2月から、時間や費用を工面して辺野古の座り込みに参加するようになりました。早朝6時30分からの、30~50人の行動に参加し、9時頃からの集会、午後の150~200人の集会に参加した後、宿をお願いしている名護教会に帰ります。この行動、集会に参加している人たちの大半は高齢者(たぶん)で、半数以上が女性で、ほぼ半数がヤマトからの人たちのようです。隣に座っている人と、特別に会話を交わすこともない参加者の一人ですから、それ以上のことは解りません。今までの2~5月の4回の参加で顔見知りの人と出会ったのは、ほんの数人です。いわゆる著名人たちも辺野古に顔を出しているらしいのですが、出会ってはいません。
中で、ただ一人、たぶんあの人だと気付いて2~5月の4回の参加で、確かにその人だったのが、ダグラス・ラミスさんです。「沖縄のことでの日本政府の対応は、ダブル・スタンダード」と指摘していた新聞のインタビュー記事(だったと思う)と、「グラウンド・ゼロからの出発/日本人にとってアメリカってな~に」(鶴見俊輔/ダグラス・ラミス、光文社)で間接的に知っていた、ダグラス・ラミスさんです。
ラミスさんは、辺野古の座り込みの参加者の中で数少ない高齢の“外国人”であることで目立っていて、沖縄の参加者の間では周知の人であるのと、別に“奇怪”な行動で目立っている人なのです。キャンプシュワブゲート前の行動では、レンタカーで辺野古に向かい、集落に近い基地外の空き地に確保されている場所に駐車して参加します。そこから北に400~500メートル歩くと、キャンプシュワブの第1ゲートです。ゲートから国道をはさんだ反対側が、辺野古新基地建設反対のテント村になっています。(4月までは、ゲートに続くフェンスに添ってテント村だったが、米軍から美観を理由に“撤去勧告”が出ていた為に、反対側に移った。もっとも、反対側の斜面の上もそのまま基地のフェンス)。その第1ゲートに続く、国道の両側のフェンスに、“入口”と書いた不思議な白い紙が取り付けられていたのです。この紙は、辺野古に行く度に、場所が変っていたり、増えたり減ったりしていました。4月に行った時に、その“犯人”が見つかりました。白っぽい帽子の、丸まった背中にリュックを背負った外国人のおじいさん、ダグラス・ラミスさんです。ラミスさんとは、集会で隣に座って、挨拶ぐらいは交わしていました。5月には、“入口”の紙ともう一枚別の紙を貼っていて、その一枚をもらいました。「沖縄DE-FENCE:フェンスを『脱フェンス(つまり入口)』にする21の方法」という表題の以下のチラシです。
軍事基地にとってフェンスとは何なのだろう。フェンスは基地が存在する必要条件だ。それは「基地」と「普通の社会」の境界を決める。フェンスの一方に市民生活と法があり、もう一方に軍事生活と法がある。片方に沖縄があり、もう片方にアメリカがある。その二つがごっちゃになってはならない。フェンスは軍の市民社会に対する防衛線だ(FENCE=DEFENCE)。フェンスがないと基地は基地でなくなる。フェンスを維持できない地域には基地は置けない。フェンスはその機能によって定義される。基地のフェンスの機能とは、市民(海外基地の場合、外国人)が入れないようにし、軍人を出られないようにすること。その機能を果たせないフェンスはフェンスでなくなり、その基地も基地でなくなる。
フェンスをそのように変えるのは、実はそんなに難しくない。次にその「21の方法」を紹介しよう。法律違反、したがって「危険」なものはある。しかし難しいものは少ない。誤解してほしくないのだが、このビラはこれを読む人がフェンスをどのように越えるかという方法を紹介しているのではない。フェンスを簡単に越えられるものに変える方法を紹介しているだけだ。
*フェンスを「脱フェンス(すなわち入口)」にする21の方法
1)古い布団、ゴザなどをフェンスの上の有刺鉄線にかぶせる。
2)ワイヤーカッターでフェンスを切る。二つの方法がある。一つは、金網自体を切る。もう一つは、その金網がコンクリートの柱に針金でつながれている場合、その針金だけを切る。この方法は財産を壊すことになり法律で禁止されている。
3)フェンスの下を通れるように、土を掘る。
4)植木鉢を壁にかけるためのしっかりした鉄のハンガーを5個ぐらい買っておく。それを斜めの線でフェンスにかけると、階段になる。
5)はしごをフェンスにかける。
