5月18日から19日にかけて第68回/「合同」後45回兵庫教区定期総会と第2回人格なき社団法人兵庫教区クリスチャン・センター定期総会が行われました。今年は選挙が行われ、新三役をはじめ、教団総会議員、常置委員会などが選ばれましたが、時間の都合上常置委員、宣教委員、各部委員は後日選挙結果を郵送での報告となりました。被災者生活支援長田センターの働き継続を含め、すべての議案が賛成多数で可決されました。
出店のコーナーでは掲示板を一面借りて福島県飯舘村の農地除染をしていた写真を約20枚掲示し、報道されていない「今」を伝えることにもなりました。石巻の「かもめ工房」(石巻立町復興ふれあい商店街の田村由紀恵さん)から届けられた戸田海産物店のスルメ、クリームロールのコースター、飯舘村「までい着」の小物、石巻の仮設住宅で作られている小物、東北家族のキャラクターの入った雑貨に合わせて、「ひまわり工房」(障害児・者情報センターの場所で開設)で製作されている「ゆらーり・かもめくん」、石巻市十三浜の西條さんのところのわかめや茎わかめ、後川のこんにゃくも販売されました。
総会の合間に販売コーナーで待機していると、何人かの方が声をかけてくれます。ちょうど「美味しんぼ」に対する論争が話題にも出ていて、双葉町も福島県も国も抗議しているということは、問題はなくなってきているの?と聞いてくる方もいました。逆です。躍起になってコメントをだし、風評被害だと喚いているのですが、これは実害です。今も県内外に避難をせざるを得ない状況に置かれている被害者である住民に、放射能や放射線被ばくの危険性を甘く見させ、終わったかのように見せ、被曝の自己管理と自己責任を緩やかな表現で被害者自身にゆだねるやり方が浸透してきているのに怖さを感じました。なるべく情報を外に出さないようにし、被災地・被災者には安心・安全を誇示していくのが、国や県が行っていることを黙認する形になっています。すべての責任を最終的には当該被害者に押し付け、そして最も肝心な放射線防護や被ばく医療、被曝を回避するための取り組みに目を向けさせず、定住化と戻ろう政策をセットした方向性を打ち出しています。その具体的なものが子どもたちや妊産婦に渡されているガラスバッジ積算線量計と、福島に人を来させるための誘致イベントラッシュ、地産地消は安全とPRして食べさせようとする学校給食、その他帰還を決めた住民にはさまざまな支援体制がとられています。住民が自主性をもって生活環境回復をするために、社会的にも法的にも援助や補償体制を考慮して住民それぞれの視点を共有しながら問題に向かっていこうというのが、国や県の取っているやり方です。被災住民に判断をゆだねていくやり方が徐々に浸透していく中で、国や県が示す方向は緩やかなものであっても「戻ろう政策」です。不安を不安と声に出すことができない雰囲気作り、コミュニティの中での自粛の空気を作ったり、圧殺している主張が幅を利かすことになっています。安全か危険かの判断を住民自身にするために、判断基準を国や県が招く「講師」による勉強会や講演会での見解や1対1の相談会での誘導するかのような専門知識をいいように使っています。いつのまにか原発事故の責任が東電や国ではなく、自己責任にすり替えられてしまう恐れが非常に強くあります。非常時ですから、やむにやまれぬ選択ですから、という言葉の陰で、本来人災である放射能汚染を予測の範囲を超えた自然災害であるかのように錯覚させていく働きかけが「あなたは、未来の子どもたちのために被曝を低減することに協力するのか、しないのか」という言葉で突き付けてきます。この言葉からは放射能汚染が人災であるという認識は感じられません。
広島・長崎の原爆被ばく者たちが二度と繰り返さないためにと核廃絶運動に取り組んでいったのは、それが人災だという認識だったからです。沖縄では米軍機の騒音の中で「どうしたらストレスをなくして暮らしていけるか」、あるいは墜落などの危険の中で「自己防衛をどうするのか」ということに重点を置く、自己責任にもっていかそうとする国の動きを黙って見過ごすわけにはいきません。自分たちの生活している場での課題や問題を見据え、今挙げるべき声を出さないのは、容認することになります。
社会問題に対しては教区として声明を可決しようとするのは政治的な活動で、教区として行うのはいかがなものかという意見が、教区総会の場で発言されました。自分たちが生きている場が社会から切り離されていないのですから、社会問題で憂慮すべきことは公式見解としても自らの声としても、声を上げていくことが大事なのです。東電福島の置かれている現状から見えてくる日本という国の姿に対して、集団的自衛権行使容認に向けた憲法解釈の変更に反対することも、特定秘密保護法に反対することも、二度と繰り返してはならない戦争に対する反省と後悔の思いを受けて、平和と自由、そして命を尊ぶことを脅かしかねないものに繰り返し問いながら、一人一人の生きる尊厳を脅かすものに対して声を出すのは、決して政治的な活動にはなりません。
怖いのは、たとえば放射能だと、新しい放射能安全神話みたいなものが次第に広がってきています。子どもたちの屋内遊技場や、移動教室でいった先々で「正しく怖がろう放射能講座」みたいなものが連続で行われたり、放射能に対する副読本みたいなものが渡されたりします。高校では福島県の放射線リスク健康管理アドバイザーの方を呼んで「年間100ミリシーベルト以下は大丈夫だ」という講演が行われたりしています。子どものころから繰り返し「放射能もこのぐらいなら大丈夫」「正しく付き合おう放射能」みたいな、一見正しそうで、実は無責任に責任の所在はあなたですという雰囲気作りがずっと行われています。福島駅や郡山駅周辺ではホットスポットと呼ばれる放射線量の高い場所はまだ残っています。そんな中で生活し続けていると、非常にくたびれて、意識していないと放射線というものを忘れてしまう瞬間ができてしまいます。しかし、常に放射線を意識しているのはとても大変なことです。だから「もういいかな」と思ってしまう人も沢山いるのです。
そういうところを見計らって、「もう大丈夫」「ここで暮らすしかないんだから、復興に力を入れていこうよ」という空気が広がっていくのです。そうなると同じ地域の中でも考え方がずれていき、話題を口にすることも憚ってしまいます。話題を口にできない状況に追い込まれていく、この状況になりつつあることに目を向けていくことはとても大切なことなのだと思います。
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