佐渡裕さん(兵庫県立芸術文化センター、芸術監督)のトーン・キュンストラー管弦楽団音楽監督就任記念コンサート(ウィーン・ムジークフェライザール)のチケットの手配をしてもらえたので、9月30日~10月3日の日程でオーストリア・ウィーンに行くことになりました。コンサートのウィーンだけでなく、「棒を振る人生」で佐渡裕さんが紹介していた、トーン・キュンストラーの拠点となるザンクト・ペルテンの劇場、フェストシュピールハウス、そして監督就任の調印をした場所グラフェネッグ城を訪ねてみることにしました。
「地球の歩き方/ウィーンとオーストリア」には、「ザンクト・ペルテン/ウィーン西駅からリンツ方面へrailjet特急で約25分」と書いてありました。で、「優れ者」と言われる「地球の歩き方/ウィーンとオーストリア」を、着いたホテルの部屋でめくっていると、61ページの地下鉄の地図で、ウィーン西駅/Westbanhofに行けることが解りました。更に、ウィーン西駅はザンクト・ペルテンはもちろん「ドイツやスイスからの国際列車や国内のインスブルック、ザルツブルク方面からの列車が発着するウィーンの表玄関」の駅らしいことも解りました。
ウィーン西駅は鉄道が、途中のザンクト・ペルテン、リンツ、ザルツブルクを経て、オーストリアからドイツのミュンヘンに至る路線の駅の一つになっています。「地球の歩き方/ウィーンとオーストリア」の冒頭の地図及び地下鉄、駅のページを合わせて見ると、前述の鉄道路線はヨーロッパ諸国で大きな問題になっている「難民」たちのたどっている道に重なります。ザンクト・ペルテンに向かう限り、そのどこかで「難民」たちと出会うことを、オーストリアに行く前から予測していました。「紛争地から欧州にやってきた難民や移民らが今、オーストリアからドイツに渡る国境の橋で長蛇の列を作っている」「26日午後、ドイツ南東部フライラッシング、約6キロ東のオーストリアの観光地ザルツブルグの駅からバスやタクシーに乗った難民らが次々国境の橋にやってくる。長さ約100メートルの橋の歩道は、入国審査を待つ数百人で埋め尽くされた。冷たい小雨が降り始めると、難民たちは頭上を巨大なシートで覆い、風雨をしのいでいた。シリア、ホムスから来たオマルさん(25)は『2日と10時間待って先頭にきた』と話した」(9月2日、朝日新聞)。オーストリアを経てドイツにたどり着きたいであろう、そして一目で解る「難民」たちが、ウィーン西駅の一階部分のあちこちで数人・数家族(?)単位で集まっていました。「一目で解る」のは、大半がたぶん簡単な手荷物か手ぶらで駅のあちこちに集まっていて、その服装や荷物などで一般に駅を通過する人たちと明らかに異なっているからです。
オーストリアに出掛けることになる前から、「難民」のことに強い関心を持っていました。オーストリア・ウィーン滞在2日間弱の「弾丸旅行(誰かが、そう言った!)」でどれほどのこともできないのは承知していましたが、鉄道路線、駅に行けば必ず出会えると予測していたのです。そんな期待もあって、ドイツ語の単語が数語解るだけの一人旅で、地下鉄のランドストラッセから、ウィーン西駅経由でザンクト・ペルテンに向かうことになりました。ドイツへ向かう「難民」は、「通過・入国」を拒否していたオーストリアの東隣のハンガリーが、国際社会の批判で「暗黙の通過」を認めることになって、そこにたどり着いた人たちです。表向き、ハンガリーは「難民」たちの入国・通過を拒み、行き先がなくなった「難民」たちのことで、別に隣国のクロアチアと紛争になっています。で、「暗黙の通過」を認めることになったようです。「ハンガリーの強硬措置で自国への大量流入がはじまったことに激怒したクロアチア政府は、人々をバスで一方的にハンガリー国境に送りつけている。ハンガリー政府もクロアチアを激しく批判。しかし、難民たちによると国境のハンガリー警官は検問所手前で数時間待たせた後、入国を許可。さらにバスで駅に運び、列車に乗せているという」「紛争地から欧州を目指してオーストリアに到着する難民や移民が、この1週間で大幅に増えている。ハンガリーが力ずくで自国への流入を阻止し、多くの人が隣国クロアチアへ。押し返された難民らを、今度はハンガリー自身が非公式に自国領を通しオーストリアへ移送しているからだ」(9月26日、朝日新聞)。
