1967年3月26日に、日本基督教団は、当時の教団議会鈴木正久の名前で「第二次大戦下における日本基督教団の責任について告白」を発表します(以下戦責告白)。「-『世の光』『地の塩』である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。まさに国を愛する我々こそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。しかるにわたくしどもは、教団の名においてあの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外にむかって声明いたしました。まことに、わたしどもの祖国が罪を犯したとき、わたしどもの教会もまたその罪におちいりました。心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります-」。「あの戦争」は、最近話題になった、太平洋戦争の激戦地ペリリュー島で死んだとされる約10,000人の日本兵、そして死んだ米兵の戦争であり、6万人の日本兵・軍属、13万人の住民、15,000人の米兵の死んだ沖縄戦であり、広島・長崎の20万人を超える人たちが原爆で死んだ戦争です。「あの戦争」の、こうした数え切れない事実にもかかわらず、「戦責告白」は日本基督教団の告白にならず、教団議長名の告白になりました。反対する人が多かったからです。第二次大戦下の太平洋戦争を「是認し、支持し、その勝利のために祈り努めた」ことを、あからさまに認めることをよしとしなかったからです。日本基督教団とキリスト者の多くは、日本人の多くがそうしたように、戦争の敗戦の事実と戦争責任をうやむやにして、敗戦後を生きることになりました。
そうして70年、日本と日本人の多くは国・政府の進める新たな戦争の道をひた走っているように見えます。その中心になっている国・政府の進めている方針が、言うところの「積極的平和主義(外交)」です。なんのことはない、平和という言葉のもと、戦争をしてしまう、ということなのです。言葉は、なんとでも使えるものらしく、平和と言いながら戦争をしてしまえるのです。その「積極的平和主義(外交)」をひた走って、なんとか自衛隊を戦闘場面に派兵しようとすることが、あれこれ言葉を弄して画策されています。
1.「存立危機事態」
2.「重要影響事態」
3.「国際平和共同対処事態」
1.「存立危機事態」は「『存立危機事態』は、日本が直接武力攻撃を受けていなくても、日本と密接な関係にある他国が武力攻撃され、これによって日本の存立が脅かされるような明白な危険がある場合、とされる。存立危機事態が起きた場合、政府は『対処基本方針』を閣議決定する。ここには政府が存立危機事態と認定した理由や、なぜ武力を使う他に適切な手段がないと判断したのかを明記する」。言われている「日本が直接武力攻撃を受けていなくても、日本と密接な関係にある他国が武力攻撃され」に当たる国は、いったいどんな国が想定されているのだろうか。あるいは、どこのどんな国が、「他国(場合によっては広く世界!)のことであれこれ戦争で出張る余裕があるのだろうか。
2.重要影響事態は「今回の改正で、地理的制限を名実ともになくし、支援対象も米軍以外に拡大する。法律名も『重要影響事態』に変える。改正し自民党は自衛隊の後方支援の制約を設けることを求めてきた。17日の与党協約で政府は『日米安保条約の効果的な運用に寄与することを中核とする重要影響事態に対処する外国との連携を強化する』という規定を提示し、了承された」。何のことはない、日米安保条約、日米同盟という中核中の「中核」を再確認、強化し自衛隊が軍隊として出兵する道を開くのです。
3.国際平和共同対処事態は「政府は、自衛隊を海外に派遣する場合は、期限や具体的な活動内容を定めた特別措置法をその都度作ってきた。今回、恒久法『国際平和支援法』をつくることで、『国際平和共同対処事態』には、特措法をつくらなくても戦闘中の他国軍に後方支援ができるようになる」。
新たな安全保障法制の、1~3、などの根っこにあるのは、自衛隊を海外で戦闘する軍隊として派兵するという、「願望」です。それが、平和であるとする「積極的平和主義(外交)」です。こうした1~3などの言葉、法を制定することで、自衛隊は確実に海外で戦闘する軍隊として派兵されることになります。戦争を平和の為の手段とする国です(以上「 」は4月18日朝日新聞)。
その場合の「中核」にあって、日本の自衛隊の戦争をあらゆる意味で可能にするのが、日米安全保障条約です(以下安保条約)。その安保条約第6条は以下のようになっています。「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」。「日本国の安全に寄与」するという、なんとでも、とことん幅広く解釈でき、かつどんな意味でも一線を越えてしまえるこの条項をタテにすれば、合衆国軍は、例えば日本国を基地にして、どんな戦争にも出張るのが可能になります。現にそうしてきました新たな安全保障法制の、1~3は、そのアメリカの戦争に自衛隊が軍隊として更に戦闘に加わることを可能にする解釈、及び法的な裏付けになります。
積極的平和主義という名の、戦争をできる国の選択、転換そして推進です。もちろん、こうした考え方の根底には、第二次世界大戦、太平洋戦争の「あの戦争」に敗北したことの戦争責任が一切問われることも問うこともありません。
たぶん、こんなことをどんどん押し進める国・政府にとって、戦争は好ましいものなのです。そして、たぶんこの人たちは、戦争の事実を自分の身に引き寄せては考えません。戦争の戦闘の現場は、肉を裂き骨を砕くことでは敵味方容赦することはありません。太平洋戦争の沖縄戦では、約13万人の民間人が、肉を裂き骨を砕く戦闘に身をさらして死んでいきました。そうして戦争に負けた日本の沖縄に、「ブルドーザーと銃剣」で米軍基地が作られ、今もそのままです。その基地が、新たに辺野古に作られることに、沖縄の人たちは反対し立ち上がっています。
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