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小さな手大きな手

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2015年12月04週
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  ファンタジーという言葉が目にとまって読むこととなったのが「ファンタジーを書く〜ダイアナ・ウィン・ジョーンズの回想」(徳間書店)です。ダイアナがオックスフォード大学で、直接学んで指導を受けた、J・R・R・トールキンのことを書いた「〈指輪物語〉の物語の形」で、トールキンについて新しく知ることになりました。そのダイアナの、ファンタジー作品が「ハウルの動く城」です。宮崎駿のアニメになっている「ハウルの動く城」のことは、名前ぐらいの知識しかありませんでした。「ファンタジーを書く」の編集にもたずさわった、チャーリー・バトラーのダイアナの紹介が、心に残る大切な言葉になっています。「…けれども、ダイアナはだれの味方かという質問が寄せられたなら、答えは決まっている―彼女は無力な人々、決定権を奪われ、他人の決定を押し付けられる人々の味方です。要するに、彼女はたいていの場合、子どもたちの味方だということだ」。ダイアナの「ハウルの動く城」の原作及び短編集「魔法!魔法、魔法!」などを読んでいます。
 忌野清志郎は、音楽もそうでしたが、30年ばかり前に出版された詩は「エリーゼのために」「十年ゴム消し」などでもファンでした。その忌野清志郎が死んで2年、「激しい雨」などずば抜けた表現者であった清志郎の「表現の源」を扱ったのが「NHK『ラストデイズ』」であり「ラストデイズ、忌野清志郎」(PARCO出版)です。

   季節はずれの 激しい雨が降っている
   たたきつける風が 泣き叫んでいる
   お前を忘れられず
   世界はこのありさま

   海は街を飲み込んで ますます荒れ狂っている
   お前を忘れられず
   世界はこのありさま

   Oh何度でも 夢を見せてやる
   Ohこの世界が 平和だったころの夢

   RCサクセションがきこえる
   RCサクセションがきこえる
(以下略「激しい雨」)

