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小さな手大きな手

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2015年08月02週
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 7月29日から始まった、子どもたちとの沖縄キャンプで、那覇空港へついて出口の方へ歩き始めた時に向こうから歩いてきたのが、翁長雄志沖縄県知事でした。すれ違いざまに「頑張って!」と声をかけると、「オッ」と軽く右手を挙げてくれました(週刊誌AERAの佐藤優との対談などで東京へ出かけるところだったのを翌日の新聞で知りました。「緊急対談/「翁長雄志・沖縄県知事×佐藤優、辺野古埋め立て承認、取り消しへ/目覚めた沖縄人のアイデンティティー/島ことば公用化」は、AERA№34、8月10日に掲載されています)。空港には、沖縄から参加する羽柴恵くん、5日間車の運転などでお世話になる羽柴禎名護教会牧師、先に来て車の運転などを手伝うことになっていた渡邊勝彰さんが待っていました。
 そんな具合の沖縄の一歩の、二歩目は宜野湾市の普天間基地に隣接する佐喜眞美術館を訪ねることでした。丸木俊・位里の「沖縄戦の図」を展示する為に佐喜眞道夫さんが建設した美術館は、ルオー、ケーテ・コルヴィッツの作品を収蔵することでも知られています。7月22日から8月10日までの特別展は「記憶と肖像/沖縄と韓国・写真交流展」です。昨年の東電福島の事故の福島「奪われた野にも春はくるか」の鄭周河を含む4人の韓国の写真家と2人の沖縄の写真家の写真展です。「日本軍慰安婦被害者」写真の前に立って一人一人の短いけれども魂の叫びとしての証言をじっくり読む時間になりました。
 美術館で、じっくり過ごし、遅れついでに昼食は名護まで行ってとなり、名護の沖縄そばの店 我部祖河で沖縄そばにありついたのは午後2時を過ぎていました。
 食堂からすぐ近くのマックスバリューで夕食、2日目の朝食・昼食までの食材(島どうふ、スパム、ゴーヤーなど)を購入し、今帰仁キャンプ場(正式名称は、沖縄教区今帰仁研修センター)に着いたのは午後4時を過ぎていました。
 荷物を部屋に運び込んで、キャンプ場のすぐ裏の砂浜に下り、太陽が水平線に沈むのを見届けるまで、そこで過ごしました。
 沖縄の夏は、いろんな町・村で祭りが開催されます。沖縄伝統の木造船を8~10人で漕いで競うハーリー大会、エイサー大会、民謡大会、そして闘牛などです。出かける前に調べたところ、キャンプ期間中はそれらの何一つ予定はないということでした。実は、キャンプの最終日の8月2日には、名護港でのハーリー大会、那覇市国際通りを“我こそは!”のエイサー団体が“ねり踊る”など、1日以降は催し物でいっぱいでした。で、沖縄の地元の新聞、琉球新報で見つけたのが、今帰仁村の隣りの本部(もとぶ)町で7月31日開催される「本部海洋まつり前夜祭闘牛大会」でした。前夜祭ですから、本格的ではないにせよ、近い場所で闘牛大会が開催されるのが解り、31日の夜の予定は「闘牛」見物と決まりました。
 沖縄キャンプにあたって、期間中の朝は、車で30~40分で行ける、辺野古新基地建設反対の「早朝座り込み」に参加することを決めていました。
 5時前に起き、途中のコンビニで朝食を済ませ、6時15分くらいから座り込みに参加します。辺野古の座り込みには2月から参加していますが、7月はちょっと様子が違っていました。集まった30~40人が、工事車両などの動きの様子で、ゲート前にスクラムを組んで座り込みます。座り込んだその時には、既に機動隊の車両がゲート前に横付けになり、第1ゲート歩道側・車両の前後には基地内から運び出された鉄柵が置かれたその空間に、座り込んでゴボウ抜きされた人たちを第1ゲートから駆けつけた機動隊が押し込んで閉じ込めることになっているのです。もう一つ様子が違ったのが、機動隊員一人一人がはめている手袋が、イボイボゴム付き軍手に変わっていたことです(6月までは白の手袋だった)。すべり止めのイボイボ付き軍手でつかまれるのですから、半そでの先が素肌だったりすると、引きちぎられるように痛かったりするのです。で、「オレたちは人間だ、モノじゃないんだぞ、イボイボ付きは止めろ!」と叫んだりするのですが、もちろん聞いてはもらえません。そんな、機動隊との攻防を繰り返してきたのが、辺野古の早朝の座り込みです。
