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小さな手大きな手

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2015年07月01週
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 信じるに値し、かつ、子どもの生活世界につながる物語や歌(童謡)に思いをめぐらせています。
 教会の第2、4水曜日の読書会で読んでいるのが「幼い子の文学」(瀬田貞二、中公新書)で、3項が「童唄(わらべうた)という宝庫」、4項が「詩としての童謡(どうよう)」となっています。瀬田貞二は童唄(わらべうた)、童謡(どうよう)が乳幼児期の子どもたちの、言葉の習得に大きな役割を果たすことを「幼い子の文学」で大きなページを割いて語っています。「童唄の最初に来るのはなんといっても、母親がまだ意味もわからず物も言えない赤ちゃんに向かって、自分のいちばんいい声で歌って聞かせる子守唄です。赤ちゃんもだんだん目を開き、耳の栓が取れて、次第に片言などが言えるようになってくると、そういうお母さんの言葉をまねして言葉を覚えていくわけですから、言葉を習得するうえで童唄がとても大きな意味をもつ、これはもう疑いのないことです」。
 その瀬田貞二が大きな影響を与えたのが「岩波少年文庫」の発行とその選書だと言われます。岩波少年文庫の創刊・刊行はその最初の編集者であった石井桃子の仕事です。「あのなつかしい岩波書店旧館の大きな教室のような−それは元商科大学の教室であったのだろうが−編集部の片すみに、たった一つおかれた机のことである。岩波書店の首脳部の人たちと編集会議をしたという記憶はない。とにかく、私はそのみんなと離れた一つの机で『宝島』『ふたりのロッテ』『あしながおじさん』…と、私が読んで楽しめる本、私にとって『喜びの訪れ』と感じられる本のリスト作りに熱中していたということだけが確かなのである」(石井桃子「図書/岩波少年文庫」創刊40年記念号、1990年7月)。そうして石井桃子が「本のリスト作りに熱中していた」その時に手元にあったのが、瀬田貞二が「アン・キャロル・ムーアから学んだ」書名のリストでした。「瀬田先生がアン・キャロル・ムーアから学んだそのリストというものは、石井先生にとっても、深く納得できるリストであったにちがいない。石井先生は、きっと瀬田先生と息を弾ませながら子どもの本について語り合い、委員会のみなさんが選んだ百冊のリストとはちがうところで、あるいは参考にしながら、ほんとうに『喜びの訪れ』と感じられるものだけでこれから『少年文庫』を作っていくという決意を、自らのうちに再確認なさったにちがいないと思います」(「なつかしい本の記憶−岩波少年文庫の50年」、記念講演「岩波少年文庫とわたし」斉藤惇夫)。その後、少年・少女たちに「喜びの訪れ」とその時間を約束することになった「岩波少年文庫」は、瀬田貞二という「幼い子の文学」にゆるぎない知識と知性の持主と、おなじように少年・少女たちの世界に決して妥協することのなく「喜びの訪れ」をもたらすことを自ら学び、確信する石井桃子の働きによって誕生することになったのです。
 その「岩波少年文庫」について、その50年で講演した斉藤惇夫は、自分にとっての岩波少年文庫について次のように語っています。「戦後、1940年生まれの私たちの世代が物ごころつく頃にはすでに教育制度が変わっていて、民主主義教育がなされていたのですが、わずか5歳年上の中川さん(中川李枝子)の世代は、教師たちが一気に変質していくのを目の当たりにしていく、つまり信じられるものは何なのかわからないという、そういうところで教育を受けていらしたわけで、大人と教育が信じられなくなっていった時代です。しかし『少年文庫』は信じることができた。ほとんど唯一信じられるものだった」。
