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小さな手大きな手

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2015年10月01週
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 木を切ったり削ったりする道具、竹を割ったり削ったりする道具、料理の包丁など道具の手入れをします。ただ、こうした道具の多くは今は「電動」のもので間に合い、作業時間も格段に短縮できます。その電動工具を使う場合でも、手作業で使ってきた道具とその使い方が道具・工具の向かい方、使いこなす場合の基本として欠かせないように思います。道具の使い方の基本が少し解るのは、子どもの頃の田舎の生活で、職人さんたちの手作業を目の当たりに育ったからだと思います。
 魚の大小を問わず、下手くそなりに3枚におろして刺身にできるのは、職人ではありませんでしたが、母親の包丁さばきを見ていたからです。使っていた出刃包丁は、たぶん粗末なものでした。それでも、その出刃包丁を使って鯉などをさばく為には、そこそこ切れなくては仕事になりません。その出刃包丁を研ぐのも母親の仕事でした。使う砥石は鎌を研ぐのと兼用の、一部がすりへっていたりする「荒砥」でした。そんな砥石で、砥石の方を動かして研ぐという具合だったように思います。たぶん、切れ味もそこそこだったのでしょうが、刃物はそうして研ぐことによって使うものであるということを、母親の刃物の扱い方を目の当たりにした記憶で、その後包丁を研ぐようになったのだと思います。今はそこそこ砥石も揃い、事務所で使う包丁、小刀など少しは砥ぎ方をわきまえて研いでいるのだと思います。「刃物というものは研いで使う」という子どもの頃の生活の中でしみついたことが、刃物の扱いになり、少しは上達することになりました。
 どんな刃物も刃先が欠けていたのでは切れ味が悪くなります。まず、刃先をにらみ、欠けているかどうかを確かめ、もし欠けていたら「荒砥」で刃先全体の欠けが見えなくなるまで削ります。これは簡単です。大変なのは、そこから両面を研いで刃先を出していくことです。この時の基本は体全体を使い砥石に水平に刃物(包丁など)を前後させて研ぐことです。全体に刃先が出たら、「中砥」で研ぎ、最後に仕上げの砥石でつるんつるんの、すとんと切れる包丁に研ぎ上げるのには、そこそこ時間がかかります。包丁を研いで使ったりすることになったのは、母親という職人が包丁を研いで使うのを、子どもの頃に間近に見たことが始まりの一つです。
 竹藪で竹を選び、竹を切り出して、切り出した竹を割って削ったりします。そんなことが、今できるのも子どもの頃の田舎の生活で、竹職人さんの手さばきを目の当たりにした記憶が残っていたからです。半世紀以上前の田舎の生活の基本は、生活道具の多くが身近な素材を使った手作りであったことでした。父親は学校の教師でしたが、母親は田んぼで稲、畑で野菜を育てていました。田植えの時の苗の束を天秤棒でかついで運ぶ籠は竹製でした。その籠は数年に一度訪れてくる(…だったと思う)竹職人さんが、庭先に座り込んで切り出してきた竹を割り、竹を削り、削った竹が見る見るうちに籠になるのを、子どもたちはあきずに見ていました。竹というものが薄く均等に削れるものであることを目の当たりにしていたので、いつの頃からか竹を扱うようになりました。一本の竹を4分割する時の十文字に組んだ板、その時の竹は根元ではなく先端に切れ目を入れ、その十文字に組んだ板を押し込むと、きれいに4等分されるのを、子どもたちは驚いて感心して見ていました。今、板を十文字に組んだ道具を手作りし、竹を4分割し、竹専用のナタも手に入れ使い方もそこそこ解って、竹を扱っています。すべて子どもの頃の田舎の生活で、職人さんの手仕事を目の当たりに見た経験が出発点になっています。
 文章を書いたりする時などは、ほとんどがボールペンですが、簡単な図面を描いたりするのは、やっぱり鉛筆です。その時の鉛筆は必ず「切り出し小刀」で削ります。削り器で、マンマルに削られた鉛筆より、小刀で手加減して削った鉛筆のほうが使いやすく、断然美しいのです。その場合の小刀は、よく研いでよく切れないと、つるんつるんには仕上がりません。田舎の、子どもの頃の子どもたちの普通に使える刃物は「肥後守」でした。鉄のさやに折り込む肥後守は、どんなに研いでも切れ味はもう一つでした。「切り出し小刀」は、その頃の田舎の子どもたちの誰も持ってはいませんでした。高価だったのだと思います。今、4本の切り出し小刀が手元にあって、手入れをし、鉛筆を削るのはもちろんその小刀です。幼稚園の子どもたちが淡路島の海で遊んで、遊んだ後のキャンプ場(平安荘)でラーメンを食べる時の、竹製のわりばしを削るのは切り出し小刀です。竹は、小刀の力で削るのではなく、固定した小刀で竹の方を引いて削ります。もちろん、手入れした(研いだ)小刀でないとそんな削り方はできません。手先・指先だけでなく、体の力すべてを手先・指先に集中し削りたい竹の方を引っぱると、するするっと、しかも均質に竹が削れるのです。竹の扱い方も、子どもの頃の田舎の生活で、数年に一度訪ねてくる竹職人の手仕事をあきずに見ていた記憶が基本になっています。
 子どもの頃の田舎の、田んぼや畑の仕事はすべてクワを使う手仕事でした。畑を耕すのには、ウデの力ではなくクワを高く持ち上げて振り下ろすようでないと深くは耕せませんでした。炎天下に延々とその作業が続くのは並の重労働ではありませんでしたが、田舎の子どもは子どもなりに手伝いました。溝を切り畝を作り種をまき苗を植えなどの作業の基本はクワでした。クワを振り、汗を流し汗を拭うことが働くことだと教えられました。湿田の多かった北陸の田舎の田んぼを耕すのに子どもの出番はありませんでした。大人たちの熟練と忍耐力のある業で、田んぼが耕され、熟練の技でつるんつるんに輝く田んぼのあぜが塗られて行きました。その名人技を子どもたちはあこがれ感心しながらながめていましたから、それを踏み荒らすということはしませんでした。
 そうして、汗を流し汗を拭って苦労を分かち合い、誰もが名前で呼び合う田舎の村生活・家族は成り立っていました。しかし、貧しさが時にはそんな家族から親和する力を奪うこともありました。限られた田んぼや畑では生活が成り立たない中で、大人たちは冬期間日本各地の工事現場に出稼ぎに出、何年かに一度工事現場で亡くなるということもありました。

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