持ち主の許可を得て、パン窯やマキストーブの火つけ用に使わせてもらっています。桧や松などの板を少しだけ組み木用にも使わせてもらっています。そうして見つけてきた板を手にしていて、2種類のめったにない木目に出会うことになりました。いずれも、輸入材の松(一般には米松と呼ばれる)、床板や垂木などとして使われている材木の端材です。一枚は、1ミリに3、4個の年輪がきざまれていて、もう1枚(1本)は木目の一部がくっきりと波打っているのです。「木工のはなし」で言われている「…拙作の栗の机は、長さ180、幅80センチであったが、くっきり目立った木目は複雑な中杢であり、加えて縮杢も散らばっていた」のたぶん「縮杢(ちぢみもく)」に相当するのだと思います。それは、輸入材の米松です。縮杢の米松の10センチ幅の板の年輪は、年輪の数は少ないのですが、ほぼ真直ぐです。年輪はもともと輪であるのを想像してみる時、かなりの巨木ということになります。北米のどこかの高山地帯で強風に晒されながら数百年育って、あっという間に伐採され、重機で運び出され、船に乗せられ、日本のどこかの港に陸揚げされ、数年間水に漬けられ、遂には製材され、角材、板となった果ての端材に違いありません。たまたまそれを見つけ、刻まれた年輪の数、波打つ年輪に驚くことになりました。それらの木片で、久しぶりに“木(キー)ホルダー”を作ってみることになりました。
 1センチにおよそ40の年輪をきざみ、300〜400年、風雨に耐えて生きてきた木が、人間の手によって製材・利用される時、時にはずいぶん多くが端材、木片になってしまいます。「鋸(のこぎり)や鉋(かんな)を使っていて考えることだが、美しく仕上げるために、あるいは必要な寸法を出すために、切って捨てたり、削り取ったりする時、今削っている面は削り屑となり、その下の面が表面になるのだと思う。またひと削りするとその状況が変る。木はほんの一面だけが表面に出ていて、その厚さの中に無数の表面に成り得る面が隠れている。鉋屑となって消える面が表面を迎えるための重要な役割を果たしているとしても、鉋屑は哀れである。おが屑も同様である。しかしそれは無垢なるがゆえ、若干高貴な悲しさがある。残った木は深い底力を見せるのである」(前掲 早川謙之輔「木工のはなし」)。木工職人として、材料としての木だけでなく、生きものとしての木とも向かい合って、木が育った大地、生きものとしての木の育ちにも深い関心を持って生きた人間の心が、鉋屑、おが屑にも届いているのです。確かに、1センチに40の年輪、言うところの縮杢(ちぢみもく)は見事です。しかし、どんな端材の木片にも、年輪は刻まれています。もし、それを磨けば、年輪が浮き上がり、温もりのあるつるんつるんの肌ざわりになります。そんな木片の“木(キー)ホルダー”を子どもたちと作っています。
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