街で生きる人間の一人として、どんな時のどんな場合も、生活の中から出発し、一歩ずつ道を切り開くように生きてきたように思えます。
子どもたちと一緒に遊ぶ竹馬を竹で手作りします。どこで、その竹が入手できそうか、どの竹を選び、どんな竹馬の遊びにも耐えられるようにと工夫することも怠りません。いくつかの必要な道具も材料も選んで用意します。それが子どもと遊ぶ道具を作る街のプロの仕事だと思っています。
東電福島で起こった重大事故への究明、追求は被害者による告訴・告発でしか始まりませんでした。その告訴・告発は一旦東京地検によって退けられ、検察審査会が起訴相当としました。それも又、1月23日東京地検によって再度不起訴処分になりました。以下、その概要と、街で生きるプロの人間としての見解です。
東京地検は、東電福島の事故の業務上過失致死傷で、告訴・告発されていた、東電の勝俣恒久元会長ら3人について、2度目も不起訴処分にしました。「東京電力福島第一原発の事故をめぐり、東京地検は22日、業務上過失致死傷の疑いで告訴・告発されていた東電の勝俣恒久元会長ら3人について、2度目の不起訴処分(嫌疑不十分)にし、発表した。1度目の不起訴処分の後、被災者らでつくる福島原発告訴団の不服申し立てを受けた東京第5検察審査会が「起訴相当」と判断し、地検が再捜査していた」(1月23日、朝日新聞)。
東電福島の重大事故は、地震の後の津波で発電所施設が灌水し、すべての電源が喪失、3つの原子炉の燃料が溶融し、建屋等が爆発、大量の放射性物質が環境中に放出することになりました。たくさんの人たちが被曝し、東電福島の周辺の市町村では、事故から3年10ヶ月経った現在も、12万人を超える住民が避難しています。東京電力は、その重大事故について、事故の直接の原因になった巨大津波について、想定外だったとし、責任が問われることも、取ることもしていません。
その東電に対し、1万人を超える告訴人によって、「業務上過失致死傷の疑いで告訴・告発」することになりましたが、不起訴処分になりました。「原発事故をめぐっては、地検が2013年9月、事故前に東日本大震災と同規模の地震や津波は専門家らの間で『全く想定されていなかった』と判断し、勝俣会長らを不起訴にした」(同前、朝日新聞)。「これに対し、同検察審査会は’14年7月、東電が事故前、政府機関の予測に基づいて、『15.7メートル』の津波を試算していたのに対応を避けたと指摘。『津波を想定し、対策を取る必要があった』と結論づけた」(同前、朝日新聞)。一般の人で構成される検察審査会の「東電が事故前、政府機関の予測に基づいて『15.7メートルの津波を試算していた』」とする審査結果は、具体的な事実に基づき相当な理由も述べられてました。検察審査会の結果で始まった地検の再捜査の段階で、「東電が事故前、政府機関の予測に基づいて『15.7メートル』の津波を試算していた」をめぐっては、それをより具体的に証拠立てる新しい事実・証言などが明らかになってきました。それは事故当時の東電福島の所長吉田調書だったり「原発と大津波警告を葬った人々」(添田孝史、岩波新書)だったりします。これらは、再捜査が進められる中で、弁護団の上申書として提出されますが、一切取り上げられませんでした。「再捜査した地検は『15.7メートル』の試算は信頼度が低く、現実的なものとして受け入れるべき状況になかったと判断した」が、2度目の不起訴処分の理由です。もし、地検の再捜査の最終段階で提出された、告訴団・弁護団による上申書に目を通していたとすれば「15.7メートルの試算は信頼度が低く、現実的なものとして受け入れるべき状況になかった」とする、不起訴処分はあり得なかったはずです。
東京電力が自ら行っていた津波試算が、前掲の「最大15.7m」であり、その為の対策を検討されていましたが、東電も当時の原子力安全・保安院も結果的には対策を見合わせることを、暗黙の了解として対策を実施しませんでした。「想定外」ではなく、想定できていたのに、それを実施しなかったばかりか、現実に起こってしまった事故の後も、想定外とし続けるのが東電であり、行政の上位機関であった原子力安全・保安院も、東電の想定外の主張を追認します。その東電、原子力保安院などのすべてを免責するのが地検の第2次捜査の不起訴処分です。検察審査会が起訴相当とした決定は、とても明快でした。2度目の不起訴処分の「15.7メートルの試算は信頼度が低く、現実的なものとして受け入れる状況になかった」は、全く逆で、東電が過去の事例をもとに、「15.7メートル」を想定し、更に、それを元に東電が社長の名で対策を指示さえしていたのに、対策が実施されなかったのは事実です。その事実を、そのまま確認し起訴相当としたのが検察審査会の起訴相当の審決でした。なのに、そんな明解な事実を、地検は「15.7メートルの試算は信頼度が低く、現実的なものとして受け入れる状況になかった」としてしまいます。じゃなくて、「15.7メートル」の想定をし、かつその対策を指示していたのは東京電力です。当事者が想定し対策も指示した事実であるにも関わらず、それ以上に「信頼度が高く」「現実的なもの」は、他にあり得るのだろうか。なのに、地検、まさしく捜査の専門家は、事実が事実として示されているのに、その信頼度も、現実も見えないことにして、不起訴処分にしてしまいます。もし、これが地検(検察)という専門職の決定であり、態度であるとすれば、その専門性が問われます。こうして「信頼度が低く、現実的なものとして受け入れるべき状況でなかった」としてしまう場合に何よりも欠けているのは、問題になっているのは原子力発電所であり、結果として東電福島の事故が起こってしまっている事実の重みです。原子力発電所の重大事故は起こってしまった時には取り返しがつきません。東電福島で起こってしまったのは、一般的に事故ではなく取り返しのつかない原子力発電所の事故です。ですから、原子力発電所は事故は起こらないことを想定します。その為の万全の対策の一つとして、東電が「長期評価」で「津波試算」した数字が「15.7メートル」であったはずです。15.7メートルより、はるかに低い数字の想定はされていた東電福島でしたから、試算結果をもとに対策することになりましたが、東電は見合わせてしまいます。事故が起こってしまった時に払う途方もない負担より、目前の負担の軽減を選んだからです。なのに、一般的な事故理解で、責任のすべてを見過ごすのが、地検の再度の不起訴処分です。街や村で生きる人たちの生活が、途方もない事故でおびやかされている時、地検・検察が法律の条文をなぞるだけだとすれば、到底それはプロの仕事とは言えません。法律の条文だけをなぞるプロは、人間の生活や命の事実を見ないまま、不起訴処分を繰り返すことになります。
東電福島の事故の責任を問う、更に長い歩みがこれから始まります。
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