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小さな手大きな手

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2014年01月02週
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平凡で、平穏な日々が、何よりも誰より約束されなければならないのが子どもたちです。
決して美しくはない褐色のだんごむしを、子どもたちは大好きです。つかまえてみると、くるくるっとまるまって、ころころっと手の平をころがったりするのと歩き出してしまうところが、子どもたちの人気の秘密です。だんごむしは、そうして、くるくるっとまるまって、ころころっところがって身を守る以外、決して危害を加えることはありません。
くるくるっとまるまっただんごむしを、手の平にのっけて、しばらくすると、もぞもぞと歩き出すのを眺めて待つ時間が、子どもたちの時間です。平凡で平穏な時間の日々を子どもたちが過ごして欲しいと切に願っています。
100冊の絵本⑨は、平凡で平穏な時間・日々を生きる人たちの物語です。ちょっと厳しかったり、立ちはだかったりすることがあったとしても、平凡で平穏な時間や日々が、希望を明日につなぐ物語なのです。
「のはらに おはなが さきはじめたら」(ぶん シャーロット・ゾロトウ、え ガース・ウイリアムス、福武書店)。おねえさんというものは(おにいさんでも!)、少しだけ先に生まれた、そのことが何よりの誇りです。そうしておねえさんであることを、そのまま、何の違和感もなく実現できるのが、家族なのかもしれません。
「ちいさいおうち」(ばーじにあ・りー・ばーとん ぶんとえ、いしいももこ やく、岩波書店)。人間は結局、何を目的に生きているのだろうか。たくさんの欲望を、たくさん満たすことを、人間は目標にして、町を工場を車を作り、走らせたりしてきました。でも、平凡で平穏な日々、ゆっくりと流れる時間はどんな時のどんな場合であっても、忘れることのできないのが人間でもあるのです。
「海べのあさ」(ロバート・マックロスキー 文・絵、石井桃子 訳、岩波書店)。朝、目覚めた時、波の音が聞こえるような生活は、今誰でもできる訳ではありません。「海べのあさ」を開く時、波の音が聞こえてきます。そして、海と波は、こう呼びかけます。「おはよう!出ておいでよ!」と。そしてもし、海べを歩く時、そこにはいっぱいの出会いがあり、そして物語が始まります。海は、人間の身体と心のふるさとなのです。
「せかいいちおいしいスープ」(マーシャ・ブラウン 文・絵、こみやゆう 訳、岩波書店)。「せかいいちおいしいスープ」を、もし食べて味わいたいなら、他の何よりも人が集まって、人の輪が広がる時です。きっとそこでは、食べるだけではなく、歌ったり踊ったりも始まり、スープは、もっともっとおいしくなります。
「ピーターのくちぶえ」(エズラ・ジャック・キーツ ぶん・え、きじまはじめ やく、偕成社)。人間の体がそのまま楽器になってしまう、誰でも音楽家になれるのが“くちぶえ”です。でも、吹いてそれが音になる瞬間は、練習だけではなく、少し待たなくてはなりません。そんなことが起こる、平凡で平穏な日々を、「ピーターのくちぶえ」は描きました。
「まよなかのだいどころ」(モーリス・センダック さく、じんぐうてるお やく、富山房)。人間の子どもたちの生活は、昼があって、そして夜があって、それが繰り返されてつながっている平凡で平穏な日々として実現しています。眠ってしまったら見ることのできない夜、でも知りたくてしようがない夜、それが「まよなかのだいどころ」です。
「くんちゃんのはたけしごと」(ドロシー・マリノ さく、まさきるりこ やく、ペンギン社)。家があって、畑があって、野菜などが植わっていて…、それを収穫して食卓に並ぶ、しかしそこにちょっとしたドラマがあったりする、平凡で平穏な日々は、言葉にならない喜びに満ちています。喜びとは、本当は平凡で平穏な日々のことなのです。
「びゅんびゅんごまがまわったら」(宮川ひろ 作、林明子 絵、童心社)。もし、こんな平凡で平穏な学校や地域があるなら、子どもたちはきっと、明日に生きのびていくに違いありません。いいえ、ぜひ、どこかにではなく、今、ここでも、少しはこれに近い子どもたちの生活があってほしいと願います(公同幼稚園の、びゅんびゅんごまのあそびは、この絵本もヒントになっています)。
「満月をまって」(メアリー・リン・レイ ぶん、バーバラ・クーニー え、掛川恭子 やく、あすなろ書房)。貧しさを生きるということは、もちろん、決して、たやすくはありません。しかし、豊かな森や仲間・家族に恵まれた平凡で平穏な日々は、貧しさを生きたとしても、明日があることを、100年前の、コロンビア郡の山間の人たちの生活で描きました。
「あしたは 月よう日」(長谷川集平、文研出版)。土曜日の次は日曜日、日曜日の次は月曜日というように、それがあたりまえのこととして人間は生活しています。しかし、ある出来事が、そんな平凡で平穏な日々を一変させてしまうことがあります。それが自然災害であることもあれば、家族の誰かの事故であることもあります。しかし、それでも人間はあしたに向かって生きていきます。いかなくてはならないのです。

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