パレスチナの死者2,205人(70%が民間人、521人が子ども、283人が女性)、負傷者11,000人以上、家屋の倒壊18,000戸、50万人が避難(人口の28%、現在も10万人が避難)、イスラエル側の死者71人(うち66人が兵士)(“サラーム”、パレスチナ子どもキャンペーン、2014年11月、No.101)で一旦終結した、イスラエルによるガザの戦争は、その後もパレスチナ、イスラエル双方による襲撃・殺害が繰り返されています。11月18日には、シナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)で礼拝中のユダヤ人5人が、パレスチナ人に襲撃・殺害され、更に対立が厳しくなる状況で、ローマ法王フランシスコ1世が、双方に「和解と平和」を求めています。「エルサレムのシナゴーグ襲撃事件について、ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は19日、『憎悪と暴力の連鎖を止め、和解と平和に向けて勇気ある決断をするように求める』とすべての勢力に呼びかけた。法王は『祈りの場であることすら気にかけない暴力』と襲撃を批判。『平和を築くことは難しいが、平和のない中で生きるのは拷問だ』とも語った」(11月20日、朝日新聞)。言われている「憎悪と暴力の連鎖」は、7、8月のガザ戦争、そして今回のシナゴーグの襲撃よりもずっとずっと前から繰り返されて、続いています。「祈りの場の襲撃」ということでは、エルサレムのイスラム教の聖地「黄金のモスク」の襲撃でたくさんのパレスチナ人の血が流されたりもしています。7、8月のイスラエルによるガザ戦争で、特に集中的に攻撃されたガザ東部・南部などでは、イスラム教のモスク、給水塔なども無差別に破壊されています(前掲“サラーム”)。ローマ法王の「祈りの場であることすら気にかけない暴力」は、パレスチナ、イスラエルで、ずっと繰り返されてきたことなのです。その「暴力」はしかし、7、8月のガザ戦争の時のパレスチナ人の死者の圧倒的な多さ、避難民や家屋の被害がパレスチナ側だけであったりするのが、「憎悪と暴力の連鎖」のその「連鎖」が止むことのない何よりの理由です。
しかし、ローマ法王の呼びかける「平和を築くことは難しいが、平和のない中で生きるのは拷問だ」は、パレスチナとイスラエルに国家が建設されてからずっとパレスチナ人たちの日常でした。けれども、ローマ法王の呼びかけのように、「平和を築くことは難しいが、平和のない中で生きるのは拷問だ」は、真実であり、同じくローマ法王の呼びかける「憎悪と暴力の連鎖を止め、和解と平和に向けて勇気ある決断するよう求める」も、またそれしかない真実です。少なからず大切なのは、世界の多くがこの問題に、無関心で傍観者を決め込んでいる時、影響力がなくはないローマ法王が発言していることです。敢えてフランシスコを名乗った法王が発言する時、たぶん少なからず本気ではあるはずです。パレスチナ問題が難しくなっているのは、ずっとずっと昔からそこで生きてきた人たちの生活を根こそぎ奪って、そこにイスラエル国家を建設してしまったことです。そこに容赦なくイスラエル国家が実現してしまった時、たくさんのパレスチナ人たちがそこを追われ、難民となってしまいました。人間として生きる権利・尊厳のすべてを奪われてしまうのです。住居、働くこと、家族として生活することなど、何一つ保障されないのが難民です。ローマ法王が「憎悪と暴力の連鎖を止め、和解と平和に向けて勇気ある決断をするよう求める」「平和を築くことは難しいが、平和のない中で生きるのは拷問だ」と呼びかけ語りかけるのは、そんなパレスチナ人であり、イスラエル人です。ローマ法王フランシスコ1世は、世界の多くが傍観者をきめ込んでいる時に、「和解と平和」を両者に呼びかけます。根底において、「和解と平和」が難しい状況を承知しながらの呼びかけなのだと思います。
手もとにある、ウェルギリウスの「アエネーイス」を題材に書かれた「ラウィーニア」(アーシュラ・K・ル=グウィン)で、アエネーアスと息子のアスカニウスは「美徳」(男がもつべき資質)と「敬虔」をめぐって論じあいます。“若輩者”のアスカニウスは「美徳」を「戦闘能力、闘う勇気、勝つ意志、そして勝利」と言ってゆずりません。ル=グウィンの描くアエネーアスは「ならば、敬虔とは何だ?」と問い返します。主人公ラウィーニアは、「大地と空の力ある方々の意志に従うこと?」とつぶやきます。度々の「戦争の時の戦場」の修羅を生きてきたアエネーアスは一旦は息子のアスカニウスに「わたしは、かつてそうするのが正しいと知っていること、すなわちしなくてはならないことだと思っていた」としながら、「…だが」と続けて「…両者が同じでないならばどうなのか?その場合は勝利を得ること、すなわち敗北することなのだ。秩序を維持することが無秩序、破滅、死を引き起こすことになる。ウィルトゥーマ(美徳)と敬虔とが壊しあう。わたしにはわからない」と語りかけます。
「…秩序を維持することが、無秩序、破滅、死を引き起こすことになる。ウィルトゥーマ(美徳)と敬虔が壊しあう。わたしにはわからない」と、ル=グウィンの「ラウィーニア」のアエネーアス。パレスチナで圧倒的に勝る「憎悪と暴力の連鎖」をイスラエルの背後から持続させているのは、アメリカです。直接の財政的支援はもちろん、イスラエルの非道に対するどんな国際的非難に対しても、アメリカは国連の場で拒否権を行使し続けてきました。今回のシナゴーグ襲撃事件の場合、イスラエルの対応の根本にあるのは「報復」です。「シナゴーグ襲撃事件では、最終的にユダヤ人4人と警察官1人が死亡。ネタニヤフ首相は18日、一連の事件にかかわったパレスチナ人宅の破壊を命じた」(同前、朝日新聞)。こうして、破壊されたパレスチナ人の住宅の跡に入植と称してイスラエル人が住み込み、追われたパレスチナ人たちは7、8月のガザ戦争の一番の攻撃対象になったガザの難民キャンプで生きることを余儀なくさせられます。イスラエル、パレスチナで起こっている「憎悪と暴力の連鎖」の現実です。
ローマ法王フランシスコ1世の呼びかける「憎悪と暴力の連鎖を止め」は「…秩序を維持することが、無秩序、破滅、死を引き起こすことになる」、「…わからない」であるとしても、傍観者にはならないという強い意志がなければ口にできないことです。
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