10月1日、2日と、ウィーン西駅で出会った「難民」たちは、ハンガリー・クロアチア、そしてオーストリアへと簡単な手荷物か手ぶらで翻弄されながらたどり着いたそれが一目で解る人たちでした。その「難民」たちに近寄って、聞き取りなどの対応をしていたのが、緑色のゼッケンのカリタスのメンバー、OBB(オーストリア鉄道)、警察などが「連携」を取って対応しているように見えました。と言うのは、列車が発着するホームの壁に以下のように記述した英語とアラビア語(同じ、だと思う!)のポスターが貼られていて、その末尾には「You are safe /The City of Vienna」と書かれていたからです。
「難民」とは、1951年の「難民の地位に関する条約」では「『人種、宗教、国籍、政治的意見または特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受ける恐れがあるため他国に逃れた』人びと」と定義されています(国連難民高等弁務官事務所〈UNHCR〉ホームページ)。オーストリア、ウィーン西駅に集まってきている「難民」は、いわゆる紛争地のアフガニスタン、イラク、シリアなどの戦争・内戦で生活はもちろん生命の安全がおびやかされて、他国に逃れざるを得なかった人たちです。「The City of Vienna」は、その人たちに向かって「You are safe」と呼びかけます。
日本の首相は9月29日の国連演説で「難民支援に今年1年間で昨年の約3倍となる約8.1億ドル(約970億円)を拠出する」ことを表明し「安全保障関連法案が成立したことを報告し、国連平和維持活動(PKO)に一層貢献していくこと」も訴えています(9月30日、朝日新聞)。
しかし、その演説、表明、訴えが何か違うのは、欧州が直面している、直接「難民」が押し寄せ、その対応に追われる現実とはかけ離れていることです。アフガニスタン、イラク、シリアなどから欧州に向かっている「難民」は、自分たちが生きてきたその現場で起きてしまった、破壊と血みどろの戦争で、そこを追われた人たちです。「戦争」で、生まれ育ち生活してきたその場所に住めなくなって追われ、逃げてきた人たちが「難民」です。日本の首相の国連での演説が、何か根本的に違うのは、その戦争には一切言及しないことです。いいえ全く逆です。戦争の流血に手を汚すことを「積極的平和主義」と言ってはばからない人間が、その結果の難民支援を語ってはばからないことです。
緒方貞子、元UNHCR弁務官は「難民の受け入れくらいは積極性を見いださなければ、積極的平和主義というものがあるとは思えない」「積極的平和主義をしようとしたら、そのためにどういう犠牲を払う用意があるか、というのをほとんど聞かないでしょう。だから、お言葉だけというふうに私は受け止めています」(9月24日、朝日新聞)と、難民の受け入れに消極的な日本の現状に苦言を呈し「積極的平和主義のあり方」を問うています。
ノルウェーの平和学の学者ヨハン・ガルトゥングは、辺野古新基地反対の座り込みをしている人たちのいわゆる「辺野古総合大学」で、参加している人たちに「積極的平和主義」について、以下のように述べています。
「あなたたちこそが民主主義だ。安倍首相の〈積極的平和主義〉はわたしの提起した積極的平和主義を盗んだもので、彼はまったく反対のことをしている。日本国憲法9条2項は軍備を禁止しており、解釈の余地はないと思う。安倍首相は法の支配を破壊しており、彼こそが法を壊したということにより、逮捕されなければならない」(「聞け!オキナワの声」仲宗根勇、未来社)。
「You are safe/The city of Vienna」と書いて「難民」たちを迎えるオーストリア・ウィーンの市民たちこそ、間違いなく積極的平和主義を実践しており、「安倍首相の積極的平和主義」を容認する日本とその国民はその言葉を使うことにおいて、ヨハン・ガルトゥングに批判する安倍首相と同罪です。
オーストリアの東、ニーダーエースターライヒ州の運営する、オーストリアを代表するオーケストラの一つ、トーン・キュンストラーの音楽監督に就任した佐渡裕さんとその力量への関心もあって、10月1日のウィーン・ムジークフェラインは満席でした。佐渡裕さんの指揮と、トーン・キュンストラーのメンバーの演奏は、そんな観客の関心を決して裏切らない、強い意志で貫かれた音楽として聞くことができました。国境を越え、人間と人間が解り合えることを確信する人たちの音楽なのです。以下トーン・キュンストラーの拠点、ザンクト・ペルテンのフェストシュピールハウスの年間スケジュールの冒頭の佐渡裕さんの言葉です。
「異なる言語や文化を持つ人同士が、同じ空気の振動の中で、共に生きていることの喜びを感じられる。それが音楽の持つ力だ」
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