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2015年01月03週
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 子どもたちとよく遊ぶかるたは、「きりがみ・江戸いろは」(安野光雅、新泉社)です。ひと捻りもふた捻りもある安野光雅の切り絵で、文字がつながった、更に使いなれない言葉が“解りにくい!”いろはがるたです。その“解りにくい!”きりがみいろはがるたの子どもたちのかるた大会が盛り上がります。その秘密は①団体戦で、個人の成績は問われない。②解りにくいため、判別して取るのに時間がかかってしまうが、取れた“感”が大きい、などで盛り上がります。江戸いろはは、江戸の町の人たちの人生観・生活がそのまま短い言葉に集約されていますから、いずれにせよ今の子どもたちには解りにくいのです。その解りにくいところを、ひとつの文につき2枚のかるたの切り絵で、解りやすく的確に表現していて、解るとうれしくなるのも、「きりがみ・江戸いろは」です。江戸の町の人たちの生活の表現は、今の人たちには露骨に聞こえますが、「江戸いろは」という以上、そんな場合の一つ一つの事実も「きりがみ・江戸いろは」は大切にしています。「年寄りのひや水」の「年寄りが若い者の真似をするのは危なっかしくて見ていられない」は、いつの時代でも年寄りと若い者の世界のせめぎあいを、そのまま事実としてうつし出す言葉ですが、根底には必ず生きた人間の生きた関係があって初めて生まれました。「かったいの瘡うらみ」は「かったいはハンセン氏病、かさは梅毒、どちらも病である。苦しみの多いものがより苦しみの少ないもの、多いものがより苦しみの少ないものをうらやむ、という残酷なことばである」とある通り、残酷な言葉です。それが、江戸の町の人たちの現実であった時、「きりがみ・江戸いろは」は、それをそのまま残すことになりました。「私は、このことばについて語る力をもちたい」としながら、友人村松武司が出版した「古川時夫歌集」を紹介しています。
 手元にあるいろはかるたのもう一つは「犬棒かるた」(瀬川康男、福音館)です。中に入っている解説の“はじめに”は「いぬぼうかるたは味わいふかい仏典に似ている。理屈でわかったつもりになっていても、人生おりおりの出来事にふりまわされ、一喜一憂するわれわれの前に、いぬぼうかるたは、新しい経験を照らしだす、思いもかけぬ意味を担ってよみがえってくる。だから決して飽きることがない」で始まり、「飽きがこないという性質は、昔話とおなじように、しょせん限られたものでしかないひとりの人間の知恵によって成ったものではなく、だれとも知れぬ、数知れぬ庶民の人生の哀歓を養分として育ってきたことからくるのだろう」と続きます。少なからず、おどろおどろしい絵を徹底して丁寧に描き込んだ絵は、一枚一枚が存分に楽しむこともできます。もう一つの楽しみが文字と絵を囲むようにして描かれる身近な植物です。「身近な草木は、かたわらにともに生きた人々の息づかいを、その名に伝えている。私は、人生知を語るひとつひとつのことわざに、人が、ふと、身近な植物にそそぐまなざしのあたたかさをつなぎあわせてみたかった」(「犬棒かるた」まえがき、瀬川康男)。たとえば「ぬすびとのひるね」には、「ぬすびとはぎ」が描かれているという具合で、おしゃれなのです。
 子どもたちが、江戸いろは、犬棒かるたなどで遊ぶきっかけを作るのは、それで遊んできた大人たちです。遊んできた大人たちが、心と体にしみ込んだ言葉や遊びの楽しさを伝える時に初めて、子どもたちはかるたで遊びを楽しみます。伝える人と、伝える心が大切なのです。子どもたちが生きて生活するあらゆる場面で、子どもたちが遊んで伝えられてきたのが、「伝承あそび」です。そのすべては、限られた条件のもとで、工夫を凝らして遊ばれた遊びです。たぶん、伝承あそびが成り立つ子どもたちの世界の多くは、すべてにおいて豊かではありませんでした。場所はもちろん、時間も遊びの為のお金も、ずいぶん限られていたはずです。しかし、子どもたちに子どもたちの仲間がそこにいることで、遊びが生まれ、遊びが発展し、その楽しさ、おもしろさで、子どもたちから子どもたちへ、地域から地域へと伝承され広がっていきました。広がった先で、更に工夫された遊びがめぐりめぐって遊びが生まれた場所に戻ってくるということもあったはずです。
 そんな伝承あそびをまとめたのが、「遊びの四季/ふるさとの伝承遊戯考」(絵と文、かこさとし、じゃこめてい出版、1975)でした。そこに紹介されている四季の遊びは、著者のかこさとし(加古里子)が生きた子ども時代の、「貧乏」だけれども「幸福」な子ども時代の遊びとして紹介されています。「つゆ草の花の色のように、幼い頃のふるさとは、みずみずしい自然に青く包まれていた。しかしそこには、いつもつぎの当たった貧乏がくっついていた。読者はその中ではだしでかけまわり遊んでいた一人の子どもの姿を見出されたことだろう。この北陸に生まれた子ども(著者!)に比べ、場所や家庭の様子こそちがえ、まるでおれと同じだなぁと思われたり、あるいはひそやかな優越と幸福感にあなたはひたられたことでしょう」(前掲書)。この、加古里子の「ふるさとの伝承遊戯考」は、およそ30~35年後に「伝承遊び考」全4巻としてまとめられることになりました。
1.絵かき遊び考2.石けり遊び考3.鬼遊び考4.じゃんけん遊び考
 膨大な量の膨大な時間をかけ、日本中の津々浦々で、直接子どもたちから、あらゆる機会の人との出会いを言葉と絵(図)で記録したのが、加古里子の「伝承遊び考」全4巻です。そんな膨大な量の膨大な時間を「伝承遊び考」に加古里子が費やすことになったすべては、子どもたちの存在から湧き出してくる力です。「人間の子は、ほかの動物に比して『早産』とよばれるくらい、未熟未完成で出生する。したがって周囲の大人などによって、保護愛育されなければ、生命の維持ができない。しかし間もなく、二足歩行や自我が萌出し、数多くの経験と失敗を重ね、自分の好みや楽しみを増やしてゆく。そして家庭や地域の状況や周辺の同輩や友人たち、さてはその時の社会の動向の中で、遊びを知り、その楽しさにつれて心身を使い、考え、学び、きたえ、未知の経験と満足と疲労を得て、心地よい睡眠により次の日を迎え、成長してゆく」。「だが子どもはいかに遊びに熱中し、いかに巧妙美麗な遊びに酔いしれていても、やがては遊びを脱出し、遊びによって得たものを自らの成長の糧として、次の発展へと進んでいく」(「伝承遊び考、1.絵かき遊び考」第9章、若干の問題と補遺、総論)。
 1年を通してたくさんの伝承遊びで遊んできた幼稚園の子どもたちの伝承遊びは、冬になってかるた、竹馬、こま、けん玉、羽子板などの遊びになっています。「社会の動向の中で、遊びを知り、その楽しさにつれて心身を使い、考え、学び、きたえ、未知の経験と満足」とを生きてきた(きっとそうだと思う!)公同幼稚園の子どもたちは、どんなに寒い冬の日であっても、必ずその一つ一つの遊びに夢中になってしまいます。


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