 鶴見俊輔が亡くなって、「追悼出版」されたのが「まなざし 鶴見俊輔」(藤原書店)です。お姉さんの鶴見和子のことを語った「話の好きな姉をもって」が、〈序にかえて〉になって、冒頭におかれているのが、石牟礼道子のことを書いた「石牟礼道子管見」です。内容はほぼ石牟礼道子の「あやとりの記」(福音館)についてです。鶴見俊輔の「戦時期日本の精神史」、「あやとりの記」「カタロニア讃歌」(ジョージ・オーウェル)、「チェルノブイリの祈り」(スベトラーナ・アレクシェービッチ)などを、読み直す読書の一年にもなりました。
 「あやとりの記」は、読み返してみる時、あんな「物語」がどうすれば描けるのか、改めてその不思議に驚かされます。石牟礼道子は、中でも水俣病と向い会った時の働きとその文章によって、たくさんの人たちの心を動かしてきました。鶴見俊輔は「あやとりの記」について書きながら、そうして水俣病と向い合った石牟礼道子の働きと文章について「…そのような育ち方をして古代人となった著者のところに、現代の出来事としての水俣病が現れたとき、この人は、自分の身内から病人が出たということはなく、自分自身がチッソの被害を受けたというのでなくとも、『この病気に魂を奪われた』『水俣病によって自分の魂が傷ついた』」と書きます。
 鶴見俊輔もまた、言われている「魂」が生きた人でした。「戦時期日本の精神史」の主要な課題の一つである「転向」について次のように書いています。「もし私たちが1935年から45年に日本に起こった転向現象全体に『裏切り』という呼び名をつけ悪として片づけてしまうならば、私だけは誤謬のなかにある真理を掬い出すという機会を失うことになります。私が転向の研究に価値があると考えるのは、まちがいのなかに含まれている真実のほうが、真実の中に含まれる真実よりわれわれにとって大切だと考えるからです」。「魂」の人の「魂」の言葉なのです。
 2015年のノーベル文学賞にもなった「チェルノブイリの祈り」は、人間の営みの誤謬のなかにある真理を掬い出す営みを放棄したことで起こり、更にそれを積み重ねる中で生きる人たちの「祈り」であり、同時に「魂」の記録です。
 「カタロニア讃歌」は、オーウェルが自らが渦中で「戦った」スペイン市民革命の「魂」の記憶であり記録になっています。「スペイン戦争の中心問題は、このイタリア人のような人たちが、人間らしい生活を勝ち取ろうとする試みであった。かれは、人間らしく生きることが、自分たちの生得の権利であることを知っていた」。
 「敗戦」から70年ということで、取り上げられていた戦争の記録などを読むことになった始まりは「卑怯者の島」(小林よしのり、小学館)そして「ベリリュー島戦記」(ジェームス・H・ハラス著、猿渡育児訳、光人社)です。戦争を記録することを徹底するアメリカの公式戦記をもとに書かれた「ベリリュー島戦記」は、死臭ただよう戦場の惨状、中でも放置される日本兵たちを、決して日本人が書かなかった戦場の惨状の事実として書きます。
 敗戦から70年、天皇明仁がそのペリリュー島を訪ね、語っています。「しかしながら、先の戦争において、貴国(パラオ共和国)を含むこの地域において日米の熾烈な戦闘が行われ、多くの人命が失われました。ここパラオの地において、私どもは先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います」(「戦争をしない国」小学館)。天皇明仁は、82歳の誕生日を迎えた記者会見でも、多く戦争のことを語っています。「戦後70年の今年を『様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした1年』と振り返り、年々戦争を知らない世代が増える中で『先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います』と話した。」「天皇陛下は、会見の半分ほどの時間を使って戦争や平和への思いを語った。民間人の犠牲が大きかったことに触れ、『平和であったならば、社会の様々な分野で有意義な人生を送ったであろう人々が命を失ったわけであり、このことを考えると非常に心が痛みます』と述べ…」(12月23日、朝日新聞)。
 天皇(父・裕仁)の名で始まった戦争が、10日前に終わっていれば、広島・長崎の「有意義な人生を送ったであろう人々の命が失う」ことはありませんでした。戦争が、3か月前に終わっていれば、沖縄の「有意義な人生を送ったであろう人々が命を失う」こともありませんでした。沖縄戦の前に「終わっていた」はずの、天皇の名によって戦われた戦争は引き延ばされ、沖縄、そして広島・長崎の惨状を引き起こしてしまいました。どんなに「思いを語った」としても、この取り返しのつかない事実は、天皇とその家族の上に残り続けます。
 だからこそ、平和でなければならない沖縄に、戦争がもたらした米軍の新しい基地が作られようとしています。辺野古新基地建設は「平和であったならば」「平和でなければならない」沖縄の人たちの意志を、あらゆる手を尽くして強行されています。その場合の、沖縄の人たちの意志の踏みにじり方が、姑息で卑劣なのです。沖縄は、日本の他のすべての地方がそうであるように、一つの地方(自治体)にすぎません。しかし、ここ10日くらいの間に、全国紙で沖縄のことが繰り返し話題になっています。12月16日には、「島尻沖縄相、知事を牽制/振興予算『影響ない』」、12月18日には、辺野古への基地「移設」が取りざたされ、普天間基地の地元宜野湾市長選挙、12月19日には「辺野古2地区に2300万円寄付設置」、12月22日には「沖縄振興予算10億円増」などと続きます。
 全国紙が、ぼんやり垂れ流す他の地方自治体ではあり得ない、これら沖縄についての情報は、国の政策がその背後にあります。事柄を「政治」の問題に置き換えてしまう手法です。沖縄の人たちにとって、宜野湾の普天間基地は生活の問題です。他の、日本のどの自治体においてもあり得ない生活の破壊を数十年にわたって起こし続けているのが米軍普天間基地など沖縄の米軍基地です。辺野古新基地建設は別の新たな生活破壊であると、沖縄の人たちは受け止めています。生活の問題なのです。なのに、全国紙の取り上げ方は、それを政治のこととして発信する国、政府の思惑を、そのまま政治のこととして垂れ流してしまうのです。結果、多くの日本人にとって、沖縄のことや基地のことは、特別の政治のこととして片づけられてしまいます。
 「読む」ということで、たくさんの時間をもらった1年でした。今も、そして明日も、そんな日々が1日でも長く続くことを願っています。
   
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