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小さな手大きな手

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2014年03月01週
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 子どもたちと一緒に、絵本を楽しんできた長い年月で、それが続いた何よりの力は、そこには必ず、目を凝(こ)らし、耳を欹(そばだ)てる子どもたちがいたからです。昨年4月から、毎月10冊、100冊の絵本を紹介しましたが、選んだのは、子どもたちです。最初から子どもたちが選んだのではなく、機会ある毎に絵本を読み、機会ある毎に、絵本について書かれたものを読み、機会ある毎に絵本について語る人たちの話に耳を傾け、一冊一冊を子どもたちと読み、少しずつ、少しずつ確信を持って、子どもたちと生きる一人の大人として選ぶことになった絵本です。もちろん、その多くは、個人的な体験ですし、他にも数え切れない絵本が存在しています。そして、もっともっと子どもたちが喜ぶ絵本も存在するはずです。この度の100冊の絵本が、そんな絵本との更なる出会いによって、じっくりと少しずつ増えていくことを願っています。
 こうして、100冊の絵本を紹介させていただいたのを読んでいただいた方は、ご自分が子どもの頃、そして、今子どもたちと生活する中で、きっと大切な絵本があるはずです。そんな絵本のことも、ぜひ教えていただけたらと願っております。
 たとえば、そんな絵本の中から3冊選んでいただくとしたら、どんな絵本になるでしょうか。紹介させていただいた100冊以外であっても、もちろんかまいません。






 こうして、100冊の絵本を見つめて過ごした1年を終えるにあたって、別に3冊の絵本を紹介します。
 「わたしとあそんで」(マリー・ホール・エッツ ぶん・え、よだじゅんいち やく、福音館)。エッツの描いた絵本「もりのなか」は、どうしてそれが描けたのか、なぜ子どもたちを魅了してやまないのか、いろんな人たちによって論じられてきました。しかし、結局は論じ切れない、そして誰も真似ることができないのは、何かが契機になって、エッツの中に子どもの世界が生まれた時、それ自体奇跡なのですが、実現することになった絵本だからのように思えます。大人には決して真似ることのできない、しかし子どもには確実にある世界が、何かが契機になって、奇跡のように誕生したのが「もりのなか」です。エッツの、生きもの同士が出会うことの真髄が描かれたのが、「わたしとあそんで」です。ひょっとしたら、「わたしとあそんで」のような、出会いと生き方があれば、ただ奇跡ではなく、「もりのなか」のような絵本・物語の実現につながるのかもしれません。
 「せいめいのれきし」(バージニア・リー・バートン 文・え、いしいももこ やく、岩波)。バートンが「地球上にせいめいがうまれたときから、いままでのおはなし」「せいめいのれきし」を、こんな形で絵本にすることになったのは、「生命には歴史があること」を、子どもたちが、心に刻んでほしいと願ったからに違いありません。「せいめいのれきし」は、人間は数え切れない生命の中の、たった一つにしか過ぎないことを、歴史として描きます。その「せいめいのれきし」を知ることは、子どもたちが、人間が自分を含め、すべての生命の存在に驚き愛おしむことにつながります。
 「クマよ」(星野道夫 文・写真、たくさんのふしぎ傑作集、福音館)。動物たちの、生きものとしての尊厳を、ここまで近い位置で写真に写した写真家はいただろうか。ただ、好きだからというのではなく、動物たちを見つめ、動物たちの声を聞く位置に自分の身を置いた写真家の写真なのです。ですから、動物たちの声すら、この「クマよ」では、書き残すことになりました。


マッキンレー山のふもとで
おれたちは
どっかり 腰をおろし
ブルーベリーや クランベリーの
秋の実を
むさぼっている
ときどき
あたまをあげて
たがいの 場所を
たしかめながら
おれは ズボンを 秋の実にそめて
おまえは おしりを 秋の実にそめて

「クマよ」(星野道夫 文・写真、たくさんのふしぎ傑作集、福音館)より。
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