6)長い板をフェンスにかける。
7)近くに森があれば、そこで丸太や落ちた木の枝を探し、フェンスにかける。
8)網バシゴをフェンスにかける。
9)A型ハシゴをフェンスの横で立てる(このやりかたではフェンスに触れないですむ)。
10)フェンスの近くにあるしっかりした木を探す。
11)フェンスの側にある建物を探す。
12)しっかりした箱5・6個をフェンスの横に置く。
13)基地包囲の時、100人ぐらいでフェンスをつかみリズムよく揺らす。
14)フェンスの横で砂袋を重ね、丘をつくる。
15)米軍が無断で出入りする時に使っている場所を探す。それはかなりある。フェンスの下の土が掘られているか、上の有刺鉄線が垂れているところがそうだろう。
16)(若者のみ)フェンスの横で人間ピラミッドをつくる。
17)針金を切らず、ワイヤーカッターをフェンスにぶら下げる。それがそこにあるだけで「フェンス」は「入口」に変わる。
18)布団やゴザも同じ。フェンスの側に置くだけで十分。近くを通る人はその意味がわかるだろう。
19)「入口」と書いてある紙をフェンスにかける。近くを通る人はその意味がわかるだろう。
20)以上のことを「悪い」と思っている、自分の心の中の「フェンス」を壊す。
21)このビラをコピーして配る。フェンスがこんなに簡単に越えられるものだと皆がわかれば、それはもう「フェンス」ではなくなる。
注意:米軍基地を囲むフェンスに傷をつけることや、無断で基地内に入ることは法律で禁止されている。このビラはそうするように提案してはいない。つまり、このビラには何の提案も書いていないのだ。書いてあるのは、フェンスの本質に関する、いくつかの客観的な事実だけ。フェンスだらけの国の人々には、その事実を知る権利がある。
沖縄 DE-FENCE実行委員会
ラミスさんは「沖縄DE-FENCE実行委員会」の一人で、代表なのだと思います。ラミスさんの隣りに座って、このチラシを読みながら、ちょっと話をして、用意していた別の「脱フェンス」の道具を見てもらいました。紙飛行機です。ゲート側のフェンスに近寄って、警備のガードマンと若い機動隊員に、「これ飛ばしてフェンスを越えて基地に入ったらどうなるだろう?」と確かめたところ、「答えられない」とのことでした。
テントに戻って、紙飛行機の調整をしていると、「沖縄DE-FENCE」のラミスさんも興味を示し、「ぜひ、飛ばせ!」今度、自分も紙飛行機でチャレンジしてみるとのことでした。
で、フェンス間近で、紙飛行機を飛ばしたのですが、たちまち、基地内の黒装束の“POLICE”がビデオカメラをかまえ近寄ってきました。
昨年7月から座り込みなどが始まっている、キャンプシュワブゲート前の警備はこんな具合になっています。
1.とりあえず、出入りする車両の誘導をしているのは警備会社(ALSOK)で、第1、2ゲートで計約30人が常時警備。
2.防衛施設局、海保、建設会社(中央建設他)など基地内に入る車両の阻止行動が始まると、機動隊に強制排除される。
3.行動、排除を常時ビデオカメラで監視しているのが、全身“黒装束”の“POLICE”。服装はもちろん、帽子、マスクに至るまで黒で、拳銃を持っている。紙飛行機を飛ばした時、フェンス際までビデオカメラで駆け付けたのが、この“POLICE”(米軍が雇っているウチナンチューの警備員)。
沖縄の米軍基地はフェンスで囲まれていて、フェンス最上段の2、3段の鉄条網は基地の外側を向いています。沖縄の人たちから防衛する為にそこにあるのが、米軍基地の頑丈なフェンスです。「とにかくそういう訓練を受けている米軍が沖縄にいる。一番多いのは海兵隊です。…海兵隊はあくまで陸軍ですから、同じレベルで人間の姿を見ながら殺す訓練ですから、残酷さに耐えられるような訓練を受けている。人を殺す訓練を受けて、人を殺す準備をしているたくさんの人間が沖縄に置かれている。そういう人たちを置くことが、政府による安全保障なんです」(前掲、ダグラス・ラミス「グラウンド・ゼロからの出発」)。
頑丈なフェンスは、沖縄の人たちの平和で安全な暮らしではなく、どこかの国・政府を守る為、人間を殺す訓練をし、かつそんな兵士たちの待機する場所としての米軍基地を守る為です。ですから、基地のフェンスの鉄条網は、沖縄の人たちに向けられています。
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