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2015年09月03週
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 9月10日に関西学院大学の神学部で組織神学の加納和寛先生が「『バルメン宣言』から未来へ:ドイツの教会の現状と将来」という講演をされました。
戦後、ドイツ人の教会離れは深刻で、信徒数は戦前の4分の1となっているそうです。最近のドイツ現状とこれからの教会のあり方の一つを示すのが「City-Kirche(シティ・キルヒェ:街の教会)」です。都心の教会がカフェやショップを併設して平日も礼拝堂を開放して広く一般の人を呼び込むスタイルで、ドイツ全体で教派を問わずに広く見られるのだそうです。地域の教会の今日的な在り方としてイベント教会、若者教会、アカデミー教会、コンサート教会、文化的教会などとも呼ばれていますが、ドイツの国教はキリスト教です。2012年の連邦統計庁によるとドイツ人口8213万人(カトリック信者2546万人、プロテスタント信者2483万人、ユダヤ教徒11万人、イスラム教徒400万人、その他・無宗教2773万人)となっています。ドイツは第2次世界大戦後、移民国として発展してきたと言われています。旧ドイツ領土から強制的に追放された人々やその子孫には、「帰還移住者」としてドイツ国籍が与えられました。1970年代まで続いた経済復興期には、トルコなどから多くの外国人労働者およびその家族らが呼び寄せられて経済発展の一助となりました。戦争への反省から政治的に迫害を受け、庇護を求める難民も積極的に受け入れるようにもなりました。こうして今日では全人口8213万人のうち1556万7000人(2012年)、5人に1人が「移民の背景」を持つ住民となっていくのですが、就職率が低迷しているため様々な問題が出てきています。問題の一助となるためにドイツの教会ではCity-Kircheを通して、「来るのを待つ教会」から「来てもらうために発信する教会」へと変わっていきました。平日には人々が集まる食堂やカフェを通して地域交流の場として、若者たちの集う場を提供すること、やりたいことを申請すればそのために場所を提供するスタイルがCity-Kircheです。
加納和寛先生が留学されていた時に通っていた教会はヴッパータール市にあるゲマルケ教会です。このゲマルケ教会は戦時中に「バルメン宣言」(正式名称は「ドイツ福音主義教会の現況に対する神学宣言」で、旧自治体のバルメンをとって呼ばれている)を表明した教会でもあります。このゲマルケ教会も1995年にCity-Kircheをプロジェクトとして採用し、礼拝堂入口にカフェ、塔の1階にフェアトレード製品を販売するショップを設置し、礼拝堂地下をリフォームしてホームレスや高齢者のための食堂を運営しています。
そこまでできるかは別として、ゲマルケ教会は牧師館や教会館の敷地をユダヤ教徒の礼拝を行うシナゴーグに提供することをCity-Kircheプロジェクトで採用されました。同じ敷地内にキリスト教とユダヤ教が共生する場を持つことになりました。超教派の動きの中で、地域へ働きかけることの意味を考えるのがCity-Kircheと言えます。
 日本では東日本大震災の時から今も定期的に行われているのが僧侶の方々の「カフェ・ド・モンク」(移動傾聴喫茶)です。被災者の心の問題を抵抗なく語れる場を超教派で開いていますが、これもまたCity-Kircheの一つの形とも言えます。
 この形を応用しているのがソーシャル・アパートメントと呼ばれるものです。シェアルーム、シェアハウスとは違い、各部屋は個別なのですが1階部分を共用スペースとしてアスレチックジムやワインバー、カフェ、完全防音のスタジオになっていて、自分たちの演奏を録画したりレコーディングしたりもできる、日曜大工ができる場所などになっています。これもまた来てもらうために発信しているといえます。

(以下は庄司の感想です)
 西宮公同教会ではCity-Kircheという言葉が広がる前から様々なアプローチをアートガレーヂでの企画や障害児・者情報センターでの連続講座、礼拝堂でのコンサートや講演会、関西神学塾、津門川そうじや商店街、協議会など地域活動への積極的な参加、東日本大震災の被災地・被災者支援の働き、未来をつなぐ子どもたちへの働きかけなどを通して「地域の人たちが集まる場」を視野においてきたと言えます。最近では「カフェ・あめかぜ」「福in」で地域の方々が来て一緒に食事と交わりの時間が与えられています。礼拝出席に直接結びつかないけれども、何かあれば違和感なく教会に足を運んでもらえるようになってきたことも事実です。
ドイツをはじめとして、地域にある教会としての役割とは何かを、世界中で問われ出しているのかもしれません。「来るのを待つ教会」から「来てもらうために発信する教会」の姿は、たとえば、千葉の安食教会にいた時に火薬取扱保安責任者と打上従事者の資格を取って、花火を通して、キャンプや子どもたちの誕生日の月にその家族を招待して1発打ち上げる教会の働きとしての側面と、地域の小学校で行われるお泊り会や、地元自治会での花火大会を行うことで、「教会さん」の愛称で親しまれ、教会バザーをのぞきに来たり、子どもたちと一緒にクリスマス会に顔を出してくれる人も少ないなりにいたという地域と共にある側面があります。その意味ではこれからの教会は信仰共同体としての側面と、地域と共に生きる側面を「あれか・これか」を早急に決めるのではなく、話し合うきっかけになって、自分たちの置かれている教会の地域性、自分たちの聖書の読み方をあらためて見つめ直し、考える場を提供しているのがドイツをはじめ、世界中で広まっているCity-Kircheと言えます。


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