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2015年07月04週
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藤原書店の季刊の雑誌「環」が61号で第1期の終刊になりました。石牟礼道子と多田富雄の往復書簡が目にとまり、20号の後半から、断続的に15号くらいを断片的に読んできました。A5サイズの、写真の多い300ページを超える「歴史・環境・文明」を幅広くテーマとした、それはそれは重厚な雑誌なのです。2011年の東北の大地震・大津波そして東電福島の事故の時は、2011年7月のNo.46〜2012年1月No.48まで東日本大震災を3回にわたって特集し、歴史・環境・文明の問題として徹底的に論究することになりました。
2007年7月のNo.30の特集は「今こそ『琉球の自治』を/『復帰』とは何だったのか」で、現在問題になっている辺野古新基地建設を射程におきつつ、「琉球の自治」という観点で掘り下げていました。
 「環」には、石牟礼道子が句を、金時鏡(キムシジョン)が詩を寄せたりしていましたが、東日本大震災が特集になったNo.46の冒頭は金子兜太の2句、末尾は石牟礼道子の2句でした。
 
 津波のあとに老女生きてあり死なぬ
 燕や蝉やいのちあるもの相和して
 
毒死列島身悶えしつつ野辺の花
前の世にて逢はむ君かも花ふぶき

 そして、特集の冒頭に置かれていたのが石牟礼道子の「花を奉る」です。

 春風萌すといえども われら人類の劫塵いまや累なりて 三界いわん方なく昏し
 まなこを沈めてわずかに日々を忍ぶに なにに誘わるるにや 虚空はるかに 一連の花 まさに咲かんとするを聴く
 ひとひらの花弁 彼方に身じろぐを まぼろしの如くに視れば 常世なる仄明りを 花その懐に抱けり
 常世の仄明りとは あかつきの蓮沼にゆるる蕾のごとくして 世々の悲願をあらわせり かの一輪を拝受して 寄る辺なき今日の魂に奉らんとす
 花や何 ひとそれぞれの 涙のしずくに洗われて咲きいずるなり
 花やまた何 亡き人を偲ぶよすがを探さんとするに 声に出せぬ
 胸底の想いあり そをとりて花となし み灯りにせんとや願う
 灯らんとして消ゆる言の葉といえども いずれ冥途の風の中にて
 おのおのひとりゆくときの花あかりなるを この世のえにしといい 無縁ともいう
 その境界にありて ただ夢のごとくなるも 花
 かえりみれば まなうらにあるものたちの御形 かりそめの姿なれど おろそかならず
 ゆえにわれら この空しきを礼拝す
 然して空しとは云わず 現世はいよいよ地獄とやいわん 虚無とやいわん
 ただ滅亡の世せまるを待つのみか ここにおいて われらなお 地上にひらく 一輪の花の力を念じて合掌す

 たくさんの人たちの死に、たくさんの言葉がつむがれることになりましたが、その時、生者の言葉が死者に届いた一つが「花を奉る」であったように思えました。後になって、それが、熊本無量水真宗寺御遠忌のために書かれた「花を奉るの辞」によっていることを知りました。平常のそこで営まれた「遠忌」で花を奉る「辞」が、起こってしまったたくさんの人たちの死に、生者から死者へ届く言葉としてよみがえることに驚きました。
 2015年5月の「環」No.61の金子兜太の2句と石牟礼道子の2句は以下の句です。

 沖縄を見殺しにするな春怒涛 
相思樹空にしみてひめゆりの声は
 
 向きあえば仏もわれもひとりかな
 花びらの吐息匂いくる指先に

 沖縄のことが句になるのは、そのことが心に響く人であって初めて可能であるに違いありません。「わたしの骨格『自由人』」(金子兜太、インタビュー・撮影・、蛭田有一、NHK出版)で、わたしの骨格「自由人」の由来が、一茶であると明かされています。「生きもの同志が心から感じあう『生きもの感覚』に通じている。それと平凡な普通の生き方ができている、これが一番すごい。これが『荒凡夫』である。だから『荒』というのを『自由』と読み替えて、自由に平凡な男として生きていてくれる人だと思う人でね。『荒』というのは『自由』とわたしはとっています。一茶の場合は、荒っぽいくらいの思いじゃないかな。自分じゃ、むしろ(粗野な生き方をしたと思ってると思いますけど)「一茶は決して人に大きな迷惑をかけていない」「わたしの言う『生きもの感覚』にたどり着くわけですよ。『生きもの感覚』によって、おのずから、悪いことを避ける歓声の働きというものがあるんじゃないか」。そして紹介される一茶の2句。

 花げしのふはつくようやうな前歯哉
 花の影寝まで未来が恐しき

 その金子兜太が「アベ政治を許さない」と書いた文字のことで少し話題になっています。「『アベ政治を許さない』−安全保障関連法案が衆議院を通過してから初めての週末となった18日、各地で同じメッセージが紙が掲げられた。ノンフィクション作家の澤地久枝さん(84)、ジャーナリストの鳥越俊太郎さん(75)らが呼びかけ、午後の一斉行動につながった」「『アベ政治を許さない』の分を書いたのは、俳人の金子兜太さん(95)だ」「揮毫は旧知の作家、澤地久枝さんから6月上旬に依頼された。色紙を受け取った澤地さんは『素晴らしい迫力だった』と感謝してくれた」(7月19日、朝日新聞)。
 金子兜太は「生きもの感覚」で「アベ政治を許さない」と書き、その「生きもの感覚」が生きた一茶の2句を紹介しています。

 赤馬の鼻で吹きたる蛍かな
 十ばかり屁を棄てに出る夜長哉

 金子兜太は「死刑論者」です。「わたしは死刑肯定です。それは、殺した人の将来を考える前に、殺された人のこと、環境、家族、そのことを考えるほうが先でしょう。その考え方を薄くしちゃって、殺した人間の将来を考えるなんていうのは本末転倒だと思うのですよ。殺された人の立場を徹底的に守らなければいけませんよ」(前掲「わたしの骨格『自由人』」)。出エジプト記には、この「死刑」について、「しかし人がもし、ことさらにその隣人を欺いて殺す時は、その者をわたしの祭壇からでも捕えて行って殺さなければならない」と書かれていて、更に「自分の父または母を撃つ者は、必ず殺さなければならない」と業罪を求めています。「死刑」が制度としてではなく、「生きもの感覚」に根差した時に、許してはならないということが、その根底に貫かれているのです。
 (この項、次号へ)



(「アベ政治を許さない」のポスターや、縮小したケシゴムはんこ(10×8センチ)の押印を希望される方は申し出て下さい)


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