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小さな手大きな手

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2015年03月04週
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 「狗賓(ぐひん)童子の島」(飯嶋和一、小学館)は、大塩平八郎の高弟西村履三郎の長男、西村常太郎が、流刑地隠岐島に船から降りるところから始まります。父が加わって死んだ大塩平八郎の乱の時、常太郎は6歳(満5歳)でした。常太郎が15歳になるのを待っての流刑・遠島です。「父親が蜂起などに身を投じることがなければ、河内きっての豪農の息子として何不自由なく暮らせていたはずだった。それが今、お上に弓を引いた大罪人の子として、母親や生き残った縁者とも別れ、知己一人いない荒涼とした海の果てに流されてきた」。
 大塩平八郎の乱は、1837年(天保8年)大坂(大阪)で大坂町奉行所の元与力大塩平八郎とその門弟らが起こした江戸幕府に対する反乱で、小さいとは言え島原の乱(1637〜1638年)以来200年ぶりの幕府に対する反乱、武装蜂起です。長く続く飢饉に、利を求めて米の買い占めを図る豪商と、それを野放しにする大坂町奉行・江戸幕府に対する武装蜂起です。内通者があり、準備が整わなかったものの、1837年3月25日に、大砲や火矢を放って決起します。その時の大塩平八郎の「檄文」は、筆写されて広まり、飢饉の窮状を生きる人たちに大きな影響を与えます。「狗賓童子の島」は、同じ時代の各地の飢饉の民衆の蜂起の歴史・記述にもなっています。以下、大塩平八郎の「檄文」です。
 「この節、米価いよいよ高値にあいなり、大坂の奉行ならびに諸役人ども、万物一体の仁を忘れ、得手勝手の政道をいたし、江戸へ廻回をいたし、天子御在所の京都へは廻回の世話もいたさざるのみならず、5升や1斗くらいの米を買いに下った者どもを召し捕りなどいたし、実に、昔、葛伯という大名、その農人の弁当を持ち運ぶ小児を殺したも同様、言語道断。
 いずれの土地にても人民は徳川家御支配のもとに相違なき所、かくのごとき、隔て(へだて)をつけるは、全く奉行らの不仁にて、その上、勝手我が儘(まま)の触書(ふれがき)などを度々差し出し、大阪市中遊民(ゆうみん)ばかりを大切に心得るは、前にも申すとおり、道徳仁義を存せず、拙(つたな)き身ゆえに、はなはだもって厚かましく不届きいたり。
 かつ三都のうち、大坂の金持ども、年来諸大名へ貸付けた利徳の金銀ならびに扶持米(ふちまい)などを莫大に掠(かす)め取り、未曾有(みぞう)の裕福に暮らし、町人の身をもって大家の家老、用人格等に取り用い、または自己の田畑新田などをおびだたしく所持し、何不足なく暮らし、この節の天災天罰を見ながら畏(おそ)れもいたさず、餓死の貧人乞食(ひんにんこじき)をもあえて救わず、その身は膏梁(こうりょう)の味わいとて、結構なものを食らい、妾宅などへ入り込み、あるいは揚屋茶屋へ大名の家来を誘い引き参り、高価の酒を湯水を呑むも同様にいたし、この難渋の時節に絹服をまとい、かわらものを妓女とともに迎え、平生同様に遊楽にふけるとは何事か。紂王長夜の酒盛りも同じこと。
 そのところ諸役人、手に握る政(まつりごと)をもって、右の者どもを取り締まり、下民を救うこともできず、日々堂島相場ばかりをいじり事いたし、実に録(ろく)盗みにて、けして天道聖人の御心にかないがたく、御赦(ゆる)しなきことに候」。
 大塩平八郎の「檄文」は、常太郎が遠島になった、流刑の島隠岐でも、人々によって読まれていました。常太郎と島の人たちが生きる幕末を、何よりもその時代のその場所を生きる人「民衆」の視点で書いたのが「狗賓童子の島」です。
 流人として島で生きる常太郎の島の一歩は「彼ら(常太郎と共に流人船で隠岐に送られた罪人たち)は顔をうつむけてなどいなかった。背を直(す)ぐにしている様は、自ら運命を引き受けようとする意志さえ感じられた」そんな様子でした。常太郎の「背を直(す)ぐにしている様」が、流人として流人の島で生きる道を切り開いて行きます。常太郎が島での仕事は「医術者」として生きることでした。民衆の生活の、中でも生と死の極限に向かい合う日々が、「背を直(す)ぐにしている様」の常太郎をきたえ、島の人たちとの信頼関係に築きます。それは、より強くではなく、より繊細に人を見つめることで、自らを育てることも意味しました。「杉肌葺きの屋根に打ちつける雨の音が止み、戸口の隙間から白い光が見え始めた。病児の弱かった脈が少しずつ力を増してきたのが感じられた。常太郎が、赤子の手首に指を当て、時に頸動脈に指を持っていくたびに、喜六は強張らせた顔を向け、怯えるような視線を常太郎に投げてきた。常太郎が微笑(ほほえ)んでうなずき返すと、視線を逸らした喜六の目が囲炉裏の火でわずかに充血しているのがわかった。赤子は、すうすう寝息を立て始めた」。豪気一筋の漁師喜六と常太郎の間に交友が生まれるのは、人間の中に必ずある繊細な心と心の出会いであり、それを描くのが飯嶋和一の物語の魅力です。
 飯嶋和一の「狗賓童子の島」を、2014年3月に、西宮公同教会教会学校に在籍し、小学校を卒業する子どもたちの贈り物の一つに選びました。特に後半部分は、常太郎が漢方の医術で病者の治療をする時の、漢方薬とその処方の漢字が頻出する手強い物語ですが、15歳の過酷な運命を背負った少年が生きて行く姿に、もうすぐ15歳になる子どもたちに、どこかで、ぜひ出会ってもらいたい願いで選ぶことになった書物です。
 “狗”は「吠えて以て守る」の意で、“賓”は「犠牲を供えて神を迎える」意だと「字統」には書かれています。その伝説上の生きもの「狗賓」に化託されるのは15歳以上の島の若者たちです。隠岐に流され、「背を直(す)ぐにして」生きた西村常太郎は、静かに生きる「狗賓」でした。飯嶋和一の6年前の前作「出星前夜」について、2008年8月24日の小さな手大きな手に書いています。

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