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2014年11月02週
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「『JK産業』と少女たち」のタイトルの新聞記事(オピニオン、11月6日朝日新聞)を眺めていて、なつかしい名前を見つけました。阿蘇敏文さんです。阿蘇敏文さんとは、40年近く前から日本基督教団のいろんな会議でよく会うようになりました。個人的に付き合うということはありませんでしたが、いわゆる教会というよりは、人間の生きる現場が教会で、そこで働いている牧師という印象の人でした。だからと言って、その事で決して声高に語るのではなく、普通にどこででも聞けそうなしゃべり口で「菅澤さん」と声をかけてくれる人でした。ただ、自分の芯のところにある生き方や主張は決して曲げることのない人だったように記憶しています。ほんの少し年上のはずの阿蘇敏文さんが数年前に亡くなられたことは、それとなく聞いていました。
 その阿蘇敏文さんのことをオピニオンのインタビュー記事「居場所のない女子高生を支援する仁藤夢乃さん」が紹介していたのです。「…その後、祖母にお金を出してもらって、高校卒業認定試験の勉強のために新宿の予備校に通いました。何か月かたって、毎週土曜に農作業ををする『農園ゼミ』に誘われました。土曜の渋谷は人が多すぎるし、母がいる家にはいたくない。実際に農作業をする気はなかったけど、ごはんも出るというし、ミニスカートにハイヒールで行きました。そこで阿蘇敏文さんという講師に出会いました」。「阿蘇さんは4年前に69歳で亡くなりましたが、牧師で、日本人の父親に遺棄された日比国際児を支援するなどさまざまな活動をしていた人です。ミニスカート姿の私を『よく来たね。でも寒くないのか、そんなスカートで。パンツ見えちゃうぞ』なんて言って迎えてくれました」「農園には、難民を支援する人とか夜間中学にかかわる人とかいろんな人が来ていて、そこでの何気ない会話の積み重ねから、自分が知らない世界の大人がいることを知りました」「体目的じゃない、私を利用しようとしない大人が、そこにはいた。阿蘇さんは私を『私』として見てくれた初めての大人でした」「阿蘇さんと会わなければ、私は性を売る仕事をしていたでしょうね」(同前、朝日新聞)。
 仁藤夢乃さんは、阿蘇敏文さんたちと出会って、明治学院大学在学中に女子高校生サポートセンター「Calabo」を立ち上げ、「JK産業」に飲み込まれてしまいそうな危うい女子高生たちの居場所作りの働きをしています。と言う「JK産業」とは、「客が金を払い、制服姿の女子高生に体を触ってもらったりデートしたりする商売」「個室サービスの『リフレ』」から、現在は「JKお散歩」「JK撮影会」に進化、いずれもその「JK産業」から「『水商売』、風俗」へとつながる女子高生をめぐる日本社会が抱えている現実の一つです。
 10月に、教会学校の子どもたちの遊びを広げる一つの取り組みとして、「ツリークライミング」の体験教室で、万博公園に出かけることになりました。その時の、ツリークライミングの教室のすぐ近くで、若い人たちが集まって「撮影会」をしていました。言われている「JK撮影会」ではなかったのかもしれませんが、少なからず不自然な集まりの印象ではありました。と言うか、「JK産業」は、居場所が見つけられない女子高生たちを狙ってすぐそこでも繰り広げられている現実なのかもしれません。
 仁藤夢乃さんが「私を利用しようとしない大人がそこにはいた。阿蘇さんは私を『私』として見てくれた初めての大人でした」という場合の「私」は、特別の私ではありません。と言うか、本来、誰も特別な私ではあり得ないし、そんな人はどこにもいません。にもかかわらず、たとえば金銭的な豊かさとそれに付随する価値が特別の私を演出し、それが社会そのものであるように思わせてしまいます。更に、おびただしい情報が、これでもかこれでもかと、特別の「私」を演出し、私が私であることを危うくしているのです。そんな時の私は、私の居場所を無くし、無くなってしまったと思い込ませます。仁藤夢乃さんの「女の子たちの居場所づくりが必要です」の居場所は、特別の私ではない、ありのままの私であることが、そのまま了解され、自分でも了解するそんな場所のはずです。
 「ビッグイシュー日本版」の「VOL.250」の「スペシャルインタビュー」は「ゲド戦記」などで知られる、アーシュラ・K・ル=グウィンです。そこには、ル=グウィンの訳者である清水眞砂子の短いエッセイも掲載されていて、短く適切に「ゲド戦記」の紹介をしています。「『ゲド戦記』は人が名声を獲得していく話ではなく無名を獲得していく話ではなく、意思して力を捨てていく話ということができましょう」。特別の私ではなく、無名の私こそが最も本来の私であるという意味で。
 無名と言えば、11月3日の西宮公同幼稚園の運動会は、子どもたちはその無名ぶり、本来の私を存分に発揮して過ごす一日になりました。


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