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小さな手大きな手

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2016年01月04週
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 沖縄・宜野湾市のいすのき通りに、市長選挙でシムラ恵一郎さんを応援する市民グループの“アジト”があります。1月21日、激しい雨の中、シムラさんのビラを、一緒に一軒一軒配り歩き、へとへとに疲れて帰った人たちと一息を入れていました。そこには、辺野古での激しい闘いの一日を終えた、山城博治さんも顔を出していました。警視庁の機動隊の隊長が、スクラムを組んで座り込んでいる人たちに、「排除開始!」と指揮棒を振り上げる時、「暴力は許さんぞ!」「言葉遣いに気をつけろ!」とマイクを握り、激しく冷静に、眼光鋭くにらみ返す時の「ヒロジ!」とは違う、おだやかで体も心もしなやかな博治さんになってくつろぐ仲間たちと座り、おしゃべりの花を咲かせていました。おしゃべりは、昔の沖縄の選挙から始まって、その頃の、おじい、おばあの話に、時には、「ウチナーグチ」を交えながら話題は広がるのでした。
 そんな時に、話題になっていたのが「ヤーサ ソーシンタイ ヤ ムヌ カマセー」「ヒーサ ソーシンタイ ヤ チン クシレー」というウチナーグチでした。隣に座っていた、小橋川共行さんが(辺野古キャンプシュワブゲート前では、「すわりこめ!」を激しく歌う秦真実さんと並び、「ともだち100人できるかな」を替え歌で歌う、「歌」で有名!なおじいさん)「ひもじくないか しているものは もの たべさせなさい」「さむいおもいを しているものには きものをきせなさい」という意味だと、そっと耳打ちしてくれました。数少ない沖縄の言葉の知識で、たまに口にしているのが「イチャリバ チョーデー」(出会ったその時から兄弟みたいなものだ)「ヌー フィダティヌ アガ」(何の隔てがあろうか)です。前掲のウチナーグチ「ヒーサ ソーシンタイ ヤ チン クシレー」「ヤーサ ソーシンタイ ヤ ムヌ カマセー」は、身内の仲間に対する態度や心配りはもちろんでしょうが、むしろ、たった一回の出会いであっても、もしそこにひもじい思い、寒さにふるえる人がいたら、文句なしに沖縄の人たちが払ってきた心や態度として、その時のウチナーグチは話題になっていました。たまたまくつろいでいた人たちの、お父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんたちの生きた生活の態度であり、言葉としてです。
 沖縄の人たちにとって、忘れられない日の一つが、1995年9月4日の米兵らによる少女暴行事件、そのことに対する10月23日の怒りと抗議「県民総決起大会」には、8万5000人が集まりました。それは「黙らない!」沖縄の始まりとも言われています。2015年5月17日、「黙らない!」沖縄の人たち3万5000人が、那覇市のセルラースタジアム那覇に集まりました。「戦後70年止めよう辺野古新基地建設! 沖縄県民大会」に集まった人たちです。その集会の最後の言葉が、翁長雄志沖縄県知事の「ウチナーンチュ ウシェーティナイビランドー(沖縄の人をないがしろにしてはいけません)」でした。「翁長知事は『辺野古の新基地を阻止することが普天間問題を唯一解決する政策だと』と辺野古反対の姿勢を改めて表明。あいさつの最後には安倍晋三首相に対し『ウチナーンチュ ウシェーティナイビランドー(沖縄の人をないがしろにしてはいけません)』と訴えると、参加者は約1分間総立ちになり、拍手が鳴り響いた」(2015年5月18日、沖縄タイムス)。言われている「戦後70年止めよう…」の戦後70年は、沖縄の人たちが、2度と決してあの戦争の戦場の悲惨を味わいたくない思いで生きてきた70年であり、その思いが踏みにじられ続けた70年です。日本が太平洋戦争の敗北から“独立”したのは「対日講和条約(サンフランシスコ講和条約)」を発効した1952年4月28日です。同時に、日米安全保障条約が調印された日であり、沖縄のアメリカによる占領の継続が日米によって合意された日です。
 2013年4月28日、東京・永田町の憲政記念館で、安倍晋三内閣・日本政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が開催されていました。その『式典』の進行と同じ日時に」、宜野湾海浜公園屋外劇場で開催されていたのが「4.28『屈辱の日』沖縄大会」でした。「その『式典』の進行と同じ日時に、わたしは、宜野湾海浜公園屋外劇場での『4.28【屈辱の日】沖縄大会』に参加した万余の大衆のなかにいた。『所詮“国家”とはそんなものさ。日本国家とは…。』と醒めた孤独な自分がいる一方、大衆の中で大衆とともに怒り、悲しみ、絶望する、なんとも名状しがたい複雑な精神状態に落ち込み、何故か溢れ出る悔し涙を拭い、流れ落ちる鼻水をクスンクスン鼻腔に吸い上げる自分に喝采を送る別の自分がいて、大衆とともに『式典』にたいし『ガッティンナラン!』『ガッティンナラン!』『ガッティンナラン!』とシュプレヒコールしていたのだ。『ガッティンナラン』とは、『合点がゆかない』という、強い怒りと不同意を表明する琉球語である」(「沖縄差別と闘う/悠久の自立を求めて」仲宗根勇 未来社)。
 「戦後70年止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」で安倍晋三首相に対し「ウチナーンチュ ウシェーティナイビランドー(沖縄の人をないがしろにしてはいけません)」との翁長雄志沖縄県知事の訴えは、戦後70年経った今も、たとえば「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を開催してしまえる感覚への、言葉はやわらかいけれども、沖縄の人たちの満身の「ガッティンナラン!」が込められているのは間違いありません。
 その沖縄の人たちの言葉が、翁長雄志沖縄県知事の「ウチナーンチュ ウシェーティナイビランドー」のように柔らかくてかつ内実も柔らかいのは、前掲の「ヤーサ ソーシンタイ ヤ ムヌ カマセー」「ヒーサ ソーシンタイ セ チン クシレー」だったりします。
 1月21,22日そんな沖縄の人たちが、安倍晋三政治の日本によって、分断されて闘う辺野古キャンプシュワブゲート前の闘いを目の当たりにし、1月24日投開票の宜野湾市長選挙の現場も居合わせることになりました。辺野古キャンプシュワブ前の座り込みでは、沖縄県警に警視庁機動隊が加わった圧倒的な力の前に、座り込む人たちの工事車両を阻止する座り込みは有無を言わせない「ゴボウ抜き」で負け続けています。でも「負けました」などとは、口にしないで、次の日も、またその次の日も座り込みを続けます。怒りの炎に燃え、座り込みを「続ける」限り、「負けることはない!」が合言葉です。一方で、そして同時に、座り込む人たちと、強制排除する県警機動隊員は、同じ沖縄の人(ウチナンチュー)でありながら、分断され、引き裂かれています。お互いに、必ずどこかで傷つきながら排除し排除されることを繰り返すことになっているのですから。宜野湾市長選挙でも、陰に日に、手段を選ばず介入、分断しているのが安倍晋三内閣の日本政府です。
 そんな市長選挙の闘いに顔を出し、沖縄の人たちが何より望んでいる、心を通わせることに少しはつながりそうな言葉のリーフレットを作ることになりました。1月22日、シムラ候補を応援する街宣車に乗せてもらい、宜野湾市の2か所で“チェンジ・かえる”を歌い、リーフレットを使った“かえる”演説をすることになりました。

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