 「大人や教育が信じられなくなった時代」「しかし『少年文庫』は信じることができた。ほとんど唯一信じられるものだった」を、子どもの世界に送り出した石井桃子の子どもの文学の理解について、「なつかしい本の記憶」の中で、瀬田貞二も言及しています。「昔話というものが、小さい子どもの心の働きにそい、また精神の成長にとって非常に大切である。さらにそのさき子どもの読書に、ファンタジーが非常に大切ではないか、そういう文学を子どもとしての段階で通っておきますと、のちに大きくなって、その人がひとの心をよく理解できたり、ものの奥底にひそむかくれた真実というものを、正しくつかんだりするよう能力が、ごく自然につちかわれるのではないか−こういうお話を(石井桃子さんが)なさったように思います」。「子どもと文学/ファンタジーの特質」を語る「昔話」の、もう一つ別の「小さい子どもの心の働きにそう」子どもの言葉の世界が、教会の読書会の、瀬田貞二の著書でたくさん言及されることになります。
 手元にある「日本童謡集」(与田凖一、岩波文庫)の解説に、童謡の定義、範囲が書かれています。「いま、ひとくちに童謡とよばれているもののなかには、むかしから民間の子どもたちに伝承されてきた『わらべうた』、明治の小学教育を中心につくられた『唱歌』のなかの比較的やさしい歌詞、さらに唱歌に抗して大正中期に勃興した『創作童謡』、この三つのうたが、まじっています」。
 「わらべうた」も「創作童謡」も、学校制度の中で直立不動で歌う唱歌の世界に圧倒されてしまいました。子どもたちの遊びの世界も同様であったことを「日本児童遊戯集」(大田才次郎編、瀬田貞二解説)の解説で瀬田貞二は書いています。子どもたちの生活世界の中で生まれ伝承されてきた「わらべうた」や「あそび」は、当然のことながら生き生きとした本来の子どもたちの表現世界ではあったのです。「しかし、伝承された遊戯のおのずからな性質として、自由と信頼、緊張と喜悦、没入と仮装、およそ完全なそのリズムは、教えることなくして多くをもたらすのではないか」(瀬田貞二、前掲書解説)。瀬田貞二は別に解説で、柳田国男の「子ども風土記」から次の文章を紹介しています。「それから(子どもたちが)蓮華の花が開いたといひ、または『かごめ、かごめ』といふ文句に取換へたりしたのも、あんまり上手だから別に作者があったやうに考へる人もあるか知らぬが、私たちは、なほ、かれらの中の天才が興に乗じて言ひはじめた言葉が、自然に採用せられて伝わったものと思っている」。
 言及することになった「岩波少年文庫」、そして子どもたちの生活世界の中で生まれ伝承されてきた「わらべうた」や「童謡」が信じるに値するのは「自由と信頼、緊張と喜悦、没入と仮装」を教える何かだからです。
 寺山修司は、自分の「日本童謡集」(光文社、カッパブックス、1972年)を編集するにあたって、次のように書いています。「私は、この『日本童謡集』を編むにあたって、それが子どものために作られたものかどうか、という吟味よりも、それが子どもとともに在った唄かどうか、ということに重点を置いた。だから、かたらずとも唱歌やわらべ唄ばかりではなく、CMソングや軍歌、春歌などまでおよぶことになった。どんな唄でも、それが私たちの子ども時代にあった唄ならば、私は『童謡』として扱うことにした」、という寺山修司の子ども時代にあった唄、「通りゃんせ」を、ふとしたことで作ることになった歌、「椿姫」の冒頭でアカペラで使わせてもらうことになりました。
   通りゃんせ 通りゃんせ
   ここは どこの細道じゃ
   天神さまの 細道じゃ
   ちょっと通して 下しゃんせ
   ご用のないもの通しゃせぬ
   この子の七つの お祝いに
   お札をおさめに まいります
   行きはよいよい 帰りはこわい
   こわいながらも
   通りゃんせ 通りゃんせ
参考資料
「なつかしい本の記憶/岩波少年文庫の50年」(岩波少年文庫)
「日本童謡集」(与田凖一編、岩波文庫)
「日本唱歌集」(堀内敬三他編、岩波文庫)
「わらべうた」(町田嘉章他編、岩波文庫)
「日本児童遊戯集」(瀬田貞二解説、東洋文庫、平凡社)
「日本童謡集」(寺山修司編著、光文社)


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