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小さな手大きな手

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2015年08月01週
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 「環」という「歴史・環境・文明」をテーマにする重厚な雑誌を61号まで出してきた藤原書店の別の大きな働きの一つが、2004年2月から始まった「石牟礼道子/不知火」(全17巻・別巻1)の発行です。内容見本で推薦人としてあがっている人たちのうち、染織家の志村ふくみが織った布が表紙になって、手にしたその瞬間深く静かに語りかけずにはおかない書物に仕上がっています。「環」№32ではアラン・コルバンと志村ふくみが「色・におい・からだ」をテーマに語り合っています。限られた対談で、どこまで深くかつかみ合っているのかは別にして、この対談のように広く世界と人間が出会う場を切り開いてきたのが藤原書店であり「環」であるように思えます。「環」が始まりとなって、志村ふくみと石牟礼道子の「対談と往復書簡/遺言」も生まれました。「遺言」というものが、死と死後への語りであるとしても、この2人によって語られる「遺言」は、世界の全ての生類を見つめている時、単なる終わりや始まりではなく、志村ふくみが「遺言」のあとがきで書く「…次なる世に燦然とした新しい思想が生まれ」の誕生として読めるようにも思えます。
 そうして、広く深く世界と人間が出会う場を切り開いてきた「環」を発行してきた藤原書店の大きな働きの一つが「石牟礼道子全集/不知火」です。全集第2巻に収められている「苦界浄土・第二部」は、1970年10月の「井上光晴編集、季刊、辺境」2号から連載が始まり、完結は40年後の2006年です。およそ40年前の「第一章、葦舟」の冒頭の文章のその時の衝撃を今でも忘れることができません。

  杢太郎(もくたろう)の爺さまが死んだ。少年は腹這いのまま、いやいやをするように項を仰向け、まがった指をさしのべる。自分の魂の中に落下してゆくような微笑を浮かべて。
  片方のやっぱりまがった肘で、少年は状態を突っぱり、そのような眼で微笑むことに耐える。不揃いの前歯で笑って見せようとして、片方の肘をさしのべたまま。
 その指でスカートの端をつかもうとして、彼はひっくり返る。いやそのきわに、わたくしの指にからまり坐る。外側に反った指で。
 外側に反ってもやもやと動く指と掌を握りしめたとき、ひとすじの力がびいんと、彼の細く曲がった体の中を貫いた。ほんの束の間、わたくしたちは、そのようにして抱きあう。彼の肉体と芯を、そのようにして抱く。たぶんごく稀に、いつも束の間、少年はそのようにして抱かれる。

 そのようにして始まった「苦界浄土・第二部」と出会ってから約45年、石牟礼道子の作品を断続的に読んできました。そして、結構読んでいたつもりが、全17巻、別巻1の全容を見ていて、一部にすぎないこと、更に、全集巻末の解説を書いている人たちを見て、石牟礼道子とその作品が、いかにたくさんの人たちを圧倒し魂をゆさぶってきたかを思い知ることになりました。
 以下全集第二巻に収められる「苦界浄土」に魂を揺さぶられた池澤夏樹の解説の一部です。
 「これはまずもって受難・受苦の物語だ。水俣のチッソという企業の化学でプラントからの廃液に含まれた有機水銀による中毒患者たちの苦しみ、そこから必然的に生まれる怒りと悲嘆・これがすべての基点にある。この苦しみと怒りと悲嘆を作者は預かる。あるいは敢えてそれに与る。彼女の中でそれらは書かれることによって深まり、日本の社会と国家制度の欺瞞を鋭く告発する姿勢に転化する。その一方で、作者はこの苦しみを契機として人間とはいかなる存在であるかを静かに考慮し、救いとは何かを探る側へも思索を深めてゆく。読む者はまるでたった一人の奏者が管弦楽を演奏するのを聞くような思いにかられる。なんと重層的な文学作品を戦後日本は受け取ったことか」。
 池澤夏樹は個人で責任編集する世界文学全集に「石牟礼道子 苦界浄土」を世界文学の一冊として選びました。新たに編集発行が始まっている「日本文学全集」の一冊も石牟礼道子です。「この人が戦後日本で一番大事な作家、とぼくは信じる。代表作は『苦界浄土』だが、これは前にもした『世界文学全集』に入れてしまった。あの代表作の背後から照らしていたのは、かつての水俣の幸福を書いた『椿の海の記』だった。『不知火』は過去の罪過を未来の浄化に繋げる」(池澤)。
 石牟礼道子全集第9巻に収録されている「十六夜橋」は、もとは径(こみち)書房からの発行でしたが、現在はちくま文庫の一冊になっていて、文庫版の解説を書いているのは辺見庸です。「あらゆる評言を許す。けれども、いかなる評言も当てはまりはしない。評者たちの、しきりに賢しらがる言葉が、なぜだか次々に錆びていく。品定めの文言などいわずもがな・たちまちにして綻びていく。『十六夜橋』は私にとってそのような作品でもある。ならば、文中のいちいちの情景を胸の深みに着床させたまま、彩りが褪せないように、光が散らばらないように、いっそのこと蛇のように口を噤み、身じろきもせずに、ただひたすら物語を味読するだけの自分でありたい」。そして「十六夜橋」に限らず石牟礼道子の物語について「おそらく、『原物語』とでも呼ぶべき記憶を岩盤にした深き湖底が、志乃の内奥にはあるであろう。その湖底から、みなれのようにたくさんの相似形的なストーリーがわき、『現物語』としてひとつひとつ湖面に浮き出てくる。―現物語は常に原物語を帯びているのであり、いかに無残でも無様でも、原物語の受苦の深みを超えることはないようにも思われる」と書く時、それはそのまま辺見庸が書いてきた現物語の世界とも重なってきます。

   わたしの死者ひとりびとりの肺に
   ことなる それだけの歌をあてがえ
   死者の唇ひとつひとつに
   他とことなる それだけしかないことばを吸わせよ
   類化しない 統べない かれやかのじょだけのことばを
   百年かけて
   海とその影から掬え
   砂いっぱいの死者にどうかことばをあてがえ
   水いっぱいの死者はそれまでどうか眠りにおちるな
   石いっぱいの死者はそれまでどうか語れ
   夜ふけの浜辺にあおむいて
   わたしの死者よ
   どうかひとりでうたえ
   浜菊はまだ咲くな
   畔唐葉はまだ悼むな
   わたしの死者ひとりびとりの肺に
   ことなる それだけのふさわしいことばが
   あてがわれるまで
       (「死者にことばをあてがえ」初出、2011年6月「文学会」、
                    「眼の海」辺見庸、毎日新聞社)

 原物語から決して離れず、現物語をつむぐことを断念しなかった、厖大な量の石牟礼道子の作品を掘り起こすことに力を惜しまなかった人たち(藤原書店)によって、「石牟礼道子全集/不知火」が誕生することになりました。その藤原書店の「環」には、今、話題になっている「『ドイツ帝国』が世界を破滅させる」エマニュエル・トッドも何度か登場します。ギリシャのことも、イスラムのことも、原物語があって湖面に浮きあがってみた水のように広がっていることを、学問の基本にすえる「家族システム」や「人口動態」から明らかにするのが、エマニュエル・トッドだと思われます。原物語を見すえることを出版という仕事の基本にすえた時、重厚で読みごたえのある現物語を生み出すことを藤原書店はその働きとしてきました。


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