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小さな手大きな手

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2015年09月01週
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 やっと市販のいい靴にめぐりあい、同じメーカーの同じサイズの同じ型の靴3足を、靴底が擦り減らないように、決してひきずったりせず大切に大切にはき回していました。色は違うその3足のうち1足が行方不明になってしまいました。とても残念です。
 大岡昇平の「レイテ戦記」を読んでいて、日曜日(8月30日)にたまたま目にした新聞(毎日新聞)の「今週の本棚」の鼎談(加藤陽子、斎藤環、半藤一利)で取り上げられていたのが、「靴の話/大岡昇平戦争小説集、集英社文庫」と他に「失敗の本質/日本軍の組織論的研究」(戸部良一他、中公文庫)、「生きて帰ってきた男/ある日本兵の戦争と戦後」(小熊英二、岩波新書)でした。
 15年戦争、太平洋戦争の末期、大岡昇平の戦場となった、フィリピン・ミンドロ島の日本軍兵士たちに支給されたのは、「ゴム底鮫皮の軍靴」でした。「それはサイパンの玉砕後から、前線行きの兵士に渡り出したゴム底鮫皮の軍靴であった。ゴム底は比島の草によく滑り、鮫皮はよく水を通した。我々は魚類の皮膚がいかに滑らやんに見えようとも、決して水を弾くようにはできていず…」「…米軍が上陸してから4日の山中の逃避行で『植物』たる靴底は『動物』たる上皮と永遠の別れを告げた。我々より、一週間長く山中を彷徨した後、露営地に到達した別の隊の兵士が、既に靴を穿き潰し、襤褸を足首に巻いて歩いている…」。という「靴の話」などをめぐる鼎談で、加藤陽子は「『靴の話』には<こういう危い靴で兵士に戦うことを強いた国家の弱点だけが『事実』である>など、“決めぜりふ”が多く出てくる。それが、比類まれな日本語の使い手である大岡昇平によって書かれている。読んで鳥肌が立つ思いがした」と言っています。
 今読んでいる大岡昇平の「レイテ戦記」には「レイテ沖海戦」のことが記述されています。負け続けの戦争・戦場で、大和や武蔵と言った巨大な軍艦で、大岡昇平によれば“一泡”吹かせる可能性のあった海戦でしたが、たとえば武蔵は巨大な大砲を発射する機会もなく撃沈されてしまいます。そんな戦争をしてしまった国について「戦力の不足を、高度に訓練されたパイロット、砲手の技倆でカバーしなければならなかった。しかしこういう人的資源は有限であり、補充が間に合わなかった。もとは船員や漁師などの志願水兵からなっていた日本海軍も、捷号作戦の頃は招集兵が主だった。その時奴隷的な訓練、艦内生活の前近代性が、障害となった。新しい水兵に戦意より組織と上官への怨恨が積もった状態で、戦場に臨ませるほかなかった、などなど、近代日本の歴史の結果である無数の要因が重なって、捷一号作戦を成功させなかったのである」(「レイテ戦記/海戦」大岡昇平、岩波書店)。「靴の話」でも「レイテ戦記」でも、大岡昇平が書くのは「決めぜりふ」を駆使して書く「事実」です。「新しい水兵に戦意より組織と上官への怨恨が積もった状態で、戦場に臨ませる」は事実であり、「前線行きの兵士より渡り出したゴム底鮫皮の軍靴」を支給したのも事実です。そんな戦争の敗戦から70年、人間と人間がつながって人間を育てるという教育の基本を怠った結果としか言えない状況で、立ち停まって徹底して考案しようとはせず組織によって管理された情報だけで事を済ませようとしているのは「事実」です。「人間と人間がつながって人間を育てる」という営みに近道はないし、常にリアルな危機感を持ち続けることの中からしかそれは実現しないのも「事実」です。そんな意味での危機感と情報をめぐる「事実」について、集英社文庫「靴の話」の「鑑賞-優れた小説は『鑑賞』してはいけない」で村上龍が書いています。「これから数十年という長い年月を生きなくてはいけない若い読者は、どのようにしてリアルな危機感を持つことができるかを考えるべきだ。危機感を持つのは難しい。持てない人間は、ただインフォメーションだけを手に入れて満足して『ひまつぶし』を続けて人生を終える」。
 靴のことでは、少なからず苦労してきました。指先が広がり、少し甲が高く、踵がとび出している足に、ぴったりの市販の靴はなかなか見つからないのです。その靴に一つ条件があります。歩いたり走ったり跳んだりするのはもちろん、作業・活動のすべてに間に合う靴であることです。歩いたり走ったり跳んだりはもちろん、作業・活動すべてに間に合って、かつくせのある足に比較的合う、市販の靴として長い間使っていたのが、アウトドアの専門店、大阪梅田のIBSが扱っていた「TECNICA」でした。それを1~2年に1足購入してはいていましたが、何しろ店頭在庫が少なく、買いに行ったその時には“入荷予定・未定”だったりしました。そんな時に立ち寄った近くのアウトドアの専門店ロッジで見つけたのが「Patagonia」でした。「Patagonia」は、靴底が“vibram”、本体が“GORE‐TEX”ですから、本格的なアウトドア仕様の靴なのです。何よりなのはくせのある足にピッタリの型でもあることです。ちょっと大変なのは、その値段でした。靴底は本格的な登山靴などでは必ず使われる硬質ゴムの“vibram”で、本体がバックスキンと「GORE‐TEX」の組み合わせだったら、相当の値段になってしまうのはしょうがないのでしょうが、20,000円を超えるのはびっくりです。何よりもくせのある足にぴったりだったことで購入することになりました。それが5年前で、2年に一足買い足して、3足を交替ではいていました。「PATAGONIA」の欠点は、踵の内側が比較的早くすり切れて、穴が開いてしまうことです。で、どうしたもんかと悩んでいて、近くの靴・鞄の修理の専門店「靴専科」で相談することになりました。「修理代金5,000円!」にはびっくりしたのですが、修理が出来て帰ってきた靴のその部分の補強は、皮の内張りでした。今、その靴を大切に快適にはいています。
 歩く時、注意していることがあります。靴底をずるずる引きずって歩かないことです。靴底全体がそのままつくように足の上げ下ろしをします。腹背筋などの全体を使い姿勢を正して歩くのです。そんな歩き方をしていて、硬質ゴムの靴底は靴のどの部分よりもきれいで長持ちしています。
 そんな、靴のうちの一足(最初に手に入れ、修理した一足)が行方不明になってしまいました。
 大岡昇平のような、陸軍の兵士たちに支給される靴が「サイパンの玉砕頃から」(1944年7月)、「ゴム底鮫皮の軍靴」になりました。「ゴム底は比島の草によく滑り、鮫皮は水をよく通す」そんな靴でした。戦争を画策した人たちには、その軍靴で「討伐」「逃避行」「彷徨」することになった戦争の兵士たちの「事実」は何一つ想像できなかったに違いありません。「山中の逃避行で『植物』たる靴底は『動物』たる上皮と永遠に別れを告げた」そんな装備で、「サイパンの玉砕」「レイテ島の玉砕」などの戦争を正当化する理由などもちろんあり得ません。

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