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小さな手大きな手

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2014年07月02週
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 5年生以上の4泊5日の沖縄キャンプの一日目は、必ず糸満の平和祈念資料館か、宜野湾の佐喜眞美術館を訪れてから、今帰仁村の沖縄教区研修センターに入ります。佐喜眞美術館は、米軍普天間基地にフェンスで隣接し、屋上から見る普天間基地ではヘリコプター(現在はオスプレー)の離着陸訓練が繰り返されています。子どもたちと訪れた美術館では、広い少しうす暗い展示室の「沖縄戦の図」(丸木位里、俊)の前に座りますが、もし居合わせたら館長の佐喜眞道夫さんに説明してもらいます。そこに展示されている「沖縄戦の図」には、誰もが沈黙せざるを得ない事実が、大きな画面のどの部分にも丸木位里さん、俊さんによって描かれています。佐喜眞美術館は、その「沖縄戦の図」を展示する為に佐喜眞道夫さん個人によって建てられた美術館です。
 佐喜眞美術館は館長の強い意志で収蔵しているルオーとケーテ・コルヴィッツの作品を、数年に一回特別に展示することがあります。ケーテ・コルヴィッツとその作品は、魯迅の「深夜に記す」を読んでから(たぶん40年以上前)、ずっと気になっていました。やはりずい分前に、古本屋で「魯迅美術論集」(上・下、未来社)を手に入れ、魂の入ったコルヴィッツの作品の、魂の入った魯迅の“論”にも出会っていまいした。残念ながら、“論”は21あるものの“図録”は見開きと本文中の6枚だけの掲載でした。
 1992年に伊丹市立美術館で「ケーテ・コルヴィッツ」展が開催されるのを知り、早速出かけることとなりました。魯迅が美術論集で論じられている21の“論”の大半は、本物で確認し、“図録”でも確かめることができるようになりました。魯迅の「深夜に記す」でケーテ・コルヴィッツの版画(鋼版画)に出会って、本物に出会うまで、30年かかったことになります。伊丹市立美術館でケーテ・コルヴィッツを見た後、神戸で鶴見俊輔さんの講演会があり、その冒頭で「実は、今日は伊丹で、ケーテ・コルヴィッツを見てこちらに来ました」とおっしゃったのにはびっくりしました。更に、講演の司会者の「鶴見さん、あなた、たくさん本を書いておられますが、“これ!”というのを2冊あげてください」の問いに、「アメノウズメ伝」「戦後思想史研究」と答えた、その2冊を“サイン用”に用意をしていて、講演後にサインしてもらいました。
 そのケーテ・コルヴィッツの作品を佐喜眞美術館が所蔵していることを知ったのは、1994年に開館してからしばらくのことでした。たまたま、宜野湾市の沖縄教区のセミナーハウスで開かれていた会議の休み時間に訪れた佐喜眞美術館は別の展示をしていて、展示室と展示室の間の狭い空間の壁に、確か「カール・リープクネヒト」が一枚だけ展示されていました。そして、たぶんその時に、佐喜眞美術館の会員になり、今も遠隔地会員で、展示会の案内が届きます。佐喜眞美術館の「ケーテ・コルヴィッツ」は、沖縄へ行く機会と一度だけ展示が重なることがありました。その時だったと思いますが、「1、2枚でいいから、ケーテ・コルヴィッツの作品を、常時展示して欲しい」と直接館長にお願いしました。
 最近届いた案内によれば、6月11日~9月1日までは「第一次世界大戦100年、ケーテ・コルヴィッツとジョルジュ・ルオー展」です。一緒に届く、佐喜眞道夫さんの「友の会会員のみなさま」への便りの文章は、今を生きる佐喜眞道夫という人の視点と意志と“魂”で書かれています。

 この時期、美術館の月桃は庭のあちこちで乳白色に輝く花をたくさん咲かせてくれます。伊集、てっぽうゆり、月桃の時期が終わると、梅雨も明け、沖縄では本格的な夏を迎えます。
 今から100年前の1914年6月28日、オーストリア皇太子夫妻がサラエボで暗殺された事件を機に、瞬く間にヨーロッパ中の国々が「三国同盟」や「三国協商」をという「集団的自衛権」を錦の旗にして参戦し、ヨーロッパを主戦場として世界に拡大していきました。第一次世界大戦です。
 多くの人びとが短期決戦で終わると考えていたこの戦争は、機関銃や毒ガスが初めて組織的に運用され、塹壕戦が主流となったために4年にわたる長期戦となり、世界で900万人以上の若者が兵士として戦死しました。また各国の人びとは「この戦争に勝てば平和が来る」と教え込まされ、総動員されました。その結果は想像を絶するものでした。この戦争で日本は、日英同盟を利用して中国山東省に出兵し、中国に対し「21カ条要求」を突きつけ、ドイツ利権を略奪しました。まさにこの火事場泥棒的愚行が、1945年8月15日の大日本帝国の大破綻へ直結していきます。

 そして耳よりなのは、佐喜眞美術館のことが最新の岩波ブックレットの一冊になったことです。ブックレットの「アートで平和をつくる 沖縄・佐喜眞美術館の軌跡」(佐喜眞道夫)を、さっそく手にして読んでいます。佐喜眞道夫さんが、ケーテ・コルヴィッツの作品を集めるキッカケになったのは魯迅の「深夜に記す」です。「学生時代に読んだ魯迅の『深夜に記す』でその名を知って以来、私はケーテ・コルヴィッツの作品を見たいと切望していました。」「魯迅の『深夜に記す』は『作者はいま、沈黙を守ることを余儀なくされているが、かの女の作品は、はるかに数をまして極東の天下に姿を見せることになった。そうだ、人類のための芸術は、別の力でそれを阻止することはできないのだ』と結ばれています」。そのケーテ・コルヴィッツの作品を59点所蔵しているのが佐喜眞美術館です。
 今年、8月6日~10日までの子どもたちの沖縄キャンプでは佐喜眞美術館を訪れ、「アートで平和をつくる 沖縄・佐喜眞美術館の軌跡」が“テキスト”になります。
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