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2015年11月05週
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 ほぼ20年ぶりに、ジョージ・オーウェルの「カタロニア讃歌」(橋口稔訳、筑摩書房)を読み直しています。20年前にも読み直しました。その時は、現代思潮社版「カタロニア讃歌」(鈴木隆・山内明訳)でした。20年前に読み直すことになったのは、1995年1月17日の兵庫県南部大地震で、部屋中の書棚からすべての本がとび出し、知人が幾日かかけて片付けてくれた後、ほぼ無秩序に並ぶことになった書棚で、その本が目について読み直したという、そんな経緯だったと記憶しています。オーウェルは地震の前に「カタロニア讃歌」とは別に「動物農場」、「オーウェル評論集」で「絞首刑」や「象を撃つ」などを読む、ささやかなファンではありました。20年前に、あわただしく走り回りながら、開いては閉じ、開いては閉じの繰り返しで、ずいぶん時間をかけて読むことになった、現代思潮社版の最初の項、「革命の町で」の右ページに、旧約聖書の一節が書きとめられているのに気が付きました。

  愚者には愚に従って答えるな、
  君も愚者にならないために。
  愚者には愚に従って答えよ、
  愚者が自分を智者に思わないために。
「箴言集」26.5〜6

 20年前のその時にはじめて、ジョージ・オーウェルの「カタロニア讃歌」が「箴言集」のこの一節がキーワードに書かれていることに気付きました。もちろん「カタロニア讃歌」は、「箴言集」を待つまでもなく、革命が反革命の嵐によって、崩壊ないし自滅していくことに、その場の中で生きて記述した「現代史への証言」です。しかし、人間の生きた知恵の集積である「箴言集」は、はるか古代社会において、2,000年、3,000年先のスペイン革命の崩壊と自滅を予告していたのです。20年前に「カタロニア讃歌」を読み直した時に、ジョージ・オーウェルのスペイン革命の「現代史への証言」が、「箴言集の」この一節で始まっていることにやっと気付きました。
 20年前の兵庫県南部大地震の後、地震の後を生きて書き続けたものをまとめたのが「地震・教団」です。局地的とは言え、極限の自然災害の直後から、その後を生きる人たちの渦中にいて見続けたのは、ジョージ・オーウェルが「カタロニア讃歌」を「箴言集」25.5〜6で始めたのと同じ光景、同じ出来事であったように思えました。そんな訳で、「地震・教団」の見開きには、「箴言集」25.5〜6が入れられることになりました。
 オーウェルは、自分が「義勇兵」の一人になった経緯を書いています。「ぼくがスペインへ行ったのは、新聞に記事を書くためだった。しかし、着いてほとんどすぐ、義勇軍に参加してしまった。当時のあの雰囲気の中では、そうすべきとしか思えなかったからである」。そのことの「なぜ?」について、オーウェルは別に次のようにも書いています。「なぜ義勇軍に参加したのかと尋ねられたら『すべての人間を人間たらしめるもののために』と答えただろう」「それでも、ともかく武器が配られ、スペイン東部の都市では、大きな犠牲をはらって、ファシスト軍が打ち破られた」。更にその「犠牲」について、「革命のために戦う人のみが、言いかえれば、現状維持以上のもののために戦っているのだと信ずる人のみが、よくはらいうるような犠牲だった」とオーウェルは書きます。
 2月から、沖縄・辺野古新基地建設反対の座り込みに参加しています。参加することに決めたのは、「7月27日、沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議結成大会発言録」(沖縄「建白書」を実現し未来を拓く島ぐるみ会議編、発行七つ森書館)で、「しかし、安倍内閣はこの建白書を受け取りながら、これを全く無視して埋立工事を強行したことは、民主主義の尊厳を踏みにじるものであり、到底容認できるものではない。思いを込めてこの暴挙を糾弾する」を遅ればせながら目にしたのがきっかけです。沖縄県議会が日本政府に向け提出した、普通の言葉の文脈の中に「…尊厳を踏みにじり」と書かれていたのは、少なからず驚き、そんなことを言葉にする人たちがいるなら、少しの機会であっても、そこに居させてもらいたいと思いました。
 そして、月一回、座り込みに参加することになり、「尊厳を踏みにじる」者たちと闘う人たちを目の当たりにすることになりました。座り込みが統制ではなく信頼によるという、底なしの柔軟さに驚くと同時に危惧も合わせて感じることになり、思い出したのが、ジョージ・オーウェルの「カタロニア讃歌」です。
 今、20年ぶりに「カタロニア讃歌」を読みながら、沖縄の辺野古の「すべての人間を人間たらしめるもののために」の闘いの現実と未来、そして「カタロニア讃歌」の「箴言集」26.5〜6の言葉を繰り返しかみしめています。


安治富 浩 様
山城 博冶 様
大城 悟 様
キャンプシュワブ前のテントを守る皆様

 2月から、辺野古キャンプシュワブ前の座り込みに参加させていただいています。月に3〜4日、当面1年間は続けるつもりで参加させていただくことになりました。
 2月に参加した時、“早朝行動”のことを知り、その度に早朝から参加し午後4時頃までゲート前で過ごすことにしています。
 “早朝行動”は7、8月までは30〜40人程度だったのが、たぶん事態の進展と共に、11月には70〜80人に増えていました。11月11、18日には山城さんが繰り返しおっしゃっていた「1,000人、2,000人になれば!」が現実になり、工事関係車両も止まり、警視庁も加わった200人を超える機動隊による規制も難しくしてしまいました。
 今、日本中どこにも(いいえ、世界中どこにも)、道路に座り込むことも、それを警視庁まで加わった機動隊が規制にあたることもあり得ないし、ましてや座り込んでいる人たちを規制すらできない、などということはあり得ないはずです。
 沖縄辺野古ではそれが起こっています。
 11月25日には、多数の人が引き上げた後の座り込みが、道路側と基地側から規制されてしまいました。その午後の集まりで共同代表の中村さんの「…追い詰められているのは、国・政府だ」は、まさしくそのとおりだと思います。国・政府が何より恐れているのは、“島ぐるみ”に象徴される、沖縄のひとたちのゆるやかで、しかし決してひるむことのない座り込み行動であり、かつそこに集まる人たちが500人、1,000人を超えてしまっていることです。1,000人に対して、たとえ200人の機動隊が暴力(警棒、催涙弾など)にうったえれば、けちらすことは簡単です。しかし非暴力の座り込みは、どんな意味でもそれを許さないはずです。中村さんの言葉通り、1,000人の座り込みで追い詰められているのは、国・日本政府です。強行される工事は道理・道義に反するものでしかあり得ず、その、不法を追い詰めているのが、非暴力の辺野古の座り込みです。
 ゲートで、海で、現実に更なる不法がまかり通る事態は、沖縄で生きてきた人たちにとって耐え難いことでしょうが、しかし、中村さんのおっしゃるように、追い詰められているのは、確かに国・政府のように思えます。
 12月6〜10日には、西宮から今度は4人で参加させていただく予定です。
 幼稚園の庭のマキ窯で焼いたパンを少しですが届けさせていただきます。連日連夜、辺野古キャンプシュワブ前のテントを守る皆さんに食べていただければ幸いです。

兵庫県西宮市南昭和町10-22
菅 澤 邦 明



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