 早朝の座り込みの後は、基地(キャンプシュワブ)と国道をはさんだ反対側のテント村での座り込みになります。こっちの方は設置したベンチ及びキャンプ用の折りたたみイスの座り込みで、午前・午後2回開かれる集会は、「辺野古総合大学」と呼ばれています。「総合」なのは、講演・報告・多様な参加者の自己紹介などもあり、歌(三線)、踊りありで、かつきっちり学習するところから「大学」となったようです。たぶん、いわゆる大学とは逆で、いろんなプロの働きをしている人たちが、その辺野古の現場で、そこに集まっている沖縄の人たちから多くのことを見・かつ学ぶという意味での「大学」なのだと思います。7月30日~1日にも、そこではいろんな人たちと出会いました。最近発行され始めた季刊の雑誌「つるとはな」で紹介されていた映画、河瀬直美監督・脚本の映画「あん」の主人公を演じているのは、樹木希林です。その樹木希林が「辺野古総合大学」に現れて、しばらくの間座り込みに参加していました。司会をしていたのが、知り合いの西原教会の高里鈴代さんで、「菅澤さん、西宮の皆さんを紹介して!」と誘われ、紹介の代わりに「フクシマ」をみんなで歌いました。配った楽譜を見ながら、樹木希林さんも「フクシマ」を歌っていました。31日にはキャンプ参加者のうち、3人が志願して早朝行動を「見学」することになりました。少なからず激しいやりとりを見た、3人のうちの1人が「みんな、見といた方がいいかも!」と発言したことで、1日はキャンプ参加者全員が、早朝行動に「見学」で参加することになりました。その日読谷村(よみたんそん)を案内してもらう予定の富樫守さんと辺野古で落ち合うことになっていた為、そのままテントで座り、みんな思い思いに「辺野古総合大学」の生徒をすることになりました。1日の辺野古でも、いろんな人たちと出会い、時には激しく、時には優しかったりする人たちがそこにはいました。中でも、元気で激しかったのは、元裁判官の仲宗根勇さんでした。たまたま目にしたことのある「沖縄差別と闘う」(未来社)で「元気!」と思っていたより、はるかに元気で激しい元裁判官でした。そして、優しくておだやかな人だったのが、そこで出会った稲嶺進名護市長でした。辺野古の座り込みをしている人たちには、地元沖縄各地から飲み物や季節の野菜・果物が差し入れられます。30,31日には、東村(ひがしそん)の農家からマンゴーが大量に差し入れられました。富樫守さんによれば、元同僚(県立高校)で、辺野古の座り込みの指揮をしている伊波洋一さんの「教え子」なのだそうです。
 31日夜の「闘牛」は、4,5年前に、今帰仁村の村祭りで見て以来久しぶりでした。闘いの場に引き出され、自らを鼓舞する牛たち、奮い立たせる勢子たち、そして観客が一体となった時、たぶんその場で覚悟が決まり、牛たちは全力で闘っているように見えました。勝った牛の栄誉を讃える三線の音色に合わせて、観客の中の沖縄の少女が躍る手・指の動きは、それはそれはなめらかで美しく見えました。
 1日午後、元々が読谷村出身で、神戸で生活したこともある富樫守さんに読谷村の世界遺産、城(グスク)「座喜味城跡」、そしてチビチリガマ、米軍嘉手納基地を案内してもらいました。
 昨年は、台風の余波で連日大波が押し寄せて遊べなかった、今帰仁の海は、今年はとてもおだやかでした。潮の引いた後のリーフの「潮だまり」で、シュノーケルで潜ってながめる小さな色とりどりの魚たちの泳ぎは、見飽きることがありません。今年も、辺野古の干潟でミナミコメツキガニの大群に出会いました。人の気配を感じただけで一瞬のうちに砂にもぐり、2、3分息をころしてそこに立っていると、ざわざわ、ざわざわ砂の中から湧き出てくるのがミナミコメツキガニです。その数、数千、数万(?)の生命を育む力を、沖縄の辺野古の海は秘めているのです。
 辺野古の座り込みで、ちょっと困るのは、お手洗いがそこにはないことです。軽自動車での、トイレ送迎体制はできているのですが、すべて「自己完結」(水分摂取は控え目。必要な場合は自力)を目標に参加してきました。しかし、1日は長時間基地前に滞在で、健樹君ががまんできなくなり、「近く」のコンビニのトイレまで、付き合いで志願した恵君の3人と歩いて往復することになりました。しかしコンビニのトイレの炎天下往復50分は(万歩計では約5000歩)「近く」はありませんでした。沖縄の夏の日中の日差しはひりひりするくらい強く感じます。しかし、一旦木陰に入ると、ひんやり感じてしまうのも沖縄の夏です。

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