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小さな手大きな手

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2014年10月02週
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たくさんの物語(語るに足る)が生まれる、西宮公同幼稚園の子どもたちの生活の一つが“なわとび”です。幼稚園での生活が始まった3才の子どもたちをその“なわとび”が待っています。およそ4メートルの綿のロープ(ながなわ)が、子どもたちの一瞬の動きを見逃さず、ヘビのように地面をはって、するっと先生たちの名人業で足元を通り過ぎた時が、なわとびのはじめの一歩です。跳んだのではなく、跳ばされたのであっても、手の平に“1”と書いてもらった時の満足で、少しずつその数を増やします。
 “ながなわ”の“はじめの一歩”が始まった子どもたちの傍らでは、年長の子どもたちが“ひとりなわとび”に挑んでいます。一本のロープを手にして、それが回るのに合わせてたった一回跳べるようになるまで無限に遠いとしか思えないのに、子どもたちはそれを可能にしていきます。たぶんそれは“制限無し!”の時間と、そこに仲間たちがいなければ決して起こり得ないことのように思えます。その時の一回の、1の字が子どもたちの手の平にきざまれた満足で、少しずつその数を増やしていくことになります。
 その数が1,000回を超えた時、子どもたちに特製なわとびが贈呈されることになっています。“ながなわ”でも“ひとりなわとび”でも、人間の体が真直ぐ(まっすぐ!)でないと、跳ぶことはできません。そして、跳ぶというのはどうであれ“全身運動”です。足指の先から、頭のてっぺんまで(内臓のすべて、神経のすべて、いいえ、心の底まで)が躍動しているのが、たぶん跳ぶということ、“なわとび”のはずです。それが“制限無し!”の時間の中で繰り広げられるのが子どもたちの“なわとび”です。強い力にうながされてではなく、そこに働いているのは“自発!”の力です。
 で、その数が1,000回を超えた時、子どもたちに特製なわとびが贈呈されます。
2014年度の、年長の子どもたちの7人目の“特製なわとびの贈呈式で“まだ”の子どもたちを励ます、なかなかいい“川柳”が子どもたちに紹介されることになりました。
かんたんに いかないことも やってみた
 あこがれは すててはだめだ そうおもう

 「川柳集、きょうも あしたも あさっても」(西山和成、2014年8月25日発行、きんとーん作業所)からの紹介です。「きんとーん作業所」は、西宮市宮西町の障害者の作業所です。近くの青木町の「あそび雲」は、同じ系列で障害者の支援が仕事です。「川柳集、きょうも あしたも あさっても」の作者、西山和成さんは、1966年生まれです。西宮公同教会に現れたのは、1980年代のはじめ頃だったように思います。播磨養護学校中学部を卒業した1982年頃のことです。たぶんお父さんが「この子の面倒を見てやってほしい!」と言って連れてこられたはずです。どうしてそんなことになったのかは、これもたぶん、障害児・者のことで少しばかり活動している教会・幼稚園ということでの情報が伝わっていたからだと思われます。で、西山和成さんは、教会・幼稚園に顔を出すようになりましたが、結果的には期待に応えることはできませんでした。西山和成さんが西宮で教会・幼稚園などに改めて顔を出すようになったのは、障害者の活動をしているSのメンバーとしてでした。「Sを止めた」という話があった後、西山和成さんは阪神障害者解放センターの一員として行動するようになりました。困難な障害者の自立に挑んで、たくさんの仲間を作り、それを達成してきた阪神障害者解放センターの代表は、福永年久さんです(現、全国青い芝の会代表)。20年前の兵庫県南部大地震の時、公私ともに福永年久さんと連れ添ってきた三矢英子さんの安否が解らず、19日になって見つかった時は亡くなっていました。その時の三矢さんの火葬や告別式を手伝い、西宮公同教会で大地震で亡くなった人たちを記念する礼拝では三矢さんの遺影も並びます。
 1992年に、阪神障害者解放センター、きんとーん作業所の仲間になった西山和成さんは、時々、教会事務所に顔をのぞかせるようになりました。福永年久さんが大ファンの、ソウルフラワー・モノノケサミットのコンサートを協力して実現する時、西山和成さんもそのどこかに居場所を持っていました。
 そんな西山和成さんの「川柳集、きょうも あしたも あさっても」を目にして、その中の「きぼう」の前掲の川柳などを、赤なわの贈呈式の時に子どもたちに紹介することになりました。何一つ説明・解説の類いはなくても、子どもたちにそのまま、すとんと届いてしまう川柳でした。早くにお母さんを亡くし、お父さんも亡くし、厳しい人生を歩むことになった苦労の一つ一つが西山和成さんの川柳にそのまま歌われているように思えます。「そのまま」であるところが、たぶん西山和成さんの川柳の優れたところです。だから、子どもたちにもすとんと届くのです。川柳集を選句・編集した、きんとーんメンバー、古川格さんは“あとがき”で「…僕は、川柳を選んだ一人として、こんなおもしろかった仕事ができたことが、うれしいです。川柳で笑顔が増えることが想像できます。これからも、ほっとしたいときや、イライラしているときに、この川柳集を見てください」と書いています。
 「川柳集、きょうも あしたも あさっても」(西山和成)をご希望の方はお申し出ください。300円です。
(西山和成さんの消息の確認は、下平浩三さんにも協力してもらいました)
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